昨日も、お見舞いのような常連さまが、たくさんきてくださった。感謝。
そして、「ふるさと納税をして、能登を応援」されている人の多いことも知る。
日本人というのは、縄文時代からの「支えあう」のDNAが残っているのだな、と痛感する。
また能登が落ち着きましたら、能登へ遊びにきたり、移住しにきたり、魚を食べにきてください。
その時、「真脇縄文遺跡」に必ず寄って能登をぐるっと一周していただきたい。
戦争がなく、みんなが助け合って、この厳しい環境で何千年も生き暮らした「癒し場&祈りの場」だ。ぼくたち日本人の魂の原点やと思う。
そして、それは、過去のことではなく、これからまたくるであろう「まさかの時」に、生きぬいていく
ヒントがいっぱい詰められた場所。今回の大地震は、そんなことに気づきなさい、と、龍神様が計られたかもなんばん。
銀座の隕石屋カフェ(一番多くぼくの珈琲を消費している店だけど、正式名を知らない(笑))
から、また大量の注文がきたので、今朝も朝はやくから、能登の珪藻土七輪に炭火をいれて、
珈琲豆を焼いている。七輪の正面に珠洲の「丸和工業」というステッカー。二年続けて、地震で窯が壊れ、
また今回、壊滅的な大地震に見舞われた。「どうか、みなさまご無事で」と思い、般若心経を
唱えながら、がらがらと焙煎。
焙煎が終わると、炭火を囲炉裏にいれ、自在に鉄瓶を吊るす。お湯が沸くまで、新聞を読み、
鉄瓶がチリチリいいはじめると、久保さんの志野の湯のみに入れて、お湯を飲む。嚥下した湯が、体の中心から真下まで落ちる。
「人は、飲み喰うための臓器をもった肉体である」ことがわかる瞬間。
そして、焙煎したての豆を石臼で挽き、鉄瓶のお湯をつかって、珈琲を淹れる。
縄文時代は、珈琲はなかったけど、きっと野草茶などを淹れながら、テレパシーで
談論風発していたのだろう。「今日も、生命力にあふれたお茶が飲めて、幸せばい」(野村訳)
真脇遺跡には、縄文時代の家が建ってある。今回の地震でどううなったかの安否が心配だけど、
ちょうど柱をたてる日にいって、石の斧を「縄文大工さん」に借りて、いっしょに穴を掘った。
天真庵の「のむら暮らし」のどこかに、縄文の家の写真がある。「縄文時代のお茶会」というようなタイトル。
大きな柱をたて、屋根は萱とか、枯れ木で覆う、すこぶる単純な建築物。土間には、囲炉裏をつくり、
煮炊きや、暖をとる。能登地方に多い「アヅマダチ」という建築スタイルは、縄文時代の建築の流れを
くむそうだ。方丈庵もしかり、茶室もしかり・・・・日本人の美意識とか宗教観も、縄文時代から連綿とつながっている。
徒然草には、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。」みたいなことを兼好法師さんが書いてあったけど、
これから先は、「夏」でも「冬」でもなく、一生のうちには、なんどか災難にもあうので、「まさかの時」
のことを考えて「すまう」を考える必要があるように思う。
新潟に帰った良寛さまが、今回のような大震災に見舞われた時、子供を亡くした知人に宛てた書簡に
こんなものがある。死ぬか生きるかを体験した名僧の「さとり」だと思う。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候