♪ツバメが飛んだ~

渡辺真知子さんの歌にそんなのがあった。カモメか?

水曜日は歯医者。もと住んでいた板橋まで毎月通っている。
はめまら・・・の順に衰えていく。歯医者というのは、寿司屋と同じくらい
微妙な相性がある。押上にきて、歯医者さんの常連さまがいたりするけど、
やはり、昔から通っている歯医者に行く方が手っ取り早いし、気を使わなくていい。

20年住んでいたところなので、新板橋、池袋からでも、巣鴨地蔵通りを抜けても、大塚からでも、目をつぶっても歩いていける。
治療(ほとんどが、歯の掃除)が終わってからも反対に、新板橋、池袋、大塚、まで歩いて帰路につける。
先月は、板橋駅前の「古本屋」に立ち寄って、「目の眼」の「新潟の骨董屋を歩く」という5年前くらいの古本を
200円で買った。電車の中で読んでいると、骨董屋に紛れて、新潟の「寿司屋」がのっていた。
昔から愛読している骨董雑誌だけど、寿司屋がのっているのは新鮮で、さっそく今月の能登の帰り道を新潟経由に変更。
そして、寿司屋にいったその足で燕の銅のお店にいった。先月、銀座の「隕石カフェ」に豆を納品した帰りに、松屋でみつけた珈琲ポット
が素敵で、10万くらいしたけど、どうせならデパートではなく、現場にいって作り手の顔を見てから買おう、という
いつものクセみたいなもんだ。でもそんな回り道をすると、いつも思いもよらないコトがおきる。「出会いの神様」がいるのだ。

銅のお店で、阿佐ヶ谷の珈琲屋を紹介された。若いのに、そこのポットを愛用しているらしい。先週の金曜日にいったら、盛岡の「珈琲イベントに出張」と、お店のシャッターに張り紙があった。近くの親切な店主(日替わり)に道を聞いたお返しに、そのお店でビールを
二本飲んだ。それはそれでまた、不思議な縁を感じたし、勉強になった。「老いては、若い女の子の従え」、だ(笑)
昨日もまた阿佐ヶ谷のくだんの珈琲屋にいく。シャッターは空いていたけど、休み。入口のカレンダーに
「営業日」が書いてあった。10月は3日間だけで、◎をエンピツで囲んでいた。
「うちよりすごい」(笑)と叫ぶ。でも「これから焙煎」という空気が漂っていたので、もう一軒、昔から
気になる珈琲屋(阿佐ヶ谷には、コメダ珈琲もスタバもあるけど、素敵な個人店もあまたある。もちろん行ったのは個人店)
でモカを飲んでから、再度訪ねた。

素敵な若い女性が焙煎をしていた。あったことも、名前も知らないのに、さも親しそうに手を振ったら、玄関を
空けてくれた。焙煎していた豆が、ニハゼを迎えそうないい香りだ。だから、時間がない。
「燕の◎◎で紹介されてきました。名刺だけ置いていくわ」といって、名刺交換して互いに3分ほどで、お互いを
自己紹介。「またくるわ」「来月はもう少し多くお店をあけます」といって別れた。一期一煎?
始めたばかりで、いろいろお金もかかる時に、珈琲ポットに10万。お金の問題ではなく、その「心意気」
が素敵だ。もちろん、そんなセンスがあるこなので、珈琲カップや、ソーサーなどまで、「さすが」
というものが置いてあった。ぼくはそんなお店が好きだ。やはり「器」の問題。器量とはよくいったものだ。

気分がよくなって、西荻まで足を延ばし、知り合いがやっている松庵のバーで日本酒を2合。
女将は青山のギャラリーで働いていた経験があるので、「設(しつらえ)」のセンスは抜群。
お通しに、ナスの糠漬けが、黄瀬戸の豆皿ででてきた。
二週続けて中央線沿線を徘徊してみた。荻窪に住んでいたのは20代のころ。
「後期」はまだ冠にないばってん、67の「高齢者」になり、昔のなじみの街をブラブラと昼間から徘徊のような散歩をし、
珈琲を飲んだり、酒を飲んだりしていると、若いころには見えなかったモノやヒトが見えてくるから不思議だ。
「老いては、感(第六感)に従え」かもなんばん。感謝。

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