星の王子さま、蕎麦を手繰りにやってくる!

昨日のお昼、「銀座の隕石直売所」の店主の「王子」がそばを手繰りにきた。
2019年まで、スカイツリーの足元で「隕石直売所」をやっていた。
テレビなどの取材も頻繁にあり、界隈で知らない人はいなかったけど、
「お店に入ったことがある」という人は、墨田区の住民約30万人の中でも
1000人もいないのではなかろうか?ぼくもその1000人のひとり(笑)

2019年に銀座に移転。このへんの人たちは「つぶれた?」と思っていたけど、
大いなる栄転である。銀座松屋の駐車場のあたりを徘徊すると「隕石直売所」という看板が見える。
カフェも併設しているので、入りやすい?
そのカフェで使っている珈琲豆は、不肖野村が炭火焙煎している。そんな関係で、ときどき「銀ブラ」(銀座でほぼブラジルの略)
を兼ねて、お邪魔している。あたりは、数々の珈琲の名店があるばってん、それらの競合店に負けじと、香り高い「隕石珈琲」
を提供している。先々月は、月に10kも注文がきた。ぼくが卸している「珈琲屋」の中でも一番多い(笑)

宇宙規模な広大無辺な四方山話をしていたら、禅僧様がそばを手繰りにこられて王子と入れ替えになった。
王子もお坊様も、髪型がいっしょだ。
お店の壁には、時計の文字盤(針がついていない)がぶら下がってあって、そこに「少しくらい時間から自由になれたらいいのにな~」
とぼくが落書きした紙がはってある。最初にそのお坊様が来た時、そこの席に座り、「これは、禅の神髄ですね」といわれた。
カウンターの上に飾ってある「寒山拾得」(かんざんじっとく)の絵を見て、「ときどき、京都にいくと、『じっとく』(coffee house 拾得)にいきます」とのたまわれた。ぼくが学生のころからあるライブハウスの老舗。

今日も早朝から元気にそばを打った。外には「拾得」さまが・・拾得は、箒をもって落ち葉を掃く構図で描かれてきた。典座(てんぞ)といって、お寺の「まかない」をしていたといわれる。相方の寒山は、筆をもった構図で描かれてきた。寒山詩を残した。禅林や絵描きが好んで「寒山拾得」を描いた。
定年を迎えて、家でごろごろしている男のことを「濡れ落ち葉」というらしい。東京では庭を持つ家は少ないけど、マンションでも
表にでると並木があったり、公園があったりする。箒をもって「拾得」になった気分で落ち葉を掃く、のも一考かもなんばん。
天真庵の隣のおじさん(ぼくよりひとつ年下のくまもん)は、毎朝自分ちの前から天真庵の前の落ち葉やゴミを掃いておられる。
近所の人から「なんで、よそのところまで掃いているんだ」と声をかけれたことがあった。すかさず「暇だから」と答えて笑っている。
ぼくは彼のことを「じっとくさん」と呼んでいる。天真庵はお坊さんみたいな人に支えられているみたいだ。天恩感謝。

月曜の朝は玉子かけごはん の珈琲は「UFO!」 

先週は、真っ黒のオコゲができたので、今週は少し遠慮ぎみ
にごはんを炊いた。
オコゲ大好きの筆子さんは「今日はオコゲが少ない」と不満顔。
でもぼくてきには、「いい感じのごはん」が炊けた。

残った炭を、珪藻土の七輪にいれ、手回し焙煎機で、3度ほど焙煎。
ブラジル・コロンビア・ガテマラの順にガラガラと焙煎。
「無」になれる瞬間。いつも般若心経を唱えながらまわす。
爆ぜる音と、ギャーテーギャーテーが、はもったりしたら、いい感じの珈琲豆ができあがる。

その三種類プラス「モカ」とか、もう一種類の豆をブレンド。そのもう一種類はUFO焙煎機にて焙煎。
今日は♪モカマタリ!

来週から「能登休み」になるので、今日一番の常連さまは、「ほぼブラジル」を200g(いつもは100g)
買っていかれた。

月曜日の朝はデミカップの「ほぼブラジル」を100円にて提供。しかも「隕石カップのデミ」でだす。
いわば、「UFO珈琲」の典型版?
炭火焙煎した珈琲豆にUFO焙煎したシングルオリジンをブレンドし、石臼で珈琲豆を挽き、能登の霊水を沸かし、ネルドリップで「ほぼぶらじる」を淹れる。

「ほんとうに美味い」と納得できるのは、年に数日くらいだけど、今日の珈琲はその数日にあたる気がする。
思わず、ピンクレディーのまねして、「ユーホー」とおらぶ。感謝。

少し上級編の珈琲の焙煎方法とは・・

昨日は、開店そうそう、大の珈琲好きさんが来店。
2011年の震災があった年から始まった「月曜の朝は玉子かけごはん」
に、毎週かかさず食べにきて、デミのモーニング珈琲を飲まれ、珈琲豆を
買ってかえる、をルーチンライフにしている。
それとは別の日にこられる時は「今日のストレート珈琲(だいたいモカ)をお願いします」のオウム返し。
昨日もいつものように、モカマタリを二杯飲んでいかれた。

昨日は「モカマタリ」をUFOで焙煎した。60gの生豆を、UFOにいれ、ガスコンロの上で
UFOが飛ぶようなイメージでふる。5分くらいしたら、イチハゼでポップォーンよろしくポンポンというかわいらしい爆ぜ、少し火を小さくして一分くらいして、また火をもどすと、ニハゼのパチパチが始まる。そこから「ここよ」と神の声がきこえたところで、爆ぜた豆をざるにいれ、おもてにでて、フーフーいって薄皮(チャフ)をとばせば、できあがり。
表のショールームには「UFO売ります」の看板の横に「バカでもさるでもできる。だからあなたにもきっとできる」と説明書きを表示してある。気の弱い、自信のない人は「できなかったたら、サル以下か・・・」なんて、躊躇しているのだろうか?でも、裸で木の上で生活している
サルは、もともと人間よりすぐれているのではなかろうか。

4時になると暖簾(のれん)を下げ、「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」が始まる。
昨日は、栃木の古河から「そばもん」がやってきた。彼はスーパーマラソンなどが趣味というアスリートで、
毎年暮れの「年越しそば」は、古河から天真庵まで走ってくるのがならわし。さすがに、そばをかかえて往路を、
は厳しいので、帰りは電車で帰る。奇人変人の会員制喫茶店みたいな中でも、最高峰のところにいる。
まだそば打ちは5回目だけど、40分くらいで、きれいな蕎麦を打ち終え、カウンターに座って「今日のストレートを
飲んでいいですか?」というので、「OK牧場」のサインの後に、モカマタリをUFOで焙煎。
彼は、UFOも愛用していて、そば打ちの後に、いろんな「生豆」を買っていかれる。

「少し上級編のUFOの焙煎方法を伝授するね」といって、珈琲ルンバを口ずさみにがら、UFOをふる。

♪昔アラブの偉い お坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
こはく色した 飲みものを教えてあげました
やがて心うきうき とっても不思議このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした※

コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは素敵な飲みもの ※コーヒー モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーヒールンバ

そうなのです。珈琲ルンバには※モカマタリがでてくるのだ。
昨日のお持ち帰りは、「モカマタリ」になった。感謝。

今日も16時まで。その後は「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

明日の朝は「玉子かけごはん」(8-10)

病気自慢 孫自慢・・・もてる男はUFO自慢?

同窓会などには、でたことがないけど、還暦を過ぎて昔の
仲間が集まると、そんな自慢話に花が咲くらしい。
未来が残り少なくなってくるぶん、「過去の自慢話」とかを
繰り言のように言う人も多いらしい。そこに「説教」などが加わると、
周りの人に煙たがられる。でも本人は「悦」の絶頂になるので、その空気が読めない。
気をつけたいと、思う。単細胞の男の「成れの果て病」だ。

さすがに10月も終わりになると、夕方5時には「秋陽落ちて、夜は寒く、
辿る帰り路暗くても・・・」(立命館大学 寮歌 加川良の「下宿屋」♪秋の京都の夕暮れはコート
なしでは寒いくらいで・・に通じる寂寥感)、すっかり暗くなる。
そんな時、年に一二度こられる常連さま(うちは、一度きたら、みな常連さま(笑)でも名前などは失念)
が、ポツポツとカウンターにとまる。「あ、生きてた」「元気でいますか」と、お互いに「存命」を喜ぶ。

ひとりは77歳(来るといつも、もう77歳になった。前回は76歳になった、と落語のまくらみたに挨拶される)。
つぎにかっぽれの相方イワジーが酒を飲みにきた。73歳。「寒いので、あったかい蕎麦を食べたい」
何かオススメは?いうので、「花巻を食べると、毛が増えますよ」といって、無理くり花巻(岩ノリに育毛効果?)をだす。
出会った30年前から、毛がない相方に「一杯の花巻そば」で毛が生えるろしたら、あまたある毛生え薬メーカーや
かつらやさんが、なりゆかなるなるだろうに・・。

ふたりが「普通」の旅の話をしていたので、カンフル剤よろしく、「うちに常連さま、といっても年に二度くらいしかこないですが、
古希(70)を超えてから、全国のゲストハウス巡りにはまっている人がいますよ」と投げかけたら「安いけど、二段ベット
とかはイヤだ」とか「知らない人と同室なんてね・・」とかいう、これまた一般的な返事が返ってきた。オイオイ、ただ老いるなヨ。

その時、シンクロニシティーというか、その古希越えの「ゲストハウスのコンシェルジュ」が元気にやってきた(笑)
開口一番、「こないだね~、諏訪湖のゲストハウスで、UFOば焙煎とったら、ものすごくもてたっちゃん(彼は久留米出身)」
そして、蕎麦を手繰りながら、カウンターのふたりに、「70過ぎたら、ゲストハウス巡りがよかですばい。若い人
とふれあわないと、座して死を待つただのじいさんで、おもしろなかでしょうが・・・」とグサリ。
そばの後は「いつものボボブラジルね」。九州では「ボボ」は禁句だけど、彼は笑いながらいつもボボに
力をこめて注文する。飲み干すと、「また来月諏訪にいくけん、生豆を買ってかえるね」といって、
「ブラジル」と「ガテマラ」の生豆袋を手にとった。そして、カウンターのふたりに、「やっぱり、『ボボブラジル』とか『デカマラ』とか
言いながら、若いもんとなんでんかんでんしていかんとあかんばいね~」といって、カカと笑った。
そして、名刺代わりに、「ぼくのインスタは『しまうまおじさん』で~す。よかったら、フォローしちゃってんない。
よろしく。」といって、横浜に帰っていかれた。芸能人があまた生まれた久留米の怪人さんだ。感謝。

今日は12時から16時まで。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
UFOで焙煎をすると、「もてるっちゃん」らしい?でも「しまうまおじさん」で検索して、
彼の独特ファッションを参考にお洒落をしたほうが、もっともてるかもなんばん?

♪ツバメが飛んだ~

渡辺真知子さんの歌にそんなのがあった。カモメか?

水曜日は歯医者。もと住んでいた板橋まで毎月通っている。
はめまら・・・の順に衰えていく。歯医者というのは、寿司屋と同じくらい
微妙な相性がある。押上にきて、歯医者さんの常連さまがいたりするけど、
やはり、昔から通っている歯医者に行く方が手っ取り早いし、気を使わなくていい。

20年住んでいたところなので、新板橋、池袋からでも、巣鴨地蔵通りを抜けても、大塚からでも、目をつぶっても歩いていける。
治療(ほとんどが、歯の掃除)が終わってからも反対に、新板橋、池袋、大塚、まで歩いて帰路につける。
先月は、板橋駅前の「古本屋」に立ち寄って、「目の眼」の「新潟の骨董屋を歩く」という5年前くらいの古本を
200円で買った。電車の中で読んでいると、骨董屋に紛れて、新潟の「寿司屋」がのっていた。
昔から愛読している骨董雑誌だけど、寿司屋がのっているのは新鮮で、さっそく今月の能登の帰り道を新潟経由に変更。
そして、寿司屋にいったその足で燕の銅のお店にいった。先月、銀座の「隕石カフェ」に豆を納品した帰りに、松屋でみつけた珈琲ポット
が素敵で、10万くらいしたけど、どうせならデパートではなく、現場にいって作り手の顔を見てから買おう、という
いつものクセみたいなもんだ。でもそんな回り道をすると、いつも思いもよらないコトがおきる。「出会いの神様」がいるのだ。

銅のお店で、阿佐ヶ谷の珈琲屋を紹介された。若いのに、そこのポットを愛用しているらしい。先週の金曜日にいったら、盛岡の「珈琲イベントに出張」と、お店のシャッターに張り紙があった。近くの親切な店主(日替わり)に道を聞いたお返しに、そのお店でビールを
二本飲んだ。それはそれでまた、不思議な縁を感じたし、勉強になった。「老いては、若い女の子の従え」、だ(笑)
昨日もまた阿佐ヶ谷のくだんの珈琲屋にいく。シャッターは空いていたけど、休み。入口のカレンダーに
「営業日」が書いてあった。10月は3日間だけで、◎をエンピツで囲んでいた。
「うちよりすごい」(笑)と叫ぶ。でも「これから焙煎」という空気が漂っていたので、もう一軒、昔から
気になる珈琲屋(阿佐ヶ谷には、コメダ珈琲もスタバもあるけど、素敵な個人店もあまたある。もちろん行ったのは個人店)
でモカを飲んでから、再度訪ねた。

素敵な若い女性が焙煎をしていた。あったことも、名前も知らないのに、さも親しそうに手を振ったら、玄関を
空けてくれた。焙煎していた豆が、ニハゼを迎えそうないい香りだ。だから、時間がない。
「燕の◎◎で紹介されてきました。名刺だけ置いていくわ」といって、名刺交換して互いに3分ほどで、お互いを
自己紹介。「またくるわ」「来月はもう少し多くお店をあけます」といって別れた。一期一煎?
始めたばかりで、いろいろお金もかかる時に、珈琲ポットに10万。お金の問題ではなく、その「心意気」
が素敵だ。もちろん、そんなセンスがあるこなので、珈琲カップや、ソーサーなどまで、「さすが」
というものが置いてあった。ぼくはそんなお店が好きだ。やはり「器」の問題。器量とはよくいったものだ。

気分がよくなって、西荻まで足を延ばし、知り合いがやっている松庵のバーで日本酒を2合。
女将は青山のギャラリーで働いていた経験があるので、「設(しつらえ)」のセンスは抜群。
お通しに、ナスの糠漬けが、黄瀬戸の豆皿ででてきた。
二週続けて中央線沿線を徘徊してみた。荻窪に住んでいたのは20代のころ。
「後期」はまだ冠にないばってん、67の「高齢者」になり、昔のなじみの街をブラブラと昼間から徘徊のような散歩をし、
珈琲を飲んだり、酒を飲んだりしていると、若いころには見えなかったモノやヒトが見えてくるから不思議だ。
「老いては、感(第六感)に従え」かもなんばん。感謝。

能登で始める三日坊主の無茶修行

そんなことを始めた。東京でも能登でも、毎日お茶を飲む(もちろん仕事がら珈琲も飲む。
ぼくは味見程度に一回淹れるごとに、スプーン一杯くらい飲むだけ。珈琲カップになみなみいれて
飲むのは、休みの時くらいだ)。珈琲やさんにいっても、珈琲よりもビールを頼むほうが多い(笑)
夏は、久保さんの作ってくれた「能登ジェラトン」(隕石入り)の宝瓶(ほうひん 取っ手のない茶器)に、
星野村の玉露をいれ、50度くらいのお湯を注ぎ、そのまま器ごと冷蔵庫にいれて冷やして飲む。

それとは別に、毎朝、できたての「還元茶」を飲む。同じく星野村の玉露を「還元くん」という水素茶をつくってくれる
ボトルにいれ、40度の湯をいれて、12時間すると「還元茶」ができる。冷蔵庫に冷やした「冷たい玉露」とはまた違った
次元で、「おいしい水素茶ができる」。「天真庵のHP」に詳しく説明しているけど、原理は単純だけど、複雑で危うい食べ物や
環境の中で毒されている体を、元にもどす(還元する)パワーがあるように感じられる。
なんか「前ツバ」もんで、「?」と思われるフシがある。もう100本以上が嫁いだけど、嫁ぎ先の8割が女子。
「隕石グッズ」や「元気シール」も同じような比率である。みんな「つくりて」は男子だけど、嫁ぎ先が女子。
これが陰陽というもんやろか?昨日の夕方、そばのお弟子さまで、宮崎の延岡と大分の津久見でお寺をやっている陰陽師さん
がそばを手繰りにこられた。そこのお寺で近い将来「寺方そば」を手繰れる日が待ち遠しい。

ちょうど、同じタイミングで若い女子が「ハーイ!」と手をあげてやってこられた。
カリフォルニアからきたらしい。窓際のステンドグラスの席に座って、メニューを見て「ウメオロシソバ」の後に「センチャ ヲ クダサイ」
とのこと。どこで、天真庵のことを知って、蕎麦と煎茶を知ったか知らないばってん、最近そんな不思議な外国のお客さまが多い。
片言の英語で「アナタハ、オチャ ガ スキナノ デスネ?」と尋ねると、「モチロン、テンシンアン デ オチャ ヲ ノムタメニ
キマシタ」と流暢な英語で笑いながら答えた。煎茶を所望されると、まず「そば豆腐&餡子」を出す。先週あたりから、
久保さんの黄瀬戸のひさご(瓢箪)でだしている。それでした供した瞬間、黄色い声の英語で「ビューティフル」とか「アメージング」を
連発。「経済」「経済」「経済」を連呼しながら、中身のないわが国の首相とは異次元の連呼だ。

煎茶をガラスの急須でだし、湯冷まし(片口の器におかわり用のお湯をいれる)にもう一杯ぶんの
湯をいれてだすのが、天真庵風。その時、彼女が座ったまま手を走る時のように左右振る所作をして、
「ワタシ ハシッテ イクノデ モウイッパイ ノミタイ」とのたまう。聞くと「3時半にスカイツリーの展望台
にのぼる予約をしているらしい。もうすでに3時を5分ほど過ぎていた。
「ま、これも一期一会やな」と日本語で返事をして、湯冷ましに湯をいれてだした。
それを飲みほし、「シショウサマ コンド クルトキ ハ オチャ ヲ オシエテクダサイ」といって、丁寧にお辞儀をした
後、十間橋からスカイツリーに向かって全速力で走っていかれた。一部始終をカウンターで見ていた陰陽師さんが
「相変わらず、不思議な人がやってきますね」といって、静かに笑っていた。感謝。

玉子かけごはん&コンビニの肉まん

昨日の夕方は「ゆるゆるヨガ」だった。毎月一回、かすみ庵のかすみちゃんが
きてくれて、コリコリ女子たちのこころとからだをほぐしてくれる。
終わったあとに、そばと珈琲。
昨日は、久保さんの新作の織部の丸皿に、そばを盛ってみた。
これから、新そばの季節を迎える。新そばは、少し緑かかっていて、生命力に
あふれている。緑色の織部にそば(まだ、昨年の新そばではない)を盛ると、
あたかも「新そばを先取り」している風情がある。
新しくそばやをやろう、という志高き「そばもん」が使うと、古色(器が経年により、色合いが変わる。「育つ」という)
がつくころには、職人も器も、まさに「育つ」のではなかろうか?
一般の家庭でも、茶わんを「好きな作家のもの」にするだけで、家族の「精神的文化力」がアップする!

今朝は「玉子かけごはん」。新しい能登の珪藻土の竈で、炭火でごはんを炊いた。
これまでの竈より少しこぶりなのだが、熱効率がいいのか、炊きあがりがはやかった。
「おこげ」も上手をこして、釜の底の部分は、真っ黒になった。
その少しこぶりの竈の上に、「がらがら焙煎機」をおいて、3回(ブラジル・コロンビア・ガテマラの順)焙煎した。
これまでの「珪藻土七輪」(同じ珠洲のメーカー)よりも、中までカリっと焼けた。
まだ炭に力があったので、新しい炭を少しいれて、こんどは羽釜ではなく土楽窯でごはんを炊いてみた。
やっぱり、いつもよりコゲがきつくなった。

これからコンビニの肉まんがおいしい季節を迎える。
先日読んだ「ねじめ正一」さんのエッセーによると、コンビニの肉まんがおいしいのは、皮と中身が、長年研鑽と研究をかさねて、
ゆるぎなき「黄金比」でできているからだそうだ。「二倍具をいれたらさぞおいしかろう」、で、挑戦したら、ダメだった話がのっていた。
ごはんを炊いたり、料理をしたり、珈琲を焙煎して淹れたり・・・もっと効率よく、とか、もっとはやく、とか、浅はかな人間の勝手な欲から
発想していくと、しっぺ返しがくることを反省させられた朝。

「毎日こつこつやっていくこと」が大切なんだな~。
燕の銅の職人さんの会社のロゴには、「石臼」がデザインされていた。
銅の会社に石臼?と思い、社長に「どうしてですか?」と質問したら、「石臼を使っていた時代のように、
何事も丁寧にやっていこう」という創業者の「哲」が、そこに入魂されているらしい。
会社が合併されたりコンサルタント会社のいいなりに、こじゃれたデザインのロゴが横行しているけど、
「石臼」を見た瞬間に、「存在意義の原点」にふれた感じがした。
「わたくしは、なにをしにこの星にやってきたのか?」とか「わたくしの会社(お店)は、なにをするための会社(お店)なのか?」

よがった後のそばが美味い!

今日の夕方は「ゆるゆるヨガ」がある。(6時からで完全予約制)
先生はかすみちゃん。そばと珈琲のお弟子さまでもあり、どちらも免許皆伝済。ときどき銀座のワインバーや、都内のカフェ
などで「そば会」をやっている。ベトナムや長崎などで「そば会」の時は、アシスタントで大活躍してくれた。
女子、とくに若くて美人の打つ蕎麦屋は、けっこう繁盛しているみたいだ。「かすみ庵」ができると、そんな繁盛店の
良きライバル店になるだろう。

二階で、ゆるいヨガ(といっても、ときどき一階でまかないのカレーを食べていると、悲鳴のようなヨガる声が聞こえてくる)
をやって、終わったら一階に降りてきて、そばと珈琲で〆る。老子の見込みの「空」ではないが、自分と向き合うヨガで、こころが
空っぽになると同時に、お腹もペコペコになるみたいだ。色即是空とかいっても、グーとお腹が鳴ると、いくさにならない。
そんな時に食べる「そば」は格別なようだ。
一時、「朝のヨガ」といって、出勤前にヨガる教室が各地で開催されていたけど、今はどうなんだろう?
奈良の「朝粥」みたいに、早朝にみんなで集まって、ヨガをした後に、そばを食べる、という新しいコミュニティーが
あっても不思議でないような気がする。「どや?」とかすみちゃんに聞いてみよう。

昨日のお昼、元気な女子3人がそばを手繰りにこられた。
「そばを食べる前に、3人でシェアしてそばがきを食べてもいいですか?」というので、「OK牧場ばい」
と答え、雪平鍋にそば粉を40g、水を120ccいれて、泡立て器でがしゃがしゃまぜて、中火で
木の箆(へら)を使って、一気呵成にかいて、そばがきを作った。
ちょうど、陶芸家の久保さんから新作の織部の丸皿がきたので、それに盛ってだした。
その瞬間の「キャー」という黄色い声。これまでは、漆の器で出したけど、これからは「オリベ」できまり、の瞬間。
昼からそば前(そばがでる前に、一杯酒を飲む)を、そばがきをアテに飲む。こんな粋で幸せを感じる瞬間はない。
しかも、オリベで供されると、滋味と土味が器ごと倍音のように伝わってきて、キャーという黄色い声と緑の織部のコントラスト
もまた素敵だ。
昔は、「昼間そばやで一献」は男子の専売特許だったけど、時代がかわり、女子の特権みたいになった。

寡黙で求道型で頑固おやじみたいな蕎麦屋も、天然記念物になりつつある。
頑固おやじ系のそばやも、きどって、懐石料理みたいな蕎麦屋は、おごられてもイヤだ。
懐石とは、もともと修行中の雲水が、お腹がグーと鳴るのをおさえるために、懐(ふところ)に石をかかえて座禅をした、がはじまり。
知らぬ間に、質素が贅沢品に格上げされた。
ただそばを手繰るのにも、いろいろ勝手が違うことが多くなった。まして、予約が必要なそばやなど、死んでもいやだ。

今日は12時から16時まで営業。それから一階では「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
二階では「ゆるゆるヨガ」
明日は月曜日。月曜の朝は「玉子かけごはん」(8-10) 
能登の珪藻土の竈(かまど)で、炭火をつかってお釜で炊くごはん。まさに銀シャリ。
銀シャリに、卵をのせて食べる。やっぱり「卵」よりも「玉子」のほうが、ありがたい気がする。
銀座の「隕石カフェ」から珈琲豆の注文がある。その時はサンクスカードに「王子さま」
と書いて、メッセージを手書きして入れるようにしている。一度間違えて、「王子」
に点をつけて「玉子さま」とおくったら、「頭は光っていますが、玉子ではありません」
と返事がきた。暮れには銀座にいく機会が増える。松屋の駐車場のところに、「隕石カフェ」
がある。豆はぼくが焙煎したものだけど、エスプレッソで飲む「ほぼぶらじる」も美味い。
新しい「銀ぶら(じる)」だ。

銀座~新潟(燕)~阿佐ヶ谷 から新潟(佐渡島)  

銀座のデパートに、開花堂の銅の茶入れを買いにいった時、同じ売り場に素敵な
銅の珈琲ポットがあった。燕産。新潟の燕では、燕鎚起銅器(つばめついきどうき)といって、一枚の銅の板を
鎚 (つち) で、トンテンカンテンと打って、伸ばして形成し、薬缶や茶入れや酒器などをつくってきた。
ぼくが使っているポット(ミルクパン)は、20年くらい前に、池袋の天真庵で個展をやってくれた「はらみか」
がつくったものだ。20年の古色がついた。やはり鎚起銅器だが、彼女は長野出身だったので、信濃鎚起銅器になる?

はらみかは、モデルなどもやっていて、スレンダーでとても美人だったので、英国のカメラマンに熱烈に求婚されて、その地に嫁いだ。
最近、ふたりで四国の古民家を見つけて、仲良く田舎暮らしをしているようだ。2年ほど前に帰国した時、天真庵にたちよってくれて
そんな近況を語ってくれた。

燕の職人さんと話をしていて、その珈琲ポットを愛用している若者を知る。
阿佐ヶ谷で小さな珈琲屋をやっているらしい。さっそく昨日、阿佐ヶ谷のお店を訪ねた。
東京にきて、はじめて住んだのが荻窪で、阿佐ヶ谷や高円寺や中野界隈はよく徘徊したもんだ。
(夜の飲み歩き専門だったけど)。でも先天的に方向音痴なもので、その店が見つからず、
近くのカフェのおねえさんと目があって、「すいません・・・・そんな珈琲屋へいきたいのですが」
と尋ねると、気持ちよく教えてくれて、2分後にそこについたけど、シャッターが閉まっていて、
「盛岡の珈琲フェス」に出展中とのこと。

踵を返して、2分もどり、親切カフェにもどり、「ビール」を飲みながら、女将と談論風発。
そのお店は、今時流行りの「シェアカフェ」だそうで、ちょうど阿佐ヶ谷でジャズフェスをやる二日間(今日まで)
を借りて、オムライスとか、JAZZ珈琲(ジャズが似合う珈琲らしい 頼まなかった(笑))とかを
供している。「普段はなにしようと?」と質問したら、名刺をくれて、「もう一か所、日替わり店長みたいなことをやっています」
とのこと。お客さんがちょうど途絶えたので、もう少し突っ込んで「一日いくらくらいで借りれるの?」と質問したら、
「この界隈は、安いところで8000円、高いところは2万円とか」とのこと。ふむふむ!

珈琲豆、オムライス、サラダの材料、抹茶のスイーツなどを持ち込み、ビールは、近所の酒屋さんで
調達するそうだ。おかわりビールを注文したら、「キリンはおわって、サッポロ黒ビールしかないのですが・・」
というので「ぼくは、キリンよりサッポロ黒ビールのほうが、よかです」と返事したら、おまけにサラダを
アテにだしてくれた。そうやって、お店を持たずに、いろんなお店を間借りしながら修行する若者があまたいるらしい。
彼女の名刺には、源氏名のようなひらがな三文字に、メールアドレスとQRコードが記載されている。

「ぼくが能登にいっている間、オムライスと珈琲が供されるお店が押上にあってもOK牧場かもなんばん」と言おうと
思ったら、男性客が「オムライス」を食べにきたので、おあずけ。阿佐ヶ谷駅から総武線で錦糸町にもどって「すみだ珈琲」
にいき、阿佐ヶ谷放浪記を語った。もうすぐ、近くの錦糸公園で、界隈の珈琲屋さんが集まって「珈琲フェス」
があるらしい。パンフを見ると、「すみだ珈琲」「しげの珈琲」以外は、横文字で、しかも字が小さくて読めない。
カフェなど飲食店は、3年以内に7割は消えていく。横文字のお店だと、覚えるのに三年以上かかる。
それもひとつのリスクヘッジなんだろうか?などと、時代おくれびとの独り言をつぶやきながら、押上まで徘徊散歩。
能登から東京にきたその日に、阿佐ヶ谷とか歩きなれていない街を徘徊するのも、なんか冒険しているようで楽しい、
の発見があった。
夜は、能登で買ってきた亀泉を飲みながら、「我、食に本気なり」(ねじめ正一)を読む。
彼は阿佐ヶ谷の乾物屋で産まれ、阿佐ヶ谷で民芸店を最近まで営みながら、詩や小説を書いていた人。
「高円寺純情商店街」で直木賞。彼の本を読んでみると、わが街押上に足りない「文化的なにおい」がする。

今日は12時から16時。
それから、「そば打ち教室」 今日くる「そばもん」は、佐渡島の古民家を買って、二股暮らしを
はじめた。来年あたりは、とびっきり美味いそばが、佐渡で食べれることになる。
黄瀬戸が好きで、久保さんの蕎麦猪口を使う予定らしい。「そばを盛る器は、織部の四方皿(よほうざら)にします」
などといったら、免許皆伝をしたいと思う。文化のあるやなしや、は、器にでる。「あの人はそんな器ではない」では、
見込み違いだ。ちなみに、「見込み」とは、器などの中側全体か、中央部分の事で、空っぽの空間だけど、器の良し悪し
を左右するところだ。老子さまは、その「空」なるところを、大宇宙としてとらえられた。
天真庵のそばを盛る器は「久保さんの絵志野(えしの)の四方皿」だ。開店時に30枚頼んでつくって
もらった。それからこっち一枚も割れていない。「無事これ名馬」は、馬や人だけでなく、器にもあてはまる。感謝。

新潟を良寛さんみたく托鉢中?

お店を始める前、2005年前後?
新潟の骨董屋をくまなく回ったことがある。
北前船で、伊万里あたりから運ばれてきた器が、いっぱいあった。
マイセンが磁器を発明するまでは、欧米では珈琲や紅茶を、伊万里の蕎麦ちょこで飲んでいた。
蕎麦ちょこは、最初から久保さんにお願いしていたけど、珈琲カップ
は、伊万里の蕎麦ちょこを使っていた。当時東京の骨董屋では一客1万くらい
していた。新潟の骨董屋では、半額くらいで売られていたように思う。

2007年に開店してすぐに、川口葉子さんが取材にきてくれて、「カフェと器の旅?」
そんな本に紹介されたことがある。有名な上田のパン屋さんが、同じ器で
珈琲を供していた。なんか同じ感覚の人やな~と思っていたら、そこの主人が
珈琲を飲みにきてくれた。ホボブラジルを同じ器でだしたら、ビックリしていた。
そんな縁もあってで、上田のパン屋にも旅の途中で立ち寄ったことがある。
新潟の骨董屋をまわっていて、そんな昔の話を思い出した。

5年前の「目の眼」という本に、「新潟の骨董屋を歩く」というのがあった。その中になぜだか、とある「すしや」
が紹介されていて、昨日はそこにいって、寿司をつまんだ。11時開店だけど、その時間にいったらカウンターは満席だった。
だから、名前は伏せる。さすが骨董好きがいくお店。器や設えがいい!
ひさしぶりに昼から、新潟の地酒を飲みながらいい気分になった。

今回は、骨董よりも、「会いたい職人」がいたので、アポも取らずに燕にいく。
中学の社会の教科書に、洋食器の街としてのっていたけど、訪れるのは初めて。
弥彦神社にお詣りして、職人さんのところへいった。話をきいていると、
弥彦山から銅がでたので、銅を扱う職人がふえていったらしい。弥彦山は、スカイツリーと
同じ634m。不思議な縁を感じた。街全体が凛とした空気。
珈琲に使う銅の道具を注文した。10か月後にできるらしい。楽しみである。
今朝は、湯田上温泉の小さな湯宿で、朝ひとっぷろ浴びて、シジュウカラやヤマガラの声を聴きながら、これを書いている。
旅は哲。いいね!

お店は土曜日から。