能登休みを半分返上。今日から営業します。12時から16時。

先日、新橋の小料理屋で酒を飲んだ。被災して、一文無しになったぼくを
励ますために、親友が一席もうけてくれた。持つべきものは、お金や財産よりも友達だ。京都から、小さな車に、布団と珈琲の道具、本積んで、昭和55年くらいに上京した時も、彼のアパートに身を寄せた。またそのころの「本来無一物」の原点にもどっただけなので、
こちらはまったく落ち込んでいない。また新しい人生が始まるだけだ。

その後、日本ソフトバンクという、その当時は誰も知らない小さな会社に就職?し、
荻窪のワンルームマンションを月額6万で借り、一年ちょっとサラリーマンをやった。
「日本」がとれて、世界的な企業になった。社長は髪の毛が「二本」くらいになったけど。
給与は20万くらいやった。その後は、秋葉原の電気街の小さなオフィスを12万で借りて、
コンピュータの会社を始めた。今の天真庵もその時につくった株式会社の定款に、「飲食店経営」
を加えただけで、創業40年くらいになった。「会社寿命は35年説」が昭和に流行ったけど、
そのジンクスを少し破った。もっとも平成以降は、会社の寿命は5年以下らしいが・・
それだけ、「続けていく」ことが難しい時代だ。個人経営の飲食店の寿命は、「限りなく一年」
に近づいているのでは?でも、始めると、こんなにおもろい商売はない。
今年は定款に「UFOの製造・販売」を入れようと思う。

最近よく「飲食をやろうかどうか迷っている」人がやってくる。
迷っていて「不安」をかかえたまま、なにもやらない人は、そのマイナスな不安だけが残って、
前にいく。ほかの道をいったとしても、財産が「不安」だけだと、ファンもできない。
「何か新しいことを始める」ことから、得られる財産は、お金には換算できないものが多い。

今朝も元気に「びん棒」というのし棒で蕎麦を打った。打ち終わって、囲炉裏の鉄瓶の湯を、
ユズジャムに注いで、朝茶。五臓六腑に染みわたる。朝のお茶には、天地一杯の生命力が宿っている。
その後、昨日焙煎した珈琲を淹れる。ぼくは20年以上、銅のミルクパンで淹れる。「ハラミカ」
が、池袋天真庵の個展でつくってくれた。何年か後に、カメラマンのレバンタルジェフリーと結婚し、
今は四万十川の近くの古民家で田舎暮らしをしている。
今年の年賀状は、レバンタルが、たどたどしい日本語で書いてくれた。ひらがなで一句を添えて!すっかり日本人になった。

あけましておめでとうございます。こうして今日という日を生きられることに感謝し、
お二人の健康と幸せをお祈りしております。

はれたそら おびえるひつじ りゅうがとぶ