玉子かけごはん&コンビニの肉まん

昨日の夕方は「ゆるゆるヨガ」だった。毎月一回、かすみ庵のかすみちゃんが
きてくれて、コリコリ女子たちのこころとからだをほぐしてくれる。
終わったあとに、そばと珈琲。
昨日は、久保さんの新作の織部の丸皿に、そばを盛ってみた。
これから、新そばの季節を迎える。新そばは、少し緑かかっていて、生命力に
あふれている。緑色の織部にそば(まだ、昨年の新そばではない)を盛ると、
あたかも「新そばを先取り」している風情がある。
新しくそばやをやろう、という志高き「そばもん」が使うと、古色(器が経年により、色合いが変わる。「育つ」という)
がつくころには、職人も器も、まさに「育つ」のではなかろうか?
一般の家庭でも、茶わんを「好きな作家のもの」にするだけで、家族の「精神的文化力」がアップする!

今朝は「玉子かけごはん」。新しい能登の珪藻土の竈で、炭火でごはんを炊いた。
これまでの竈より少しこぶりなのだが、熱効率がいいのか、炊きあがりがはやかった。
「おこげ」も上手をこして、釜の底の部分は、真っ黒になった。
その少しこぶりの竈の上に、「がらがら焙煎機」をおいて、3回(ブラジル・コロンビア・ガテマラの順)焙煎した。
これまでの「珪藻土七輪」(同じ珠洲のメーカー)よりも、中までカリっと焼けた。
まだ炭に力があったので、新しい炭を少しいれて、こんどは羽釜ではなく土楽窯でごはんを炊いてみた。
やっぱり、いつもよりコゲがきつくなった。

これからコンビニの肉まんがおいしい季節を迎える。
先日読んだ「ねじめ正一」さんのエッセーによると、コンビニの肉まんがおいしいのは、皮と中身が、長年研鑽と研究をかさねて、
ゆるぎなき「黄金比」でできているからだそうだ。「二倍具をいれたらさぞおいしかろう」、で、挑戦したら、ダメだった話がのっていた。
ごはんを炊いたり、料理をしたり、珈琲を焙煎して淹れたり・・・もっと効率よく、とか、もっとはやく、とか、浅はかな人間の勝手な欲から
発想していくと、しっぺ返しがくることを反省させられた朝。

「毎日こつこつやっていくこと」が大切なんだな~。
燕の銅の職人さんの会社のロゴには、「石臼」がデザインされていた。
銅の会社に石臼?と思い、社長に「どうしてですか?」と質問したら、「石臼を使っていた時代のように、
何事も丁寧にやっていこう」という創業者の「哲」が、そこに入魂されているらしい。
会社が合併されたりコンサルタント会社のいいなりに、こじゃれたデザインのロゴが横行しているけど、
「石臼」を見た瞬間に、「存在意義の原点」にふれた感じがした。
「わたくしは、なにをしにこの星にやってきたのか?」とか「わたくしの会社(お店)は、なにをするための会社(お店)なのか?」

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