三日目にして、はじめてごはんを炊いた。
どこからか、救援物資の到来ものに、2kくらいのお米が入っていた。
そのお米を二合、もち麦を少しいれて、いつものように土鍋で炊いた。
ガスは契約していないので、カセットコンロで・・・
インスタントの味噌汁も救援物資に入っていた。プラス酒粕と、近所の
おばあちゃんに昨日もろうた黒藻(高級な能登の食材)をいれ、みそ汁。
救援物資の袋に入っていた「焼き海苔(有明産)」と、能登梅と能登塩で
つくった梅干し。食後のデザートは、東京に届いた文旦。
「何の不足もない」
食後の珈琲はお預けで、すぐに昨日てんやわんやの大騒動だった車庫の片づけ。
棚に置いてあった木材が壊れた。「明日、区役所に廃棄物処理場ができたので、軽トラで運ぶわ」
といってくれた近所のじいちゃんのお言葉に甘え、車庫の前にみんなだした。すぐにじいちゃんと
東京から加勢にきてくれた息子さんが車庫にきてくれた。
木材の中に、直径15センチくらいの丸い木があった。
「これもろうていい?」というので、「どうぞどうぞ!」というと、じいちゃんは満面笑み。
「?」と思っていた。ふたりが軽トラで運んでくれた時、もうひとりのご近所さんが
きて、「この棒は?」と聞くので、「じいちゃんが欲しいらしいです」と言うと、
「まだ船をやる気力があるんだな~」と笑っている。「?」な顔していたら、
「彼の伝馬船は津波で流された」ということを知る。しかも家も半壊・・・・
河島英五の「時代おくれ」に、♪あれこれ仕事もあるくせに 自分のことはあとにする・・がある。
洒落にもならないくらい、頭が下がる。
午後は、雨漏りがひどい二階に、ブルーシートを使って、緊急の雨漏り対策。
そして、二度目というか、少し手違いがあったので、再度「罹災証明」の手続きにいく。
今日は、岡山からかけつけた君の顔も見え、「よっ」と手をあげて挨拶をし、神奈川県から
かけつけてくれたボランティアくんが応対してくれた。
家も全壊、身寄りもなく、仮設住宅のクジ運にも見放されたじいちゃんたちの、途方に暮れた
話などが聞こえてくる空間で、「今回の能登の地震のすさまじさ、と身につまされる現実」を感じた。
手続きが終わり、帰ろうとしたら、ラジオ体操第一の懐かしい音がきこえてきた。
役所の二階が、避難所になっていて、避難しているじいちゃんやばあちゃんのエコノミー症候群防止
のために、やっているのだろう。うっちゃっていくのもなんなので、ひさしぶりにみんなといっしょに
ラジオ体操に参加。
家には二週間くらいの食材はあるのに、筆子さんが「食材を買いにいきましょう」というので、
役所の近くの「元気」という地元のスーパーへ。
「ねこ元気」を3袋、牛乳4パック、いりこ・・・・・を買い物かごにいれ、レジへすまし顔。
3か月ぶりに、野良ネコちゃんたちの無事を確認し、奮発するみたいだ。
これももうひとつの「時代おくれ」だ。
ネコちゃんたちも、久しぶりの御馳走にのどを鳴らしながら、ご満悦な様子だった。
ぼくたちは、近所のおばあちゃんにいただいた大根を、ストーブで昆布で炊き、梅味噌を
つけて「能登の風呂吹き大根」をつくり、谷泉のぬる燗で夕食。
水もなく、避難所暮らしを2か月やった集落の人のことを思うと、贅沢な夕餉だ。
ぼくは、この3日間、一円も使っていない。それどころか、財布がどこにあるのかも失念している(笑)感謝。