昔そんな歌があった。
昨日は、作庭家の「長崎剛志」くんが、そばを手繰りにこられた。
ぼくが、池袋で天真庵というギャラリーを結んだ時、屋上に池袋の猥雑な夜景を
借景といて、庭をつくってくれた。当時の「和楽」としう雑誌に取り上げられたり、
デザイン誌にも掲載され、英語やフランス語になって、世界中に紹介されたこともある。
「長崎剛志 N-tree」で、検索すると、彼の仕事の詳細がのっている。
今年は庭をはじめて25年。
出会いは、新宿のギャラリー。芸大を卒業する年で、「卒業記念展」みたいなことをやったことがある。
もうひとり、彼の友達の画家の作品を観にいったのだが、それよりも、彼の「版画」がおもしろかったので、
受付の女子に「彼と連絡を取りたいのですが」と尋ねた。「おにいちゃんは、ヨーローッパに
いってます」との返事で、その子が妹さんだと知り、名刺を渡した。
天真庵のHPに「テレビ金沢」に紹介された動画がある。玄関に「手と手をつなぐ」
という卒業記念につくった大きな版画がでてくる。
まさに能登の地震で多くのボランティアが、手と手をつなぎにやってきている「今のもの」を象徴している。
一か月くらいして、帰国した長崎くんが池袋の天真庵にきて、庭をつくってくれたり、「今のもの」
という展覧会を仲間とやってくれるようになり、建築家の中西くんや、木工の般若くん、金工の角居くん
たちが、ぞろぞろと遊びにくるようになった。だから、彼らと出会ってから四半世紀になり、みんな
25年としをとった。押上天真庵の改装は、中西くんがリーダーで、みかんと林くんの3人が中心でやってくれ、
玄関と椅子は般若くんがつくってくれた。取っ手は角居くん。そんな流れだ。
コロナが流行しはじめたころの長崎くんの年賀状に、「長崎の庭をつくっています」
と書いてあった。「自分らしい庭を、相変わらずつくっているんだ」と思っていたら、
長崎の「諫早神社」(いさはやじんじゃ)の庭をつくっているらしい。今年は完成の年になるらしい。
縁があって、長崎には、毎年呼ばれるので、今年は「諫早神社」にお詣りしたいと思う。
ぼくのふるさと「宗像大社」も、神社という形態の前からあった磐座(いわくら)みたいな「祈りの場」
があった。長崎の「原山ドルメン」や能登の真脇遺跡にいくとわかるけど、「石」には不思議な力がある。
彼は、そのあたりの「祈り」(感謝)を込めながら、縁ある場所に「庭」を作り続ける崇高な庭師だ。
今日は12時から16時まで営業。それから「味噌つくり」「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)