UFO珈琲天真庵17才

今朝の新聞の見出しが、「能登地震明日で3か月」。明日4月1日は、天真庵の誕生日。17才。南沙織だ。
一月がいき、二月が逃げて、三月が去る・・・というけど、
なんとなく、時間が止まっている感じがする。それでも自然は、自然のまま
ゆるやかに時は流れ、お店の前に群生しているシャガが、淡い花を咲かせた。

お花の武内先生が、吉祥寺の自宅の庭に咲いているのを、花材としてもってきて、
それを6年前に店先の街路樹の植えている「土」のところにさしたら、うまく根付いた。
その年のクリスマスに、突然彼女は若くして召された。毎年春にシャガの花が咲く時に、
「今年もきれいに咲きましたね」という声が聞こえる。トイレの安土さんのガラスの花器に投げ入れた。

昨日は開店前に、貴婦人(常連さんだけど・・・)が、「少しはやいけど、いいですか?」
といって、入ってこられた。英語の会によくこられていたかたで、「もうわたくし、後期高齢者になりましたの・・ホホホホ・・」
とのこと。御主人の仕事の関係で、海外生活が長く、英語も流暢だけど、美しい「ざーさま言葉」を上品に操れる稀有な
夫人だ。2000年前後にニューヨークによくいってたころ、あちらの駐在員さんの奥方たちも、美しい「ざーさま言葉」
を身につかれていたことを思い出した。

「能登のお家のことが心配で心配でしかたなかったのですが、毎日ブログっていうんですか?それを拝読していまして、元気でいらっしゃることを存じて安心しておりましたわ・・ホホホホ」とのこと。
「それは、おそれいります」と頭を下げると・・・
「今朝のブログも興味深く拝読させていただきました」というので、ドキっとする。
「わたくし、薄学なもんですから存じませんでしたワ。能登のほんとうの意味。ノがトになるんですって?ホホホホホホ・・」とホがいつもよりひとつふたつ多くて目を細めて笑っておられる。アイヌ語の「ノ」と「ト」の話だ。
こんな話を素面で朝から話せる「育ちのよさ」に感心した(笑)

近くの常連の4人家族さんは、明日熊本に移住される。「骨なし灯篭ば、観てね」といって握手したら
「またきます」といって笑顔で惜別。
梅林ガールズのひとりも、転勤になって明日から大阪にいく、というメール。

この杯を受けてくれ
どうぞ なみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

今日は12時から16時まで営業。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

明日の朝(8-10)は、「玉子かけごはん」

能登御神乗太鼓

昨日、仕込みをしていたら、NHKFMから美空ひばりの「太鼓」が流れてきた。
小椋佳作詞作曲。能登の輪島の御神乗(ごじんじょ)太鼓をテーマにしたうた。

水曜日の夕方、徘徊散歩から帰ってきたら、齢(よわい)82歳です、とにこやかに笑いを浮かべながら、
「地震の見舞いです」といって、銀座のキムラヤのアンパンをもってきたおじいちゃんがきた。
ときどき、押上から八広界隈をぶらぶら徘徊散歩するのが趣味らしい。お店には、なんどか来たことがあるけど、「水木(定休日)」
「能登休み」にひっかかることが多い、と苦笑しておられる。

「珈琲を淹れますね」といって、ホボブラジルを淹れて、談論風発。
キムラヤのアンパンとホボブラジルも、けっこうあう(笑)

「楽しかったです。そろそろお暇(いとま)します」といった後、カバンから、
「これわたしは読んだので、あなたにさしあげます。どうぞお読みください」といって、一冊の本をくれた。
「吠えよ御陣乗」(荒井碧)。御陣乗太鼓は、輪島市の名舟神社、舳倉島に伝わる伝統芸能で、お面を被った男たちがが陣太鼓を打ち鳴らしながら勇壮に舞う。毎年正月に行われる神事だけど、今年は地震があったので3月3日、白山市の神社で奉納された。
能登の海女さんで知られる舳倉島の神様は、宗像神社のアマテラスさまの三女神を祀っておられる。
1569年ころ、宗像の鐘崎から13人の男女が、舳倉島までいき、海女の技術を伝授したのが、能登の海女さんのはじまり、
といわれている。そんなこともあって、最初に御陣乗太鼓を聞いた時の腹の底までズンとくる響きが、「どことなく九州やな」と感じた。

木曜日に本を読んで、次の日の朝に、美空ひばりさんの「太鼓」がラジオから流れてきたので、不思議なシンクロを
感じながら、仕込みの手を休めてきいた。
おじいさんからいただいた本には、赤線や赤〇や、書き込みがたくさんあった。「こんな本の読み方もあるんだ」
と、内容も涙なしには読めないけど、感心しきりで読破。

本の中に、志賀町の「あかりちゃん」という日本で一番古い灯台のキャラクターになった福浦港の話があった。
そこには、「腰巻地蔵」が祭られてある。北前船や富来の金山から金を運んだ港。やはり遊郭があった。本文を紹介・・・

能登の福浦(ふくら)には、腰巻地蔵という地蔵様があるが。それには面白い話が残っている。
ある遊女がたまたま泊まった水夫に惚れてしまい、逗留(とうりゅう)を長引かせようと、一計を案じて、
自分の腰巻を地蔵様に被せた。すると、地蔵様は女の香りを放つ緋色(ひいろ)の腰巻に刺激されて怒り狂った。
案の定、遊女が望んだとおりに海は荒れに荒れて船出はできず、水夫は。女の熱い思いに抱かれて、長逗留をする羽目に
なり、以来、この地蔵様は「腰巻地蔵」と呼ばれたのだ、と。

(注)この本の冒頭に、「能登とは、アイヌ語で『おちんちん』のことだ。ノが平常の小さなちんちん。
それが勃起して、トになる」とあった。
お地蔵さんは、怒ったのではなく、静かに鎮座したノが、艶冶な香りをかいで、緋色(ひいろ)の腰巻の下が、炎色(ひいろ)のトになって、
海が荒れたんじゃなかろうかしらん?こんど福浦にいったら、お地蔵さんに聞いてみます!

・・・映画「リトル・マエストラ」の予告編がユーチューブで見られる。
福浦港がロケ地だ。監督は、「九州気骨の会」のメンバーでもある雑賀俊郎くん(東筑高校卒)。
能登と九州とは、不思議なシンクロニシティーがいっぱい。感謝。

いろんな土地を徘徊散歩

先々週、越中滑川(なめりかわ)の駅前のホテルをとって、能登にいった。
いつものコースと時間だと、能登に夕方つく。暗くなって家に入り、家具や壁が壊れ、
雨水が漏れたような状態をみると、きっと絶望すると思い、滑川の駅前にある施設の5階にあるお風呂から
富山湾超しの能登半島を眺めながら都塵を流し、ホテルにチャックインした後、徘徊散歩。
滑川は、ほたるいかの産地で有名だけど、昔は京都の荘園だった。なんとなく、京都の残り香みたいな
ものが残っているようなところだ。

どこの町にいっても、どこの町にもあるようなチェーン店や、カフェにはいかない。フタバは、
まだいったことがない(正確には、ニューヨークからガラス作家のタナカナのアトリエまでバスでいくとき、
彼女が『長旅なのでスタバの珈琲を飲みながらいかない?』というので、ターミナルのフタバにはじめていって、珈琲を
ふたつ買った。それが最初で最後のフタバ物語)。

滑川をブラブラしていたら、「立ち飲み」の居酒屋を見つけた。まだ陽が明るいのに、3人の男子が飲んでいる。
「ちわっす」と店に入って「日本酒」を注文したら、立山(富山の代表的な地酒)を、升にグラスのスタイルで
並々もってきてくれた。3人の先客のひとりが、「ポテサラとセロリのサラダ」を注文した。
「セロリのサラダ?」という顔をしたら、「このお店の人気メニュー」だというので、「じゃあ、いっしょのください」
と所望。地元の黄金色した醤油を使ってつくる「セロリのサラダ」は想像以上にうまかく、立山を三四杯おかわりした。
「東京と能登の二股暮らし」の話などで盛り上がって、「こんど東京に遊びにいった時に、天真庵にいきます」と
約束。だいたい、酒場で交わした「こんど」というのは、実現したためしはない。
ところが、今週の火曜日の夕方、3人が新幹線にのって滑川から天真庵にそばを手繰りにこられた。
「滑らない街 滑川」と駅前に看板がかかげてあったばってん、びっくらした(笑)

水曜日は「歯医者」。錦糸町に用があったので、歩いていき、「大塚行」のバスで大塚までいき、
歩いて、滝野川の小林歯科まで。途中に「天真庵発症の地」(今はマンションがたっている)の前
にある「トキワソース」(創業101年 日本で一番古いソースや)で、「生ソース」を買って
歯医者。このソースは、「牛すじカレーの隠し味」に使うけど、コロッケにかけると美味い。
買う瞬間にパブロフの犬みたいに、よだれがでる(笑)
帰りは、埼京線の板橋駅から池袋経由、秋葉原まで山手線、そこから亀戸まで総武線というコース。
亀戸の骨董屋の近くにある「鳥長」というお店の「十勝コロッケ」を買ってかえり、生ソースをかけて
一献。

「徘徊散歩のおすすめ」みたいな本が書けるかもなんばん!感謝!

月曜の朝は玉子かけごはん

昨日は、そんな月曜日。
いつもは、能登の珪藻土竈(かまど)で、ごはんを炊き、
残った炭火を、別の珪藻土七輪に移して、その上に手回しの焙煎機を
おいて、ガラガラと炭火焙煎をする、という順番。

でも週末に、銀座や麻布のカフェから「お豆の注文」が相次ぎ、
昨日は、♪右手(めて)に血刀(ちがたな)
左手(ゆんで)に手綱(たづな)
馬上ゆたかな 美少年・・・

まるで田原坂の歌のように、左に竈 右に七輪をおいて 醜じいさん(もと 美少年?)が
同時にふたつの仕事をした。どちらも、香りをきく、というか鼻が大事な仕事。花粉症や蓄のう症の人
では具合がようないかもなんばん・・?

美味しい朝ごはんの後に、焙煎したての珈琲・・・朝ごはんの王道だと思う。
大手の飲食店チェーンが、朝ごはんに力を入れだした。290円、というのが標準価格、
というか、お互いに競争するから、そんな値段になるのだろう。
株価が4万円を超え、バブル期を抜いたなんていうことが話題になっているけど、
内容はさもしいものがある。株価、土地の値段、政治家の裏金などは、あがっているばってん、
実質給与がさがり、税金や物価が高騰し、庶民の暮らしは青色吐息だ。

今朝の新聞に、「能登地震、二次避難所から一次避難所へもどる傾向」と記事。
つまり、二次避難所のホテルなどに避難していた人たちが、地元にもどりたいとのことで、
地元のが小学校などにある一次避難所にもどる傾向が強い、とのこと。
大きな被害にあった、奥能登の人たちは、大惨事に藻舞われたけど、やっぱり能登が大好きだ。

東京にまた直下型の地震がおきたらどうなるのやろ?と最近よく思う。みんな帰りたい「こころのふるさと」あるのかしらん?
顔も話もしたことのない隣人さんたちと助あうのだろうか?トイレもままならない避難所で、いっしょに身を寄せ合いながら暮らせる?
能登みたいに、軽トラに被災した家具や濡れた畳(畳がある家はないか?)を、神宮球場みたいな
ところに運ぶのだろうか?(ぼくの家がある志賀町は、近くの野球場が、被災ゴミの収集所になっている)。
全壊した人たちは、抽選で「トレーラハウス」などの臨時の家に入れるけど、期間が2年。
全壊は、600万円でるらしいけど、ローンも組めない老人たちが、600万円だと絶望的だ。
大きな声でいえないけど、まさかという時にかけた「地震保険」、まさかの時は、まさかの時扱いにされるようだ。
保険というのは「どうもと」が儲かる仕組みになっているのを痛感する。

人生には、「のぼり坂」 「下り坂」 と「まさかの坂」があるらしい。
前のふたつは、経験とか、努力とかでなんとかなる坂。
「まさかの坂」は、ひごろのつきあいとか、人間性がないと超えられないようだ。
能登だけでなく、今はどこも「まさかの坂」の時代である。

最近のAIに「最後に生き残る人は?」と質問すると、「お金や地位がある人」ではなく、
「人に譲る気持ちをもっている人」という答えがでたらしい。
能登人だけなく、今年は「正月」から時間がとまっている。能登では、玄関先にしめ飾りが
飾ったままの家が多い。きっと、家の中には、鏡餅などが飾られたまんまだろう。
しめ飾りや、かがみ餅に飾る緑の葉を「ゆずりは」という。
新旧のいれかわりを願う神事だ。今年はきっと、大きな変化がある年なんだろう。感謝。

輪島の「酒ブティックおくだ」

能登の家から、毎月輪島を通って、珠洲にいくのが日課というか月課だった。
輪島に輪島塗会館なるものがあり、そこから朝市があるところに渡る橋の手前に
「酒ブティクおくだ」という酒屋がある。午前中からやっているので、つい立ち寄って、
能登の地酒を調達するのがならわしになった。
お店は若夫婦(三代目)で経営していて、昨年は念願の嫡男が産まれた。
ぼくの顔を見ると、得も言われぬ笑顔を見せてくれる。「15になったら、いっしょに飲もうね」
といっているようだ。(九州はそのあたりで飲むのが普通だけど、能登は18歳?」

昨日のれんをだして、しばらくしたら、日焼けしたにいちゃんがそばを手繰りにこられた。
「花巻とUFOください」という。花巻とは、江戸そばの定番で、あったかいそばに、江戸前ののりを散らせたものだ。
東京湾でのりがとれなくなってからは、有明海産を使うようになり、それもあやうくなったので、そばやのメニュー
からは消えた幻のメニューだ。能登に住むようになって、春をまつ今頃の季節に、おばあちゃんが岩に座り込んで
岩ノリを獲っている姿に感動して、一昨年メニューに入れた。器は能登の「合鹿碗」(ごうろくわん)。
一客5万円くらいするけど、「ままよ きんたま おとこのこ」と、いつも骨董品や調度品を買う時に
唱える呪文を発生し、5客買った(笑)昨年「ところさん おとどけもの」で紹介されてからこっち、天真庵の
人気メニューになった。それを食べに、北九州から友達ノージが、わざわざ食べにきてくれたり・・・

UFOとは、能登の地酒の「遊穂」。UFOで町おこしに成功した羽咋(はくい)にある酒蔵のお酒。
その黒い顔したにいちゃんに「しぶい組み合わせですね・・・?」といったら、
「こないだまで、二週間能登の輪島に救援活動にいってました。その時、オクダさんと出会い、
『スカイツリーの近くに、能登の食材をつかったそばや、UFOなどの地酒をだす天真庵というのがありますよ』
と聞いたのできました」とのこと。
こんなご縁がまわりまわって、いろんな出会いや物語がうまれるんやな・・と感動した。

今回は、自宅の片づけにおわれ、輪島やブテイックおくだにいけなかったけど、
出産祝いの能登焼きの酒器を能登の家まで運んだ。
今回の甚大な被害の中心の珠洲に「丸和工業」という珪藻土七輪やさんがある。一昨年、昨年と震度6の地震で窯が壊れた。
その時、片づけを手伝っていたら、ちゃねって「珪藻土で焙煎・・・UFO焙煎器」ができた。
その珪藻土を使って、久保さんが桃山陶の「黄瀬戸」(キセト or キゼト」を作り始めた。
織部(オリベ)、志野(シノ)、黄瀬戸、が「桃山陶の御三家」。
その中でも、黄瀬戸を上手に焼ける陶芸家は、もともと少ない。もう30年くらい前になるけど、銀座で陶展を
やっていた久保さんの黄瀬戸のドラ鉢を見て感動したところから、ずっとつきあいが始まり、最近は、UFOや能登ジェラトン(隕石粉セラミック)まで、作ってもらっている。今回の「能登焼きの黄瀬戸」のぐのみで、ぬる燗を飲むと、酒が燗あがりして、
よりべっぴん酒になる。

昨日は、ソフトンバンク時代の同僚で、ソフトバンクモバイルの社長までやった後藤くんの奥方がそばを手繰りに
こられたので、一個渡して、仏壇に供えてくれるように頼んだ。一昨年、還暦を前に召された酒飲み友達でもある。

今日は12時から16時。その後は「そば打ち教室」と「焙煎塾」と「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「玉子かけごはん」

亀戸徘徊散歩

昨日ははやく起きて、仕込み。
「かえし」を二種しこむ。そばやの「命」
それから焙煎したり、そば豆腐をつくったり・・・
新潟の「道の駅 新井」で、おばあちゃんの手作りのこんにゃくが売っていた。
食べたくなって、「がめ煮」(筑前煮)を作る。にわとり、ごぼう、にんじん、サトイモ、高野豆腐、レンコン
でつくる。味付けは、そばの「甘醤油のかえし」、おでんなどもこのかえしで味付けする。

能登の家の押し入れに、奇跡的に雨に濡れなかった新品の座布団があって、押上文庫ちゃんに
連絡したら、「ほしい」というので、8枚積んできた。田舎の家は、冠婚葬祭を自宅でやっていたので、
座布団や器など、異常なくらい常備してある。金襴緞子のザブも何枚もある。法事でお坊さんなどに座って
もらうためだろう。なんとなく「時代おくれ」で、出番がなくなったモノだけど、「おもてなし」の原点
らしきものを感じる。押上文庫の二階は和室になっていて、最近そこで「落語」や「じょぎ」(女義太夫)や
「歌舞伎の講座」などをやっている。
なんとも、時代おくれの感がぬぐえないけど、「気がつけば時代の先頭」なんてことになるかもなんばん。
そんな風流な場所で「出番」を迎えたザブをチャリンコにのって文庫ちゃんがとりにきた。
ついでに、避難所に届いた救援物資の「お菓子」をあげた。

それから「徘徊散歩」。昨日は亀戸。亀戸天神にお詣りして、ブックオフなどにいこうと思ったら、
天神近くの骨董屋がめずらしくあいていたので入る。天真庵にある真鍮の囲炉裏、鉄の自在を最近そこで買った。
一か月ぶりに店に入ったらまた骨董品が増えていた。口癖のように「そろそろお店のものを片づけて、隠居する」
といいながら3年以上たつ。備前の人間国宝の花器、茶わん、大樋焼の茶わん、水差し・・・
「また買ったの?」と聞くと、にやっと笑って「落合のお茶の先生が亡くなって・・・」とのこと。
「これだけ名品をそろえたばあちゃん(年は聞いてないけど・・)だったら、もっといい茶わんとか、掛け軸とか
なかったの?」と聞いたら、「いいのは、家族がメルカリで売った」とのこと。

コロナもあって、お抹茶の世界も絶滅危惧種になりつつある。もちろん文人趣味の煎茶道は、存在を知る人も少ない。
「時代おくれ」の先頭みたいな世界に、メルカリという新しい時代のマーケットができ、ますます道具類の価値が
下がっている。これも時代か?
「テンバイヤー」なる新種族もでてきて、ダフ屋などがやっていた仕事を、普通の主婦らがやるようになった。
ヤクザの仕事を主婦が奪った。
被災地に集まる「応援グッズ」まで転売するのがいるらしい。生き馬の目を抜く、とはまた違った意味の
魑魅魍魎みたいな新しい人間模様が繰り広げられている今日このごろ。

今日明日は12時から16時。
それから、「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

能登半島 ボランティアが獅子奮迅のはたらき!感謝!

20日は、旗日だったけど、みぞれが降る寒い日だった。
朝10時前に、大学生(東洋大学等・・)などのボランティアさん8人が、
濡れた畳の廃棄の手伝いにきてくれた。
前の日に、太いドライバーを使って、濡れた畳を起こした。
太いドライバーが、気が付いたら曲がっていた。
昔超能力でユリゲラーがスプーンを曲げたのを思い出した。

もともと田舎の古民家の本畳は、重い。それが雨で水分を吸うと、40Kくらいになる。
東京から、レンタカーを借りて駆けつけてくれたMくん(大学生)は、必死の形相で、濡れた畳を
二階から一階へ降ろそうとしていた。「無理ばい。40Kぐらいあろうもん」といって、少し手を貸した。
二階の畳を運び出すのに、2時間ほどかかった。

リーダーの人が「お昼は、被災ゴミの集荷場が一時間休憩を取るので、ここ(我が家の玄関)で
昼ごはん(おにぎり二個)を食べていいですか?」というので、「OK牧場」と即答し、あったかい星野村の煎茶を
淹れて、一息。気温は3度くらいしかなかったので、食後に「ほぼブラジル」を御馳走させてもらった。
カセットコンロでお湯をわかし、「縄文ドリポット」で、なんどかに分けて淹れた。
漏電の恐れがあるので、石油ストーブで暖を取りながら、みんなで珈琲を飲んだ。「アンフォゲッタブルな一杯の珈琲タイム」になった。
「お国は?」と聞くと、「日本です」と答えそうな、若者たちに、「お国は?」と聞くと、
九州から北海道まで、全国津々浦々の「お国」が帰ってきた。

まだまだ、この国(日本)は大丈夫だと確信した!

いつまでも「被災者あつかい」されるのもナンだけど、生まれてはじめて被災して、いろいろな「気づき」があった。
人生いろいろなことがあるけど、「いろいろあるから人生」だし、地震や災難や困難も、「愛」がいっぱい
感じれれていいもんだ。

午後の能登は、すこし晴れた。正月に大地震が来て、神社や家のしめ飾りもそのまま、止まったままの能登に
青空は、まぶしすぎるような気がした。毎年春になると♪一筆啓上仕りそうろう!
と歌うホオジロのサエズリも、うるさすぎる気がした。夜の満天の星もしかり・・・
冷蔵庫のあまりもので、酒肴を二三つくって亀泉の残り二合を飲んで、東京に出稼ぎに行く用意をした。

出発の木曜日は、朝から雪だった。
どんより雲の能登を出発して、富山も新潟も雪で、長野に入るともっと吹雪いていた。
勝手なもので、「やはり、どんより雲や吹雪では、気がめいる」と痛感しながら、小布施をあたりまできて、
やっと雪もなく、マイナス温度がO度までもどった。

一期一会の出会いがいっぱいあった。そのぶん別れもあった。輪島の塩名人の中前さんは、天国に召された。
知り合いで、全壊や半壊の人たちは、避難所や仮設住宅にいる。
ひとりは「家は解体して金沢にいきます」とのこと。目に涙を浮かべて、「でも、また能登に遊び
にくるので、野村さんもこれまで通り、毎月きてください」とのこと。

井伏鱒二先生をまた登場させることになる。
武隆(うぶりょう)の漢詩、『勧酒』(かんしゅ)を訳した・・・備前徳利に斑唐津より、この訳がスゴイ!

゙この杯を受けてくれ
どうぞ なみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ゙

能登くらし ここのかめ

毎日、家の中のかたづけにあけくれたけど、やさしい集落の人や、
思いもつかぬ助け人がきてくれたりして、それなりに日々是好日だ。
昨日も隣のじいちゃんと軽トラで、被災ゴミの集積所になった野球場にいく。
少し耳が遠くなったじいちゃんが聴く大音量のラジオから井上陽水の「傘がない」が流れてきた。
先月錦糸町で観た「パーフェクトデーズ」な気持ちになって、補聴器をつけたじいちゃんの横顔を見たら役所広司に見えて笑ってしまった。

今日は、旗日で、朝から冷たい雨が降っているけど、もうすぐボランティアの人たちが、濡れた畳と、
家の前にあった塀の瓦礫を、撤去しにきてくれる。感謝感謝。
それが終われば、車庫の二階に置いてある器(もともと、この家で冠婚葬祭や祭りの時に使っていたもの。
どこのうちも、大家族で、器や漆塗りの器がいっぱい)を、野球場に運ぶ予定だ。

♪だけども 問題は 今日の雨 屋根がない・・・

ピアスのウルトラマンさんが来てくれなかったら、今日の雨で、そんな状態だったけど、一滴の雨
も降りこまず、これから朝焙煎した珈琲を淹れ、残りのそばかすで、ガレットを食べる予定。
門前に「手仕事屋」というそばやがある。一度赤坂で飲んだことのある天才漆作家の故・角偉三郎さんの器でそばを
希望すれば供してくれる。今回は被災して、水がまだこないので、「ガレット」のテイクアウトのみで
営業している。近くに「幸福さん」というやさしいネーミングの酒類・衣料品のお店がある。
昨日電話して「どうですか?」と尋ねたら、「半壊で、店は取り壊します」とのこと。
間髪をおかず「もうやめようと思ったけど、掘っ立て小屋をたててでなおします」と元気な声。
「手仕事屋」でそばを手繰り、「幸福さん」で地酒を買う・・・そんな門前のゴールデン梯子は、
そう遠くない未来にもどりそうだ。すこしずつ、みんな歩き出した。

北陸新幹線が伸びて、金沢や福井に人が「復興の応援のためきました・・・ボリボリ」とかしている矛盾。
都会と田舎。効率と非効率。人間性と経済性・・・・矛盾だらけだけど、どこか共通点も多い。
自然にふれあい、工夫をしながら、魚や肉を醸し、人のこころも醸してきた能登。

今回の地震で、ますます過疎に拍車がかかると思われる・・しかし、いつの時代も

人のいく 裏に道あり 花の山

だ。
今回のような人間の人智を超越したような災害も起きるけど、太古の昔からここを選んで生き暮らしてきた
人たちの声を聞きながら、この土地にふさわしい「哲」を掘り下げながら生きていくのもおもしろい。
「哲」というのは、それぞれの「個」のためにある、を、この一週間で悟った。残りの人生の毎日毎日が
また楽しみになってきた。新しい旅が始まる。人生は旅であり、哲だと思う。
どうせ一度しかない人生、自分らしくワクワクほとばしるような旅にしたいと、つくづく思った一週間。

能登の家の玄関に、南條先生の「四睡図」(しすいず)が飾ってある。
「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)プラス、「トラ」、「豊干禅師」が寄せ合って眠っている。
昔から禅林が好んで描いたもうひとつの寒山拾得。「家族がいっしょに寄せ合いながら眠っているのが、一番幸せな構図」とされてきた。
その額縁の端に、西田幾多郎先生の言葉をいれた。

生きるために便利だから
真理なのではなく
逆に真理だから
我々の生活にとって
有用にされ得るのである

天恩感謝。

なあんも なあんも!日本で一番やさしい能登の方言?

今回、一番よく聞く「能登弁」。自分もしゃべるようになった。
自分ちも被災しているのに、駐車場のドアを修理してくれたり、被災ゴミを軽トラで
運んでくれたり、エアコンのチェック、そのつながりで、ピアスのウルトラマンさんが、
屋根にのぼって、瓦の修理・・・・・そのたんびに頭を下げて「こんなときに、もうしわけございません」
というと、「なあんも なあんも」といって、みんな笑っている。

最近、ピアスやタトゥーをしている人に、尊敬の念を抱いている(笑)

能登の言葉で唯一身についた言葉。「なあんも ナーンモ」

東北弁もワンフレーズだけマスターした。

おからだ お大豆に・・・・

今朝は徳島と高知からのボランティアさんが、きてくれて、二階の濡れた畳の運び出しの打ち合わせ。
南條先生の「寒山拾得」は、どの部屋にもかかっていて、今回、ほとんど被害がなかった。
先生は、今治出身なので、四国にはよくお遍路さんよろしく、旅したところだ。
明日の午前中に、ボランティアさんたちが、二階を濡れた畳を運び出してくれることになった。
3月は「別れの季節」だけど、ワンダフルな出会い出会いがいっぱい。

彼らは「なあんも なあんも」とは、まだ言わないけど、能登人たちの気持ちと波動を合わせながら、
これからの日本で活躍していくに違いない。
「元気なやさしさ」を広げていける人が、活躍する時代がやってきた。

これから、また富来の野球場に、被災したゴミたちを運ぶ予定。
少し玄関が、片付いてきたので、明日は能登の珪藻土七輪とUFO焙煎機を使って、「ほぼぶらじる」
を焙煎してみたいと思っている。ほんのすこしづつだけど、前に一歩踏み出した感がある。
「なにをしたら能登のためになる」と地団太踏んでいる人も多いように思う。
そう思っているだけでOK牧場。「自分らしく生きる」が大事なテーマ。
自分で考えて、できるコトを自分でできる範囲で、実施できれば、いい。感謝!

能登は雪が降っています 日本海には北朝鮮からのミサイルが降ってきたらしいが・・

今朝は、朝からなごり雪が降っている。
冬用のダウンジャケットを着て、徘徊散歩。
いつもは、徒歩20分の中根酒店にいって、買い物をしながら
おばっちゃん(おじっちゃんは施設に入った)と、世間のよもやま話を
するのが楽しみだったけど、今回の地震で、どこかに避難している様子。
うちの集落の人たちも、ついこないだ水道がもどり、家に帰ってきたばかりで、
毎日家の片づけに大忙しだ。カフェやお店は、大事な「いどころ」やなと思う。

海を散歩。西田幾多郎先生は、京都にいたころは、「哲学の道」を歩いた(正確には、先生が歩いた南禅寺の近く疎水べり
の小径を、誰それとなく、そうよぶようになった)
先生は、思索をする時は、故郷の石川の海を眺めながら哲をした。

玄関に飾った版画は、芸大の長崎くんが、芸大の卒業記念の個展にだしたもの。
「みんなでお手伝い」とかいう題だった。少し皮肉な縁だけど、今の能登にピッタリのテーマだ。
そこに、西田幾多郎先生の言葉も、いれた。

人間というものは時の上にあるのだ
過去というものがあって
私というものがあるのだ
過去が現存しているということが
またその人の未来を構成しているのだ

(再)だけど、居間に飾った言葉と並べるて読むと、朝の茶がもっと沁みる。

非常時なればなるほど
我々は一面において落ちついて
深く遠く考えねばならぬと思う