UFOがさえる夏!

急に夏はやってきた。そんな感じのゴールデンウィーク前半。
アイスコーヒーがよくでる。普通のアイスコーヒーは、ほぼブラジル
と同じくハンドドリップしたものに氷を入れる。
アホガード、水出し珈琲は、和っち珈琲。UFOで少し深めに焙煎し、手製の水出し珈琲
の器具でポトポトと4時間くらいけて抽出する。昨年までは、紙のフィルターを使っていたけど、
今年から、ネルにした。まったく、似て非なるレベルの味になってきた。明後日は「焙煎塾」。
これまでとは、違うやりかたを伝授しなければ・・・時代は進化していく。

3つの補欠選挙で、自民党が負け、立憲民主党が勝った。あまりも金権政治の悪い部分が露出し、
あまり物言わぬ日本人の怒りみたいなものが、ひさしぶりに吐露した結果になった。でも半官びいき
、振り子がふれたりする歴史が繰り返される。総理や自民党の人たちにさしたる危機感がないのが不気味だ。
立憲民主党の末松義規くん(すえくん、と小学校時代からよんでいる)から、メールがきた。
「これからが大事」とのこと。謙虚だ(笑)ほんとうに、「これから」が(日本がまともな国になれるかどうかの)勝負だと思う。

円安がどんどんすすむ。なんやら総裁はポーカフェイスで「いいんじゃない」みたいな顔している。
もともと1ドルは360円くらいだったし、160円くらいになっても、驚くなということか?
泰然自若、というより、日米のもっと奥深く、庶民には預かりしらぬところで、大いなる近未来のシナリオ
ができているのだろうか?

昔から相場に「ゴルディロックス相場」というのがある。イギリスの童話の「ゴルディロックスと3匹のくま」
から生まれた相場だ。
景気が過熱しておらず、さりとて不況でもないというほどよい加減の状態の経済の相場。
「ほどほど」といえば、「中庸」みたいな感じがするが、これも世界の金融を牛耳ってきた英国の
世界を統治するコツみたいなことが、内包されているようにも思える。

由らしむべし知らしむべからず

昔から解釈が、どちらともとれる論語の一文。もともと、言葉とか論理とか思考とか、「どちらでも」
という性質にものかもなんばん・・・・感謝!

月曜の朝は、旗日でも「玉子かけごはん」(8-10)

朝早く起きて、おそばを元気に打ち、炭火を起こして能登の珪藻土竈でごはんを炊き、
残った炭火で焙煎し、今8時。玉子かけごはんが始まる。

昨日の夕方、佐賀もんが蕎麦を手繰りにきた。「明日から、有田の陶器市です」
とのこと。遠い昔、一度だけいった記憶がある。
4月29日(今日)から、5月5日まで開催。

ホームページもあり、明治29年から始まっていることを知る。陶器市とは。。。をコピペ。

その昔、有田は弘法大師開山の黒髪山にやって来るお遍路さんたちの通り道。
窯元や商家の人たちは、お遍路さんのため半端物や等外品をざるや箱に入れて売りました。
ささやかですが、今の陶器市にも通じる風景です。
明治29年、深川栄左衛門と田代呈一の主催で陶磁器品評会が開かれました。その後、この品評会と同時に開催されるようになった蔵ざらえ大売出しが陶器市のはじまりです。
4月29日~5月5日の会期中は、町内一円にわたって店が並び、いつもは静かなやきものの里もこのときばかりは大いににぎわいます。
人出は九州を中心に、全国から約120万人。 磁器製品の安さ、豊富さ、そして独特の活気が毎年多くの人々を有田へと誘います。

今日は、玉子かけごはんが終わると、仕込みをして、12時から18時まで営業。
明日も12時18時まで営業。
昨日もゴールデンウィークらしく、佐賀もんくんと、同時にきたヨガ娘以外は、新顔のお客さまばかりやった。
まるで、天真庵の床にタイヤをつけて、トレーラハウス天真庵になった気分やった。感謝。

犬もネコも、被災したんやね!

ゴールデンウィークになった。お店をやる前は、IT企業(昔は、ソフトハウスといっていた)
をやっていて、毎年ゴールデンウイークは、愛犬のチワワの元気もいっしょに、カメラをつんで東北を旅した。
今みたいに、「ペットと泊まれる宿」などないので、ボルボのワゴンの後ろ座席をフラットにして、
車中泊ができるようにして、全国を旅したものだ。今でもその経験が生きていて、全国どこでも移動できる車
の仕様になっている。今月、志賀町の仮設住宅がトレーラハウスになっていて、和倉温泉の
トレーラハウスのカフェと出会って、「これからは、コレだな」と思った。もちろん、新しいカフェなど
やるつもりはないばってん・・

昨日、筆子さんのスマホ(うちのはテレビがない)で「志賀町で被災したペットを、ジャニーズ系のタレントさん
がトリミングしたりする番組・・」を見た。ぼくたちも罹災証明をもらいにいった富来(とぎ)の役場が舞台だ。
ペットが家にいた場合、避難所には連れていけないので、自ずから「車中泊」になる。うちの近くの集落の
おばあちゃんも、ネコとふたり暮らしだったので、正月から車中泊を余儀なくされた。
ぼくは、読みかけの本を読みながら、その番組を横目で見ていたら、小さな「トレーラハウス」がペットの
宿泊所になっている映像が・・・志賀町の仮設住宅と同じ感じなので、きっと同じメーカーのものだと思う。
阪神淡路、東北、熊本・・・・そして今は、いつどこで大地震がきてもおかしくないくらい活発になってきた。
「やっぱり、トレーラハウスだ」と痛感。

昨日の夜は、妙高高原の道の駅で調達した「こしあぶら」(山菜の王様)を、てんぷらにして、五橋を飲む。
しめは、こしあぶらごはん。
3月4月は、被災した家の片づけ100%だったけど、来月は山の木々が、藤におおわれる季節。
縄文人は、それを花時計にしていて「そろそろイルカがやってくる」を察知し、みなで協力してイルカを捕獲し、
捌いて平等にわけ、イシルなど「醸す技術」で保存食にし、一万年もの間、争いもなく平和に生き暮らしてきた。
「能登の真脇遺跡」にいくと、そんな縄文人の魂が今も息づいている。
「魂は永遠だ・・・を直感していた縄文人には、不安や恐怖もないので、毎日が平和に暮らしていけた」んだと思う。
5月の能登は、そんな空気が漂う季節。魚も山菜も美味く、喰う気も最高潮になる。感謝。

朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。

論語にそげな言葉がある。今日からゴールデンウイーク。でも昨日から始まった?
そんな感じの金曜日だった。

昨日のお昼すぎ、「わかりますか?」と女性がカウンターに座った。
悪いけど、昨日の夕ご飯なんだっか?と聞かれても、曖昧模糊なお年ごろ・・「わかりません」
と答えた。
2月の味噌休みの時、山梨の温泉に湯治にいった。その時に出会ったひとで長野から車を運転してきたという。
「ああ・・」と筆子さんが思い出して、能登の話などで盛り上がった。
滑川で出会った男子3人といい、みな行動力がすごい。

そんなゴールデンな気分が盛り上がったころ、オールドフレンドで、昔いっしょに仕事を
した、今は熊本で会社を経営しているK社長がきた。還暦を迎え、貫禄がでてきたぶん白髪も増えた。
「ブンゼンください!」と注文。「そげなお大分(昔、豊前『ブゼン』といった)みたいなメニューは
なかと。フミゼンやねん」といって、昼酒セット『文膳』になった。

能登の地酒「遊穂」(UFO)を飲みながら、談論風発。
「大好きな能登を応援したい」というので、「能登の地酒をいっぱい飲みんしゃい。鶴屋百貨店でも売っとろうが」
というと、「ぼくは家では、五橋の燗しか飲みません」と返事が返ってきた。こやつ、せっしゃのブログを読んだな・・・
と思いながら、二杯目は五橋を燗にして、久保さんの新作の黄瀬戸(能登の珪藻土でつくった)にいれ、おそろいのぐい呑みをだした。
「え・・・・燗あがりしますね・・」というので、「べっぴんさんといっしょに温泉入っているような感じやろ?」
と答えると、カウンターにいる女性たちがクスクス笑っていた。
「この酒器を買ってかえると、能登の応援になりますね」というので、「そやな。売りたくないけど、OK牧場」
にして、包んだ。前回は「UFO」をお持ち帰り。今回が「能登の黄瀬戸の酒器」
今日日、お金しか興味がないような社長が多いなか、なかなか見込みがあるくまもん社長。将来が楽しみだ。

今はやってないけど、「英語でそば会」にきたフランス人がこの週間に家族で来日され、英語の先生や生徒
たちが、合計10名で集まり、そばを食べる会を5月始めにやることになった。
国境を超え、「朋有り遠方より来たる、またまた楽しからずや」だ。感謝。

銀座徘徊散歩!隕石カフェに・・・

昨日は、いいお天気。夏日だ。♪夏がくーれば 思い出す・・

よろしく、銀座へ!
いつものように、亀戸までぶらぶらと徘徊散歩。天祖神社(パーフェクトデイズの聖地)
にお詣りし、参道をまっつぐ天神様(亀戸天神)のほうへ歩く。どんつきを左へ・・
すると右手に酒屋がある。「ひたち屋」?
夕方しかやっていないけど、女主人が「燗酒」が好きで、ここではいつも「五橋」(ごきょう)
という山口の地酒を買う。玉露みたいに少しぬるめの燗にして、久保さんの新しい黄瀬戸の酒器で
飲むと、夏がくれーば、でも燗酒が欲しくなる。

話がずれた。亀戸天神まで歩き、信号を渡ると骨董屋がある。先週いった時は、腸の調子が悪いと
いっていたので、昨日はペットボトルに「パラダイス酵母」をいれ、トリセツを手書きして、お店の前に置いた。
それから、亀戸の駅前のブックオフで、芥川龍之介の「杜子春」などが入っている短編集を110円で買う。
最初は「鼻」。ぼくは彼の作品で、この「鼻」が好きだ。

総武線で秋葉乗り換えで、有楽町で降りて、「隕石屋カフェ」に、久保さんの黄瀬戸の酒器を手土産にいく。。
押上から地下鉄にのって、東銀座で降りると、乗り換えもなく、時間もお金も少なくすむけど、
その「まわり道」が、人生の醍醐味なのだ・・・

ホームに立っていると、後ろから肩をポンとたたかれ「おはようございます」と挨拶されたので振り返る
と「ひろくん」が、藍のTシャツを着て笑っている。ぼくも長崎の藍職人さんから買った藍のTシャツ姿。
「どこに?」と問われ「銀座」「赤羽」
とお互いの目的地をいって、秋葉まで珍道中。彼は昨年までニューヨークで皮職人として生計をたててきた。
ぼくも、ほとんど「お勤め」の経験がないので、満員電車は慣れていない。一駅ごとに、ホームにおり、
リュックを前にぶらさげ、まわりの人に気づかいながら・・・小さな声で、「チカンとかいわれたら人生おわるしね」
「でも、ぼくたち同じような服装なので、ホモだちとか思われてるかも」・・・なんていいながら。

いつも有楽町経由で銀座にいくのは「ワケ」がある。駅前の「GINZA5」の二階に骨董屋があまた
あって、そこが銀座で一番お世話になっている(た?)場所。「空き店舗」の大きな文字が。
円安が155を超し、外人さんがあふれ、まるでバブル時代のマンハッタンみたいな銀座ではあるけど、骨董屋には
寒い風が吹いている。

隕石屋では、新作の打ち合わせ。開店と同時にいったけど、すぐにお客さんがきたりして忙しくなってきたので、
5分でだいたい話がきまり、歩いて出光美術館にいく。
ここは、昔から外国人がよくくる。仙厓和尚の絵や、古唐津の「ホンモノ」は、ここで見るのが一番、を知っている
精神的文化力の高い人たちが集まる場所だ。

先日は仙厓和尚の「指月布袋画賛(しげつほていがさん)」のことを書いたけど、もうひとつ「柳の木が、強風に揺れている絵」が有名だ。

木にいらぬ 風もあろうに 柳かな

と揮毫され、落款のよこに「堪忍」と書いてある。

生きていると、気に入らぬ人間関係などに苦しむこともあろう。でも根をしっかり張り、幹を太く(自分らしく生きる)
していると、自然に流すことができ泰然自若な境地でいられるものだ。ともかく「堪忍」が肝要・・・
出光翁のは、この絵を通してそんな風なことをおっしゃっていたみたいです。

五月病の季節。「上司がバカだから・・・(店長が・・・の本がヒットした)」とか、年がら年中「気に
いらぬ風」が吹いている人は、深呼吸しながら銀座を散歩し、隕石屋カフェで珈琲を飲み、皇居の緑を見ながら、
出光美術館にいくことをお勧めします。
「堪忍」ばかりすると、袋が切れることもあるので、なにごとにも「感謝」の気持ちで通っていくことを、おすすめします。感謝。

ゴールデンウイークはこのパワースポットにいこう?

今朝の朝日新聞のテレビ欄のところに、「出光美術館」のCMがあった。
創業者の出光佐三さんは、福岡県の宗像出身で、出光興産の発祥地の門司にも
美術館があった(まだある?)。
昭和49年に宗像高校の修学旅行で上京した時、まだ存命の「店主」(本人は、会社
が大きくなっても、社長ではなく「店主」という肩書にこだわった)に、栄太郎飴をもらう、
というのが、わが母校の「ならわし」だった。
普通の県立高校だったけど、出光翁の「陰徳」で、美術品とか、設備などが、普通でない私立とかの高校
よりも、充実していた。ぼくの「骨董病」もそのころ罹病した?。

今朝の広告には、出光翁の蒐集で有名な江戸の奇僧「仙厓(せんがい)和尚」の「指月布袋画賛」がのっていた。
。お腹がぽってりした布袋様と子どもの構図。布袋様が月を指さして、子供が見ている。そこに『お月様 幾つ 十三、七つ』と贊が
揮毫されている。

翁はこの絵が気にいっていて、複製して、各営業所に飾り、この絵を通して社員(店員?)と禅問答みたいなことをやっていたらしい。

「自噴の水」という社内報みたいな本の中に、そのようなことが書いてあったことを思い出した。

その本は、同じ郷土出身で、銀座で「隕石直売所」をやっている王子に譲った(笑)ので、手元にないばってん、
こんなことが書いてあった。

・・・布袋様は、月を指して、「あれが月だよ」と教えている。でも子供は、親の手元を見ている。
親子でも夫婦でも、友達、仕事仲間の関係も、同じようなことがままある。「伝えよう」と思うのが、
往々にして「伝わらない」のが、人間関係の常。「伝える」よりも「伝わる」ことが大事なのだ。

政治家の答弁や、問題を起こし謝罪する会社のトップ、テレビのコメンテータやお笑い芸人・・・みんな自分の立場を守る「ポジショントーク」にあけくれて、「本心」が見えない世界をみんなで浮遊している。ましていわんや、メールで他人と会話していると、
「伝える」「伝わる」どころか、「デジタルタトゥー」みたいな「壊れもの」になる危険をはらんでいるのが我々の日常だ。
出光興産の社是は「人間尊重」。
少し時代おくれの感がある言葉だけど、時代が忘れてしまった言葉なのかもしれない。「日本人にもどれ」
という著書もあったけど、在日日本人の我々に対するメッセージも色あせていない。

ゴールデンウィークは、皇居の横にある「出光美術館」にいくと、ゴールデンな「邂逅」があるかもなんばん。感謝。

月曜の朝は、玉子かけごはん・・!

昨日の夜から東京は雨が降っている。
今日も、一日雨。

「玉子かけごはん」のごはんを珪藻土竈(かまど)で炊く。
火起こしにで炭をおこし、ちゃんと洗った(みがいた!)お米を
羽釜にいれて、重い木の蓋をして炊く。
♪はじめちゃろちょろ なかぱっぱ ぱんぱらぱんでも ちょっとがんばれば みなできる

のだ。

「おこげ」がおまけの、銀しゃりができあがる。
残った炭火を、小さな珪藻土七輪に移し、その上に手回しの焙煎機をおいて、ブラジルから焙煎。
ブラジル、コロンビア、デカマラ、もといガテマラ、+なにかもう一種を順番にして、ブレンド
すると、「ほぼぶらじる」ができあがる。
これから、アイス珈琲や、水出し珈琲の季節。
ほぼブラジルを、「UFO焙煎器」にいれて、パチパチと爆ぜるまで焙煎すると、
それを水出し珈琲の器具で、ポトポト落としていくと、おいしい水出し珈琲ができる。

今朝の味噌汁は、妙高高原の「こごみ」が入っている!

なんだか知らないけど、「炭火」を使って、ごはんと珈琲の仕事をする月曜日は、
一番好きな曜日。雨もまたよし。「雨の日と月曜日は」を聴きながら、できたての珈琲を飲む・・・感謝。

究極のしんちゃんのそば!

昨日の「そば打ち教室」には、珠洲の女子が入門してきた。
家は全壊し、「まだ見に行っていない」とのこと。「これからのために
そば打ちをやりたい」。コロナの前にも、珠洲ゆかりの男子がそばを
習いにきたことがある。縄文なる能登人・・・

目的意識がしっかりしていて、真剣にそばを身に着けたいとの「思い」が伝わって
くるので、こちらも気合をいれて、伝授する。
「どんなそばが好っきゃねん?」と質問したら、「しんちゃんのそば」と即答がかえってきた。
「まじめに3年くらい通ってきたら、そのレベルのそばが打てるようになるかもなんばん」と返事。

「しんちゃんのそば・・細いそばで、角がある」・・・水回しがしっかりできていて、均等に薄くのばした後、切れ味(スピードも含め)
のいい包丁さばきを必要とする。
だいたい初心者は、2時間くらいかかって、きしめん、ときには、ほうとうみたいな、そばともうどんともつかない
「そばどん」みたいな成果物を持ち帰って、家族に「これどげんして食べると?」というようなところから始まる。

今日は東京生まれの女子が「そば打ち」にくる。二回目だ。「天真庵のそばが目標です」とのこと。
それだと、がんばれば、一年でOK牧場だ。

ちなみに、しんちゃんのそば、とは、奥能登で有名な宿の主人が打つそば。
「湯宿 さか本 」で検索したら、宿のHPがでてくる。
滋賀の「月心寺」の庵主さま(ほんまもん)に師事し、鎌倉の「辰巳芳子先生」直伝の「ブリ大根」は名物料理になっている。

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」二階では「ゆるゆるヨガ」。
ヨガの先生・かすみちゃんは、ぼくのそばのお弟子様でもある。
「ヨガった後のそばは最高」という。彼女も石川県出身。

明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

門前のそばのそばや

昨日の話の続きみたいやけど、總持寺の門前に「手仕事屋」というそばやがある。
豆腐屋もやっていて、昼の豆腐御膳みたいなメニュでは、冷奴やがんものたいたんがでてくる。
京都や奈良もそうだけど、禅寺があるところは、精進料理が伝わるので、うまい豆腐屋が多い。
ここのそばは、輪島塗の平皿にアテ(能登ヒバ)の葉を敷いた上に、主人が毎朝打つそばがのせられて
でてくる。被災して、しばらくはガレットのテイクアウト営業をやっておられるけど、また復活したら、
イの一番に食べたくなる能登のそば。「手仕事屋」という屋号にスピリッツが籠っている。

今日は、ぼくもそばを打った。ラジオからロッド・ステュアートが流れてきた。
いつもは「びん棒」と呼んでいるのし棒を、エレキギターに見立てて、踊ってみたくなるほど、
ノリノリのロックンロール。傍らで掃除している筆子さんが「能登と東京の両方のリズムにすぐに対応できて
すごいね」と呆れた顔して笑っていた。

さすがに、能登から東京にもどってきた日は、「思考」も「体」も、時間差攻撃にさらされる。
昨日は、朝はやくおきて、香取神社まで徘徊散歩。少し時差がとれる。
仕込みの途中に、亀戸の骨董屋が2週間入院して
やっと退院との電話をいただき、煎茶をもって元気になった顔を見にいく。
いつもは、主人が抹茶をたててくださるのだが、昨日はぼくが煎茶を淹れた。
「急須借りますよ」というと、「いい急須が手に入ったからそれ使って」といって、小ぶりの朱泥の急須を貸してもらった。
「冗談だじゃない、これ、じょうざんやね・・」というと、「さすが」とニコリ顔。

「京島の取り壊される長屋に買い取りにいったら、娘さんが『じいちゃんが死ぬまで愛用していたんです』って」
京島の長屋も、不動産バブルの泡にまみれ、絶滅危惧種になりつつある。仕事場と職場を兼ねた狭い部屋に、
手あぶりで暖をとり、五徳の上に薬缶をのせ、手仕事の合間に句読点を打つように、愛用の急須で茶を淹れ一服。
そんな日本人のものつくりの小さな拠点が壊され、マンションなどが立ち、街の景気が上塗りされる。
界隈の新築のマンションも、億超えや、それに近い価格になってきた。じいちゃんの「清貧」と、
億ション生活・・・どちらが「ゆたか」なんやろ・・・?

そんなこと考えながら、到来ものの煎茶をすすっていたら、「この急須いる?」と骨董屋の主人のビットがたった。
骨董屋が「いる?」と問うと、「買うか?」という意味だ。
「ぼくも、このじいちゃんの魂を受け継ぎ、清貧な暮らしの中で、お茶を楽しむことにした」と、丁寧にお断りした。
常滑焼の急須で、人間国宝になった山田常山先生の逸品の京島急須物語。感謝。

今日明日は12時から16時。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
今日明日は新人の女子の「そばもん」がそば打ちにやってくる。明日は二階で「ゆるゆるヨガ」
明後日の朝(8-10)は玉子かけごはん。

道元さん、どげんして福井や能登へいったとやろ?

先月、北陸新幹線が延びて、福井に旅する人が増えているようだ。
昨日の朝、能登を出発。霊水公園で水を汲み、和倉温泉の総湯で
ひとっ風呂浴びて、夜の10時くらいに東京に着いた。

昨年の6月、京都のホテルで珈琲のイベントがあり、福井から鯖街道を通って、
大原にいったことがある。東京から能登よりも断然短い距離だ。もっといえば、
同じ石川県の小松から珠洲に行くよりも、小松から京都のほうが近い。
不動産の価値も、道路や鉄道も、「採算」を重視すると、どうしても「東京から」
という発想になるけど、ちょっと見方をかえると、直観力という強い味方がついてくる。

曹洞宗の道元さんが比叡山を下り、鯖街道か名古屋から古道を通って福井にいき、永平寺を建立した。
「分け入っも分け入っても青い山」の山頭火みたいな旅だったと思う。
道元・・・名前に道をつけるくらいだから、道なき道を歩むのが好きだったのだろう。
もともと、道とは、首が転がっている地面を表す象形文字だといわれる。
いろいろな旅をしながら、行き倒れになる人生を、そのまま表していておもしろい。

道元禅師が鬼籍に入ったあと、弟子さんたちが永平寺を出て、新しい伝道を始めた。
その拠点になったのが、今回の地震で大きな被害を受けた輪島の「門前」。
よく「どのお寺の門前ですか?」と聞かれる。總持寺の本山だった祖院の門前のことだ。
たぶん、北前船で富を得た黒島あたりの賑わいで、人や文化が交流して、その財力も能登總持寺
の発展には、かなり寄与したに違いない。その「黒島地区」も未曾有の被害を被った。
今の「成金」と違って、その当時の商人たちは、儲けたお金を、お寺に寄付したり、後進の育成のために使った。

神奈川の鶴見が「石原裕次郎の葬儀」をやったりして有名だけど、明治時代に能登の總持寺が火災
にあい、なんらかの政治的な影響もあって、鶴見に移った歴史がある。

京都、福井、能登、鶴見・・・・道元禅師の足跡をたどって、座禅をしてみると、
「いごこち」とか「尻のすわりごこち」とか、いろいろ各自で感じるものの違いがあるのではなかろうか?
「どこに住もうか?」とかいうことも、ひょっとしたら、そんな尻のまわりが感じる直感みたいなもので
決まったりするのかもなんばん?もじもじしていたら、九州のさいはての門司あたりにいくつく。
布刈神社(めかりじんじゃ)のあるいいとこ。感謝。

明日から営業。土曜日曜は12時から16時。それから「そば教室」「UFO焙煎塾」