昨日は「卵かけごはん」
月曜の朝だけ、珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊いて、みそ汁とお漬物
で「卵かけごはん」をやっている。
珪藻土は、もちろん能登の珠洲産。味噌の大豆も能登産。昨日は味噌汁に能登のサザエをいれた。
お漬物は、キュウリの梅酢漬け。これも能登の梅で梅干しをつくった時の副産物。
キュウリは、能登の家の隣の畑で採れたもの(隣のおばあちゃんがつくった)。
ぼくが、きゅうりとキャベツなどを、梅酢漬けにする時は、昆布と椎茸でとった出汁で
少し割って使う。そのままだと、塩の味がキツイと感じている。
筆子さんは、酢とか梅酢を、バーと思いきり使うほうが好きみたいだ。
野趣はあっていいけど・・・(笑)
昨日は、ブログが途中で中断された。9時半くらいに、4人の若者が卵かけごはんにきた。
神戸から車で上京して、京島のシェアハウスに泊まって、仕事をしているらしい。
4人ともすっかり京島にはまった様子。
はじめて沖縄にいった人は、かえってからしばらく「沖縄の話」ばかりする。沖縄病、というらしい。
京島にはじめてくる人も、同じような病気にかかる。ただし重病になると、すぐに京島に引っ越してくる(笑)
2006年の暮れに、天真庵(墨田区文花)を改装していた時、前を通った人が、「うちも古い物件があって、
昔店をやっていたのだけど、改装してほしい」と声がかかり、京島の「キラキラ商店街」のどんつき(明治通り)
の物件を改装して「BUNKAN」というシェアカフェ(店長が日替わり)が誕生した。初代の店長が昼が「なつき」くん、
夜の店長が「ユーホーくん」で、ふたりとも、今は九州に移住して暮らしている。
いろいろな紆余曲折はあったけど、「京島」にビットがたった人は、BUNKANにいって、縁をつなげていく、
そんな「アジト」みたいなお店。
夕方に、新宿でジャズのお店を40年近くやってるおっちゃんが遊びにきた。
「ぼくの散歩は病気です」が口癖。ジャズのCDを買いすぎて、お店は11席あったのが、4席はCDに占領され、
今は7席。「ジャズと散歩は、ストップがきかない。病気だ」と笑う。
「これまで、日曜日を定休にしてきたけど、京島を散歩するために、月曜日も休みにしたよ」といった後、
「能登の芋焼酎ちょうだい」と。けっこう上機嫌なので「何件目?」と聞くと「4件目です!」といってカカッと笑う。
豪快おっさんだ。この人が酔ってくると、ポチではく、地声で「いいね~」がでる。
能登の芋焼酎をぐいっと飲むと、「土の香りがしていいね~。鹿児島のよりいいね~」といつもの調子。
ちょうどベニー・グッドマンのモーツァルトが流れていて「いや~ ベニー・グッドマンは、ジャズもいいけど、
クラシックもいいね~」と絶好調になってきた。
少しうすめたほうがよかろうと思って、久保さんの焼き締めの片口に、能登の霊水をいれてだすと、
「カタクチもいいけど、中の水がいいね~」といって、芋の水割りを4杯おかわりした。
「ぼくは能登の黒島にいってみたい。」という。昔北前船で稼いだ人たちが、豪邸をたてた地域。
輪島の門前の近くにある。
昔は船が主要な交通手段で、彼らが寄港した港港に、花街や飲み屋や市がたって栄えてきた。
今は新幹線や飛行機が中心になって、港町は、風前の灯だが、そのなごりや残り香のある街を
旅するのがたまらん魅力らしい。
まだ長屋やうらぶれた商店街の残った京島を散策するのも、同じような感覚なのだと思う。
すっかり酔って「夕暮れ時の十間橋通りは、いいね~」とおらびながら、千鳥足で帰っていかれた。感謝。