今日の営業を16時に終えたら、片づけをして能登に帰る。
帰る家は、どげなふうになっているか、わかないけど、立ってはいるようだ。
あちらで、焙煎ができるかどうか微妙なので、ついこないだ注文があった銀座の「隕石屋カフェ」
の王子さまに早朝に、「どげ?」(どうでしょうか?)とメールをしたら間髪をおかず、「
いただきます」とのことなので、能登の珪藻土七輪に炭火を起こし、焙煎して、さきほど箱詰め完了。
今回は、なるべく多くの縁ある人に、あたたかい一杯を届けたいので、たくさん焙煎した。
木曜日の焙煎教室に通う珈琲のお弟子さまには、「温泉水」というのを「能登に届けてください」
といっぱいいただいた。昨日は、鹿児島の文旦(ぶんたん)と、土佐のたんかんが、それぞれの知人から
一箱届いた。「ブログを読んで、能登にかえるみたいなので、能登の人に届けてください」とのこと。
文旦の箱には「西郷さん」、たんかんの箱には「竜馬」のイラストがついてある。
あたたかいご厚意に感謝しまくりの日々。陸の北前船のように、車の荷物がいっぱいになった。
今朝の朝日新聞の一面に、「輪島の中学校の卒業式」の話題がカラー写真でのっていた。
正月そうそうに大地震で日常が壊れた子供たちも、学び舎から巣立っていく。
能登の家は志賀町にある。輪島との境だ。家の近くにスクールバスがとまる。
小学生から中学生が同じバスで通学する。場所は別々のところだが、9年間同じバスで
学校に通う。ときどき、タコ釣りの帰りにバスを待つ生徒たちと出会う。
「早寝 早起き 朝ごはん」の標語が身に着いた能登の学生たちは、みんな元気で
「おはようございます」と挨拶してくれる。こないだ前まで、全国的に尋常だった「挨拶」
が新鮮に感じられるのは、やはり世の中が、尋常でなくなった、ということだろう。
今日は3月10日。東京大空襲から79年、との誌面があった。
天真庵の建物は、大空襲の年に焼かれて建てたので、おなじく79歳になる。
世のなかがまた戦争モードになってきた。株価が異常にあがったり、
半導体が沸騰しているのも、各地で半導体をのせたミサイルが、いったりきたりしている
のが大きな要因だ。そのミサイルの先に、「人」がいることを忘れ、「前のバブルを超えた」とかいって喜んで
いるのは、尋常な精神といえるのだろうか?みな尋常小学校からやり直しかもなんばん。
23日(土曜日)から、また営業いたします。感謝。