お豆の旅

京都の祇園の花見小路をちょこっとあがったところに「北郎」という料理屋がある。
そこは「湯葉の佃煮」が名物で、酒のアテによし、ごはんにかけて喰うもよし、おみやにしても
よろこばれる逸品。「お豆の旅」と、故・藤山寛美さんが命名した。
言い得て妙で、洒脱な響きがある名前だ。

味噌つくりが始まった。寸胴に大豆をいれ、水に二日浸す。
そば打ちを始める早朝から、それを石油ストーブ、ペレットストーブ、囲炉裏の
上にのせて、ことことと煮込み、味噌つくりの主役を待つ。
昨日は、女義太夫(略して、ジョギという)さんが夕方やってきた。独特の髪を結い、
舞台さながらの凛とした所作に、カウンターにとまったお客さんが小さな声で
「あのかたは・・・」などと鼻の下をのばしてきく。「ジョギ」と答えても「???」
な感じだ。説明がめんどくさにので、「ぼくのこれ」と小指をたてたら、「?????」と
?が増えた(笑)

仕込んだ味噌は、今年の末にはできあがる。送り先は長崎の「彩雲」。
小浜温泉の高台にある長崎一の名店。彼女のだんなさんがやっている日本料理屋。
昔、頼山陽が島原を訪れて、青い海の先の地平線をみて、「青一髪」と詠んだ。
彩雲さんのお座敷で料理をいただきながら飲んでいると、舌鼓と同時にポンと膝をたたき、
「まさに頼山陽の見た世界だ」と、合点しながら、ますます酒がうまくなる。そんな癒場である。

その次は、「丸なげ」で、彼女の義太夫仲間さんの味噌をつくり、本日発送。
三人目は、ぼくが昨年能登のTOGISOで一日店長をやっていた時に出会ったご夫婦。

いろいろな縁が結ばれ、その地に大豆で仕込んだ味噌が嫁いでいく。
これもまた「お豆の旅」である。各家庭の命を紡いでいく豆の旅立ちである。
まめまめしく生きる日本人の大事な糧である。感謝。