天真庵のそばは、2007年開店からこっち酒々井のそばや&そば農家さんにお願いしている。
ときどき、そこの畑にそばの白い花が咲くころ、そばを手繰りにいったりしたものだ。
水曜日は、ひさしぶりにその酒々井にいった。その後は、「やまとの湯」にいき、印旛沼の景色を眺めながら
風呂に浸かるのが日帰り千葉の旅の定番コースだ。
そもそも、そのそばやとの出会いは不思議な点でつながれていった。
目白に「ヨネクラボクシングジム」があって、そこに40を過ぎてから入門した。
同郷の故・米倉会長に「これからでも世界が狙えるので、がんばって」とお世辞をいわれ、
その気になって10年通った。
39歳の時に、ギャラリーを始めたので、ときどき近くの「さかた」という有名な骨董屋
にも顔をだしていた。主人の坂田さんも折尾という北九州の出身で、骨董以外に食い物の話などをした。
ある日、「近くの路地裏に、いいそばやができた」という。さっそく、自宅の一階を改装したという
小さなそばやにいってみた。女主人が毎朝そばを打ち、自作の四方皿に盛る、というオーソドックスな
スタイルのそばやだった。供されたそばを、何もつけず、口に運んだ。正直いうと、あまり期待をしていなかったけど、
土の香りがしてうまった。そのそばをつくってくれている農家さんをその場で紹介してもらって、次の日に酒々井に
でかけた。天真庵のそばがきまった日。2006年の秋だった。
そばの師匠・高橋さんも、はじめは目白で「翁」をはじめた。翁、さかた、ヨネクラボクシングジムもおばちゃんの店も
緞帳を下げた。でも目白という少しハイカラな街は、今でも少し特別な思い出のある街だ。感謝。