今日は4年ぶりに「墨田川花火大会」が開催される。
コロナの前は、「浴衣でライブ」を5時くらいからやり、花火の音が
聞こえてきたらお開きにして、三々五々で各自が界隈の花火見スポットにいって、
花火を楽しむ、というイベントを10年以上続けた。
浴衣がきれない子には、ワンコインで筆子さんが着付けをした。今は昔になった。
べつに前夜祭ではないばってん、昨日は花膳「そばやの昼酒セット」の人が多く、華やいだ。
その中に、昔の酒飲み仲間Aくん。5年近くぶりの再会。相変わらず、くまもんみたいな熊本訛。
Aくんは、小平で会社を23年やっている。40過ぎからのスタートだったので、少し心配したけど、
会社も本人も立派に成長した。ぼくより一つ下で、あと二年で引退するそうだ。
今朝の新聞に、日本人の男の寿命が、81歳に下がったとの記事。残りの10年を「林住期」という
黄金期にするためには、70前で引退し、好きなことをする、という選択が必要だ。
老後に2000万必要だとか、年金が云々・・・とか、強迫観念じみた洗脳があとをたたないばってん、
とりあえず必要の最重要課題は「健康」である。「健康」があれば、あとはなんとかなる。
一に健康 二に健康、三四がなくて、五に遊び(趣味)
Aくんと出会って30年以上になる。ぼくは池袋で2つの会社をやりながら、人形町のIT企業の
「雇われ社長」もやっていた。彼は保険のセールスマンでその会社に飛び込み営業。九州出身のぼくにあわせて、のべつ幕無しの熊本弁で
「やまんごと」話かけるので、「ちょっと気をつかいすぎとるけん、標準語でよかよ」といったら、
「なまってますか?ぼくは標準語のつもりなんですけど」といって真顔だ。
体よく保険を断って、エレベータまで見送り、Aが頭を下げ、「またきてもよかですか?」というので、
「よかよ」と答えて、ドアが閉まった。数秒後にそのドアが開いて、「これから飲みにいきませんか?」
と笑った。保険はともかく、酒は断るすべもなく、そのまんま人形町のおでんやで飲んだ。それからこっち、「江戸一」あたりで飲む関係が続く。その3年後、ねっと21という業界団体の理事長を
任された時、Aくんが多士済々の「くまもん」を紹介してくれて、団体の会員数が120社を超えた。凄腕の営業マンだった。
Aくんはそのころ「ひごもんず」という熊本県人会青年部の部長だった。その後、Hくんが西荻に「ひごもんず」
の名前を借りて、ラーメン屋を開いた。今は都内に二店舗の「ひごもんず」と、成蹊大学の前に、「台湾茶房 桃李」を
開いている。みんな「肥後もっこす」という部類に入る筋金入りのがんこもん。
でも、いつも軸足が「相手」のほうに向いているように思う。ぼくは、友達を選ぶとき、この軸足を
見るクセが昔からある。明治の大砲よろしく「自分」のほうに軸足が残る人が多い。そんなんを友達にすると、苦労する。
朋あり遠方より来る、また楽しからずや の一日やった。感謝。