昨日も、能登の地震を見舞ってくれる友達がカウンターにとまってくれた。織田流煎茶道の同心たちも。
毎朝、びん棒というのし棒を、振り回し(もしかしたら、反対にのされてる?)、蕎麦を打ち、
ガラガラという焙煎機を、能登の珪藻土七輪の上にのせ、♪まーか はんにゃ はらみた~
と唱えながら、珈琲豆を焙煎している。
鴨長明ではないけど、毎日同じような所作の繰り返しの中で、同じでない毎日を楽しんでいる。
とくに、今年の正月の能登地震で、ぼくも、能登人たちのみならず、日本人の「ありよう」に
大きな変化が起きているみたいだ。
娘みたいに、かわいがっている(いや、親孝行みたいにつきあってくれる)「ともちゃん」が、
「大変でしたね」といって、カウンターに座った。彼女は、たまちゃんこと故・悠玄亭玉さんの三味線の
お弟子様だった。下町大好き人間、純喫茶をめぐるのがライフワークで、押上に住み、ある日天真庵にたどりついた。
仕事は、浅草の仲見世の「お土産さん」で働いている。年末には、「つくる暇もないだろうから」といって、
自作の「酒肴」などを差し入れたりしてくれる孝行娘。高校はとっくに卒業したばってん、一昨年まで
大学の通信教育を受け、無事卒業した。卒業祝いに、新橋の東(あずま)で、ビーフンをさかなに祝杯をあげた。
昨日はいつもよりテンションをあげて、「オリナスの映画館にいったら、満席ではいれなかった」という。
役所広司主演の『PERFECT DAYS』のことだ。映画は渋谷のトイレの清掃員を役所が演じているのだが、
押上のアパートに住んでいる設定で、「電気湯」(実在する銭湯)や、押上村が登場するらしい。
そんな話を、まるで映画を観てきたかのように、興奮しながら話していた。
「足るを知る」という禅の精神を日常の繰り返しの中で実践している清掃員(もちろん、どんな仕事も、
こころのおきどころをかえたら、みな同じ)を、ドイツの映画監督・ビム・ベンダースが、見事に切り取った映画(まだ観てないけど)
だ。今週のお休みに錦糸町まで足を運ぼうと思う。
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し(鴨長明)
禅問答にこんなのがある。
川の流れを、橋の上で眺めてみる。人は橋は不動で川の流れが動いていると思う。
ほんとうは、その逆である。形あるものは、一見強固のように思われるが、自然はそれを
凌駕している。