昨日も朝から、炭をおこし、能登の珪藻土七輪の中にいれ、ガラガラと焙煎機を回す。
珪藻土七輪のメーカーは、丸和工業。今日あたり社長に連絡してみようと思う。
たまたま自分が使っている手廻しの焙煎機と、丸和工業の倉庫に眠っていた小さな竈の径が
ピッタリで、あつらえたみたいにフィットした。これを「シンデレラフィット」という。
この出会いから、「ほぼぶらじる」の味が格段にバージョンアップした。
いつも、丸和さんに行く前に、輪島の「塩屋」さんに立ち寄る。仕事がら海の際に作業場があるので、
ここも津波の被害があったかどうか、心配。今日思い切って電話をしてみよう。
蕎麦の「かえし」や「だし」をつくるのに、かかせない塩になった。今月末からはじまる「味噌つくり」
にも、ここの塩が大活躍する。夏の梅干しつくりにも欠かせない塩だ。
隠し技だけど、便秘の時は、おいしい珈琲の中に、いい塩をすこし入れて飲むといい。
塩屋さんにいく前に、今回火災のあった輪島の中心地の近くにある「酒ブティックおくだ」に立ち寄って
酒を調達する。火災のあった場所には、漆屋さんがいっぱいあり、天真庵で使っている漆器をつくってくれた工房も
あって、安否がきにかかる。
その手前の黒島地区も揺れが大きかったので、知り合いの家が全壊した。
北前船で財をなした人たちの豪邸が残ってる地域で、全壊した家も、中庭がちゃんとあって、
灯篭や、家の中にあった漆器などの調度品も「さすが」というものが多くあった。床の間には、
海でのんびり釣りをしている老人の絵。東京の天真庵の二階に飾ってあった掛け軸。
ぴったりの場所だったのでさしあげたけど、海に帰っていった。
昨日は仕込みが終わって、亀戸の方面を徘徊散歩。12月に、銅の囲炉裏と鉄の自在を買った骨董屋をのぞく。
「さすがに、電話できなかったよ」といった後に、深々と頭を下げて「お見舞いもうしあげます」とのこと。
「托鉢の茶わんない?無一文になったのでこれからは托鉢しながら生きようと思う」と冗談いったら、
帰り際に、南部鉄の鉄瓶をくれようとした。「3つもっている」といって、気持ちだけいただいた。
亀戸天神の前は新年のお詣りで人がいっぱい。その近くに「材木屋」がある。昨年、囲炉裏の炉縁を
つくる欅の木などを買ったお店だ。80近くになる店主が、マスクをしながら仕事していた。
「おめでとうございます」と挨拶すると、マスクをはずして、手には木材をもったまま「正月そうそう大変だったね。
びっくりしたよ」と目を丸くしながら語る。彼のおじさんも能登と東京の二拠点生活をした人だ。
帰り際に、「これもっていって」といって、自作の椅子をくれた。托鉢茶わんがなくても、東京下町の人たちは
「ほどこし」をくれる。おこころだけで充分ありがたい。感謝。
いたるところに青山(せいざん)あり だ。