月曜の朝は玉子かけごはん

昨日は、そんな月曜日。
いつもは、能登の珪藻土竈(かまど)で、ごはんを炊き、
残った炭火を、別の珪藻土七輪に移して、その上に手回しの焙煎機を
おいて、ガラガラと炭火焙煎をする、という順番。

でも週末に、銀座や麻布のカフェから「お豆の注文」が相次ぎ、
昨日は、♪右手(めて)に血刀(ちがたな)
左手(ゆんで)に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年・・・

まるで田原坂の歌のように、左に竈 右に七輪をおいて 醜じいさん(もと 美少年?)が
同時にふたつの仕事をした。どちらも、香りをきく、というか鼻が大事な仕事。花粉症や蓄のう症の人
では具合がようないかもなんばん・・?

美味しい朝ごはんの後に、焙煎したての珈琲・・・朝ごはんの王道だと思う。
大手の飲食店チェーンが、朝ごはんに力を入れだした。290円、というのが標準価格、
というか、お互いに競争するから、そんな値段になるのだろう。
株価が4万円を超え、バブル期を抜いたなんていうことが話題になっているけど、
内容はさもしいものがある。株価、土地の値段、政治家の裏金などは、あがっているばってん、
実質給与がさがり、税金や物価が高騰し、庶民の暮らしは青色吐息だ。

今朝の新聞に、「能登地震、二次避難所から一次避難所へもどる傾向」と記事。
つまり、二次避難所のホテルなどに避難していた人たちが、地元にもどりたいとのことで、
地元のが小学校などにある一次避難所にもどる傾向が強い、とのこと。
大きな被害にあった、奥能登の人たちは、大惨事に藻舞われたけど、やっぱり能登が大好きだ。

東京にまた直下型の地震がおきたらどうなるのやろ?と最近よく思う。みんな帰りたい「こころのふるさと」あるのかしらん?
顔も話もしたことのない隣人さんたちと助あうのだろうか?トイレもままならない避難所で、いっしょに身を寄せ合いながら暮らせる?
能登みたいに、軽トラに被災した家具や濡れた畳(畳がある家はないか?)を、神宮球場みたいな
ところに運ぶのだろうか?(ぼくの家がある志賀町は、近くの野球場が、被災ゴミの収集所になっている)。
全壊した人たちは、抽選で「トレーラハウス」などの臨時の家に入れるけど、期間が2年。
全壊は、600万円でるらしいけど、ローンも組めない老人たちが、600万円だと絶望的だ。
大きな声でいえないけど、まさかという時にかけた「地震保険」、まさかの時は、まさかの時扱いにされるようだ。
保険というのは「どうもと」が儲かる仕組みになっているのを痛感する。

人生には、「のぼり坂」 「下り坂」 と「まさかの坂」があるらしい。
前のふたつは、経験とか、努力とかでなんとかなる坂。
「まさかの坂」は、ひごろのつきあいとか、人間性がないと超えられないようだ。
能登だけでなく、今はどこも「まさかの坂」の時代である。

最近のAIに「最後に生き残る人は?」と質問すると、「お金や地位がある人」ではなく、
「人に譲る気持ちをもっている人」という答えがでたらしい。
能登人だけなく、今年は「正月」から時間がとまっている。能登では、玄関先にしめ飾りが
飾ったままの家が多い。きっと、家の中には、鏡餅などが飾られたまんまだろう。
しめ飾りや、かがみ餅に飾る緑の葉を「ゆずりは」という。
新旧のいれかわりを願う神事だ。今年はきっと、大きな変化がある年なんだろう。感謝。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です