伊那谷(いなだに)の老子

故・加島祥造さんの本。加島さんの息子さんは、何度か天真庵にきて蕎麦を手繰ったことがあられる。

神田生まれの江戸っ子で、フォークナーなどの翻訳で有名な著者は、60歳を過ぎて、長野県の南信地方「伊那谷」に定住する。中央アルプスと南アルプスに抱かれた、この大きな谷の自然の中で、老子の深い思想に目覚めてゆく自身を描く、名随筆集。「もとめない」「ひとり」・・など。
老子を英訳してから、はじめて興味をもったという逆輸入みたいな話だけど、だからこそ解りやすく、秀逸な老子本だ。
日本の文科省では、「論語」を中心に習うけど、「老子」や「墨子」のほうが、断然おもしろい。

先日「味噌休み」をもらって、伊那谷にいってきた。京都時代のからふねや時代の同志が眠っている。
墓標を見ると、「昭和57年4月22日 享年22歳」。もう40年以上になった。生きていたら
「伊那谷の老子」になれるくらい飄々としていた。城倉良雄くん。ぼくはその年の夏に京都から東京へきた。
ぼくが24歳の時、骨肉腫になった。お店のお客さんで、湯川秀樹と同じ時期に京大の教授だった人の
紹介で京大病院で検査を受け、京都府立大学の病院で手術をした。そこでリハビリをしている時に、彼
がバイクで事故をおこして、足を痛めた。軽い気持ちで「ここの病院がええで」といって、同じ病院で
検査をした。足の甲のあたりが真っ黒なレントゲンを見せられ、「同じ病気や」と主治医がいわはった。
ぼくは一年くらいで復帰したけど、彼は一年くらい入院して、伊那谷の墓に入った。

いつも、墓参りの後は、信州か山梨の湯治場みたいなところの湯宿に泊まる。
リュックに「伊那谷の老子」をいれて、ひさしぶりに読んだ。
「パーフェクトデイズ」を観た後でもあり、なんか新鮮にこころに染みこんでいく。

木曜日の夕方には、能登の「TOGISO]の佐藤くんと、天真庵を改装してくれた中西くんがきて、
おでんをつつきながら、能登の復興の打ち合わせ。〆は、山梨の道の駅で買ってきた「生ほうとう」
をおでんの汁にいれた。赤崎という志賀町にある港町は、土地の岩盤が
強くて、奇跡的に震度7の揺れに耐えた家が多かった。TOGISOも立っていたので、屋根とか、部屋の片づけを
して、今は「復興支援隊」の人たちの基地として活用している。
せっかく、昨年の夏に「カフェ」を併設したので、落ち着いたら、赤崎を中心に「癒し場」を作りたい、
とあれこれ無い知恵をしぼって、模索中だ。

昨日は、墨田の「やっちゃば」を主催しているHくんからの依頼で、能登島産の「ふくむらさき」が一箱届いた。
流通がストップした野菜を、墨田のカフェや食堂にお願いして、「墨田で能登野菜を」との提案。
さっそく「ほし芋」をつくった。「そばやのちょい飲みセット」で、ツマミにしようと思う。

ぼくが能登に移住するきっかけになった「能登」という雑誌も、冬号が休刊になった。
輪島にある事務所も甚大な被害を受け、今は金沢の仮事務所で、復活を準備中。
昨日は雑誌にはさんであるバックナンバーなどの注文するための用紙で、寸志寄付をさせていただいた。
天真庵にもおいてあるけど、ほんとうに、素晴らしい「能登本」。

今日からまた営業。12時から16時。
それから「味噌つくり」・・・6人。「UFO焙煎塾」「そば打ち教室。

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