新潟を良寛さんみたく托鉢中?

お店を始める前、2005年前後?
新潟の骨董屋をくまなく回ったことがある。
北前船で、伊万里あたりから運ばれてきた器が、いっぱいあった。
マイセンが磁器を発明するまでは、欧米では珈琲や紅茶を、伊万里の蕎麦ちょこで飲んでいた。
蕎麦ちょこは、最初から久保さんにお願いしていたけど、珈琲カップ
は、伊万里の蕎麦ちょこを使っていた。当時東京の骨董屋では一客1万くらい
していた。新潟の骨董屋では、半額くらいで売られていたように思う。

2007年に開店してすぐに、川口葉子さんが取材にきてくれて、「カフェと器の旅?」
そんな本に紹介されたことがある。有名な上田のパン屋さんが、同じ器で
珈琲を供していた。なんか同じ感覚の人やな~と思っていたら、そこの主人が
珈琲を飲みにきてくれた。ホボブラジルを同じ器でだしたら、ビックリしていた。
そんな縁もあってで、上田のパン屋にも旅の途中で立ち寄ったことがある。
新潟の骨董屋をまわっていて、そんな昔の話を思い出した。

5年前の「目の眼」という本に、「新潟の骨董屋を歩く」というのがあった。その中になぜだか、とある「すしや」
が紹介されていて、昨日はそこにいって、寿司をつまんだ。11時開店だけど、その時間にいったらカウンターは満席だった。
だから、名前は伏せる。さすが骨董好きがいくお店。器や設えがいい!
ひさしぶりに昼から、新潟の地酒を飲みながらいい気分になった。

今回は、骨董よりも、「会いたい職人」がいたので、アポも取らずに燕にいく。
中学の社会の教科書に、洋食器の街としてのっていたけど、訪れるのは初めて。
弥彦神社にお詣りして、職人さんのところへいった。話をきいていると、
弥彦山から銅がでたので、銅を扱う職人がふえていったらしい。弥彦山は、スカイツリーと
同じ634m。不思議な縁を感じた。街全体が凛とした空気。
珈琲に使う銅の道具を注文した。10か月後にできるらしい。楽しみである。
今朝は、湯田上温泉の小さな湯宿で、朝ひとっぷろ浴びて、シジュウカラやヤマガラの声を聴きながら、これを書いている。
旅は哲。いいね!

お店は土曜日から。

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