能登はウメーものがいっぱい。梅はいまいち採れなかったけど・・

今回の能登は、三泊四日だった。
あっという間に、東京に着いた。熱帯夜みたいだったけど、車から荷物を
運び込んだら、ザーと雨が降り始めた。
途中の軽井沢あたりも昼間の気温が30度くらいあった。避暑地って、どこかあるのかしらん?
大きなトレンドでいうと、地球は氷河期に向かっているようだけど、しばらくは温暖化による災害が多いらしい。

帰る前日、富来の「橋本食堂」へ夕飯を食べに行った。
てるみちゃんが、50年もひとりでやっている奇跡の食堂。お店を作るのは簡単だけど、続けるのが難しい、を痛感するお店。
冬のおでんがとくに美味い。出汁がちゃうねん、ぱーねんでん(古い?ひょうきん族時代)一年を通して、「てんぷら」「ぶたの生姜焼き」「とんかつ」なども人気。とくに「てんぷら」は、江戸の名店を若いころからけっこう食べあるいたけど、「魚」や「野菜」
たちのレベルが違うので、くらべものにならない。しかも安い(定食にして1200円ほど ぼくは酒を飲むので、ごはんは食べない)

今回所さんのテレビに紹介されて「能登の牛筋そば」「花巻(能登の岩ノリ)」が、大人気になってきたけど、橋本食堂で
酒のつまみにいつもいただく「牛すじの煮込み」を食べた時、えええええ~とその美味さに驚嘆して、それまでの「牛筋の煮込み」
と、まったく違う作り方(出汁が、醤油よりも塩、おすましに近い)にして、「能登の牛筋そば」が誕生した。「花巻」も、橋本食堂の近くの海から、能登の家のある前浜地区までの「岩ノリ」「わかめ」「黒藻」などが、「能登で一番おいしい」とてるみちゃんが太鼓判をおしてくれたので、メニューにしたものだ。日本料理が絶滅危惧種になりつつあるけど、この「出汁」は、滅ぼしたらアカンね。

もうすぐ傘寿(80)が近いてるみちゃん。夏の厚い厨房の中で、てんぷらを揚げるのは、過酷なことやし、この技を継承してくれる
人を見つけるのは至難の業やけど、だれか「わたし弟子になります」と、声をかけてくれないかな?と思う今日このごろ。
来月は、東京から若い女子たちが、あまたやってくるので、さりげなく「どうや?やらへん?」と聞いてみよう。

天真庵をはじめる前、吉兆で修行中だった長屋くんに、「そば豆腐」「出汁のひきかた」「卵焼きの焼き方」「天ぷら」
「魚のさばきかた」を習った。「すっぽん」も習った(笑)ながや君は、その後彼は、パリの「YEN」(そばの師匠・高橋名人が監修)の料理長をやった後、早川で「ながや」をつくった。縁あって、長屋くんも高橋さんに蕎麦を習った。
どれもすごく役にたっている。「てんぷら」だけは、珈琲をメインにしたいので、油が飛ぶのがいやなんと、片づけが
面倒なので、メニューに入れていない。「すっぽん」もまだ一度しかやっていない。(でもこれは、いつでもOK牧場)
「ながや」にいって彼の「天ぷら」を食べるたびに、「美味い」とおらぼーごたある。最近、予約が取れにくい店になったらしい。
天真庵の姉妹店のつもりでいるけど、世間は、あちらのほうが姉さん店だと思っている(笑)うちは妹どす!

今日は、仕込みがやまのようにあるので、朝早くから汗だくで仕事をしている。
夜は「かき揚げそば」を食べようか?そんな気分。

明日明後日は「12時から16時」まで営業。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎塾」

珪藻土焙煎機UFOは、60gの生豆を焙煎できるように、考案された珪藻土の焙煎機。
試作品は、もうすこし大きくて、100g用で何個かつくってもろうた。
その試作品をつかって、100gの生豆を少し深めに焙煎し(モカがいい)、サイフォン用くらいの
細かいメッシュで挽いて(メモリー3とか)、700ccの水(うちは、能登の霊水を使って水出し珈琲
をつくると、めちゃくちゃおいしい「アイス珈琲」ができる。夏は毎朝、二回しこむ!
久保さんが「また大きめのUFOつくろうか?」といってくれたんだけど、久保さんもめちゃくちゃ忙しく、こちらもめちゃくちゃ忙しいので、
ほったらかしになっている。今年は間に合いそうにないけど、来年は「プロ用」にもなる100gの
大型UFOもつくってもらいたい。そんなこと思うと、いつもピンクレディーの往年の「振付」が瞼に浮かぶ。感謝(ユーホー)

感謝とは、祈りである・・・・最近そんな悟りがあった。

昼行燈(ひるあんどん)・・・かかあとうじょうで炎上?

行灯の灯りは、昼は不要。タイミングが悪く、ぼーっとしている人のことを昔からそんな風にいう。

先月、ヤフオクで五徳(ごとく)を買った。真鍮(しんちゅう)でできていて〇じゃなく長方形、囲炉裏をつくった時に
大活躍しそうだ。最初2000円くらいで、入札者が2人くらいで競っていた。取り合えず、5000円まで
上限にして筆子さんに頼んで入札。「え~ 五徳なんていっぱいあるじゃない」と最初はのるきじゃない。その日の夜の12時が期限だった。夕方に5000円を相手(見えないけど)が超えて入札してきた。

「どうする?」と聞くので、「8000円まで入れて」と頼んでみると、12時10分くらい前に、
「また更新されたわよ」とこと。五徳は、10個くらい持っているのと、眠さも手伝って、「あきらめる」
と答えた。でもなんとなく筆子さんの目が三白眼になっている。ここから「かかあ とうじょう」だ。
「え~ もうあきらめるの?相手が笑っている顔が浮かんでこない?」と叫ぶ。
続いて「私ならここで10000円入れるな~」・・・・
「わかった。じゃあ10000円」といって、半分眠っていた。ら、10分後に「やった!落ちた」とのこと。
ぼくよりも、かかあのほうが天下でもとったように興奮していた。

その五徳をもってきて、昨日玄関の長火鉢に入れた。鉄瓶と横に珈琲用のケトルがおける。
煎茶道みたいに、珈琲点前がいつでもできるようになった。
昨日は、区長さん(この集落で一番えらいひと)が、来月の「そば会」の打ち合わせにきた。
さっそく長火鉢のとこに座ってもらって、「ほぼぶらじる」を飲みながら談論風発。
夜は「TOGISO」の佐藤さんから「7月14日に、お披露目会をするので、珈琲を淹れてほしい」とのメール。
その日の早朝にそばを打ち、車で10分の「TOGISO]にいくことになった。赤崎というとても風光明媚な港町だ。
自分たちや子供たちに「サバイバル力」をつけるにはおすすめの宿。「TOGISO」と検索!

今日は今朝ごはんをおえた。今日は、ハチメの焼いたんと味噌汁。味噌汁の実は、じゃがいもとイギス(能登の海藻)。

東京のカフェから注文がきたので、これから能登の珪藻土七輪で炭火焙煎をする。
炭火は夏は、昼行燈みたいに無用の長物に思われている感がある。でも、こんなジメジメする梅雨の時期は、
炭火を起こして焙煎すると、湿気がとれ、気がよくなる。残った炭は、長火鉢に移し、ケトルで湯を沸かし、
土瓶の上に漉し布を輪花ドリッパーにかぶせ、和式ドリップ。こんな野趣満点の珈琲を飲みながら、満点の星を
眺める・・なんて贅沢な時間。

炭火を常用していた日本人が、「かか とうじょう」という炭火を使う時のコツを口伝してくれた。

「夏下冬上」(かかとうじょう)
料理のコツは火加減。その火種を夏は炭の下に、冬は炭の上に置くと火付きが良いということ。
台所の中心に、囲炉裏があった暮らしにもどすと、いろんな山積した現代の問題点が解決すると思う。
「かかさま とうじょう」のそったく期かもなんばん。感謝。

能登くらし ふつかめ

昨日聴いたCDは、「TALES OF ANOTHER」。その後長いことトリオで活躍するゲイリー・ピーコック、
キース・ジャレット、テイルズ・オブ・アナザーが初めて組んで、1977年に演奏したものだ。
あまりにいいんで、夕べ3回聴いた。UFOで深めに焙煎したモカをキンミヤに漬けこんだ「珈琲焼酎」
も空になった。

1977年というと、もう京都で暮らしていた。大学に通うよりも、
荒神口にあった「シアンクレール」に入り浸ってジャズを聴いていた。
マイルズ・デービスが来日すると必ず通ったという伝説のジャズ喫茶。「思案に暮れる」という名前がお洒落。
このお店があるから「大学は京都」という若者もあまたいた時代。

今朝は曇り空。明日から雨みたいなので、新しく糸を巻いたリールにタコヤン(タコ釣りの疑似餌 エビの形をしている)
をつけて、海へ・・・
タコ釣りの師匠もいない・・・きっとタコがいないのだ。
気配もないまま20分くらい釣っていたら、背後から「タコ釣れたケー」という声。
タコ釣り仲間の「ジョナサン」だ。(ぼくが勝手に命名  この界隈は親せきが多いので、苗字がだぶって、下の名前で呼び合うのがならわし 先天的に名前を覚えるのが苦手なので、勝手にあだ名をつける習慣ができた)
少し耳が遠いジョナサンに向かって、指をV字にして「20分釣っているけど、釣果ゼロ」と言ったつもりが、
「お~ 2匹釣れたんけ~。やっぱ名人やな~」と感じ違いしてくれた(笑)。

その後、彼はいつものように、岸壁のところにいって、小魚をまいていた。
もう彼の姿を見るや否や、カモメが10羽ほど集まっていた。
「カモメのジョナサン」・・・ぴったりの名前やと思うばってん、まだ彼には伝えていない。

これから朝ごはん。
タコは釣れなかったけど、近所の人からいただいた魚(ハチメ)を焼くニオイが台所から・・
冷蔵庫の中に、ハチメ(めばる)が10尾、サザエ約50個、タイ1尾が入っている。
朝ごはんの後は、畑の草むしり。この季節は、刈っても刈っても、後ろから草が生えてくる状態。
梅仕事は、梅が不作なもので今年はなくなったばってん、「田舎暮らしは、やることが、やまんごたある」とばい。感謝。

能登暮らし いちにちめ

日曜日、そば打ち道場が終わり、片づけが終わった後、能登へ出発。

いつもは松代あたりで、車中泊。
昨日は出発がおそく、コロナもあけ?車もけっこう混雑していたので、佐久平で寝た。
冬はマイナスになる場所だけど、昨日じゃ20度くらい。
寝袋は使わず、マットだけ敷いて寝た。冬は寝袋が必需品。夏は防虫剤。

佐久平のパーキンクの食堂は朝7時から開店。ガテン系御用達メニューで、
朝からラーメンとかカレーとかいったボリューム朝食。
「スタンダードな朝定食」を頼んだら、ごはんに、ワンプレートの皿に、太いウィンナー、コロッケ、
キャベツ、ホウレンソウのお浸し・・・・「ポパイの好きな朝定食」みたいだった。ごはんを半分にしてもらってよかった(笑)
松代パーキングでは、朝から「そば中心」のメニュー。どちらも、もう少し捻ってほしい感じ・・ま、食べなきゃいいのではあるが・・

今回は、3日しか能登で暮らさないので、「いきなりステーキ」みたいに、いきなり霊水汲みに、藤瀬の霊水公園にいく。
その後、和倉温泉の「総湯」でひとっぷろ浴びるべくいってみたら、街がコロナ禍にもどったみたいに、ゴーストダウン状態。
?・・・と思って総湯にいってみたら、お休みだった。
加賀屋などにお湯を提供する元湯。ワンコインで温泉に入れるのがうれしくて、能登のいの一番の観光スポット。

汲んだばかりの霊水を紙コップに移し、ぐびっと飲んで、ナビを自宅にし、荷物を家に置き、網戸をあけ、
冷蔵庫のスイッチを入れ、中にアイスコーヒー、ビール、日本酒、炭酸・・・などを入れ、輪島の「じんのびの湯」
にいって、沈む夕陽をみながら露天風呂に入り、この一週間の汗を流した。
その後、「能登牛専門店」にいき、能登牛の牛筋を注文。「能登牛すじそば」「牛筋カレーそば」の材料を無事ゲット。

さきほど家に戻り、牛肉屋さんで調達したポテサラ・牛肉のさしみ・ごぼうの天ぷら・しゅうまい・・・
などをつまみに、クロキリの霊水割りを飲みながら、ブログを書いている。
「着いたその日は、料理も、畑仕事もなにもしない」を旨にしているので、このまま、クロキリを3杯くらい飲むと、
寝る予定だが・・・・
ポストに、東京で頼んだCD(ゲイリー・ピーコック キース・ジャレット ジャック・ディジョネットではじめて収録したもの)
が届いていたので、それを聞きながら、珈琲焼酎でも飲もうかな?          感謝

さんか型カフェ

昨日も3時前に、「ゆーだけ」の状態。
そこからは「ガレットカフェ」。
能登の家に、梅仕事や田んぼ仕事を手伝いにきてくれる人がいると、
特別に宿泊してもらう。

その時の朝ごはんは、朝飯前いっしょに釣りにいって
魚(主にタコ)を釣り、朝ごはんは、ガレット。自分で焼く、を基本にしている。
タコが釣れたら、あこがれのタコガレ(タコのガレット)を作る。大きいのが釣れると、
夜はサシミにしたり、タコしゃぶパーティーにしたり・・・・タコフェスタ?
基本的に「できることを、自分でやる」が基本。「参加型」を旨としている。

昨日、3時過ぎにきたおばあちゃんが「ざるそばセット」と元気に叫んだ。
「そばが売り切れたので、ガレットしかできません」と説明して、しぶしぶ顔だったけど、
「それでいいわ」とのこと。しばらくして、ベテランのそばもんが「そば打ち道場」に参加。
それを見たばあちゃんが「あ、これって、そばが食べれるということ?」と聞くので、
「彼は自分のそばを打って、もって帰って、美人の愛妻といっしょに食べるの」と説明。

なにせ、この一週間は、天真庵デビューの人が9割(昨日は9割9分)なので、写真がご法度、
ながっちり(一時間以上の人は、追加オーダー)・・・など、あたり前のルールの説明やら、
「そば打ち道場」とか「UFOで焙煎」やら、いろいろ説明することが多い一週間やった。

「さんか型カフェの未来系」として、「自分でUFOで焙煎して珈琲を飲む」とか「自分でそばを打って、ゆでて食べる」
とかいうのもいいのではないか?とまじめに思っている。
常連さんになれば、いつでも「カフェ」ができるくらいの実力を身につけられる?

「さんか」と打っても、変換してくれないけど、昔「山窩」という山で自給自足しながら暮らす
達人たちが、この国にたくさん住んでいた。明治政府が、戦争をロシアとすることになり、
徴兵と税金を彼らから取ろうとたくらんで、山から都会へ移らせた。緑もキノコも山菜も動物(一番怖い人間という動物しかいない)
都会で、彼らの生活の知恵が消えた。今にいたる、だ。

今の「マイナンバー制度」とか「インボイス制度」も、同じようなニオイがする。

「山窩」で検索すると、いろんな本が紹介される。
興味がある人は、ぜひ読んでみてほしい。「参加型カフェ」「山窩型カフェ」・・・・これからのキーワードかもなんばん。

今日は16時まで営業。それから「そば打ち道場」「UFO焙煎塾」
まだ「参加型・・・」でも「山窩型・・」でもない(笑)予約した人たちが、そば打ちをし、珈琲の焙煎をする教室。

明日から30日まで「能登休み」。山窩のような能登暮らし。感謝。

所さん・・で、一週間・・

なかなかスリリングな一週間だった。
先週の「所さんお届けものです」に紹介され、番組がおわる
朝8時に、もうすでに3000人近くの人が、HPに遊びにきていた。すごい。

一日目、「広島の友達から『今、おもしろいテレビやってるから見て・・あなたの好きそうなお店・・がでてる』といわれ、
途中からテレビをつけて、支度して蕎麦を手繰りにきた」というおばあちゃんを皮切りに、いろんな人が押し寄せ、
あっという間に、そばが空っぽになった。あとは政治家状態・・・「ゆー(湯)だけ」。

この一週間は、途中から「ゆーだけ」になり、「ガレット専門店」になった。
人工呼吸器をつけ、そばを手繰る時はずすと、ピーピーと警告音をたてながら、ズズズとそばを手繰るおじいさん。
腰がまがったまま、外で30分近く並んでスマホをやっているおばあちゃん。このお方は傘寿を超えていた
けど、「花巻」と「能登牛すじそば」をたいらげ、アイスミルクコーヒーを飲んで、ケロッとしていた(笑)
高齢化社会になったけど、こんな元気な老人が増えると、日本もまだ大丈夫だ。
「さんば」(同じテレビで紹介された3人のばあさまが営むパン屋)は大人気だけど、傘寿(さんじゅ)を超えたじじい3人が「さんじ」なるお店をやることは、よしたほうがいい!どう考えても「惨事」だ。
ぼくが傘寿になったら、近所の「オフコーヒー」とか「リッタ」みたいに、若いお姉さんがやっているカフェに
いって、ひとりでお茶をしたいものだ。もっともそのころには、たねちゃんも、さつきちゃんも、さんば仲間?

昨日は、開店と同時に、高齢の御婦人4人組が入ってきた。
「テレビで所さんが食べていた「花巻」とアイス珈琲セット4つ・・・」とまだ席につく前にオーダー。」
食べ終わった後、「私たちみたいな女子がやっている『さんば』の行き方教えて」といって、帰っていかれた。
女子?(ヨンバ?)新しい押上の「ゴールデン梯子」だ。

病院の行きかえりに、不思議な混雑ぶりを見ていた「お世話しあうはうす」の女将(81歳)が、
3時ころこられ「もりちょうだい」と所望された時には、「ゆーだけ」になっていたので、
「ガレット」にしてもらった。

所さんは、ぼくよりひとつかふたつ上だけど、あの番組は「高齢者専門?」かもなんばん。

今日明日は12時から16時まで営業。
それから「そば打ち道場」「UFO焙煎塾」

いくつからはじめてもかまわないけど、そば打ちは、目があがる前に入門されたほうがいい。
包丁のところに焦点があわなくなると、難しいし、途中で蚊がとまったりしても、血をすわれっぱなしになり
貧血にならないかと心配になることがある。感謝。

タコがいなくなると、毛ガニが少なくなる?

北海道で毛ガニが解禁になったけど、捕れる数が激減しているらしい。
ライバルのオオズワイガニが増えているのが原因だという。
そのオオズワイガニの天敵たるタコが少ないのが問題だとか。

昨年、瀬戸内海のタコが少なくなった、というニュースがあった。
今年は北陸のタコもいまいちの感がある。
昨年のブリも脂がのっていなかったし、サンマやイカも不漁が続いている。海が悲鳴をあげている。

東京にいると世界中から飛行機にのって魚くんたちが、市場にやってくる。だから「危機感」がうすい。
いっしょに、水族館で暮らしているような感覚。動物園?
冷凍の技術や養殖の技術もあがっているので、どの街の寿司屋も「品切れ」がなく
にぎわっている。ただし、大手の回転ずしチェーンがハバをきかせていて、個人経営のお店
は、絶滅危惧種に近い。この押上界隈も、全盛期は20以上の個人の寿司屋があったらしい。
今はスカイツリーや、まわりに、グラグラ寿司みたいなテレビで宣伝するような回転ずしばかりだ。

スーパーの魚売り場は、養殖ものと外国産で8割くらいが占められる。タコはほぼ100%がアフリカ産。
あまり関心がなければ、海が悲鳴をあげている声が聞こえてこない。
福島の原発の汚染水が海に放出されるようになった。前の総理は「完全に制御されている」とデタラメなウソをいった。
今の総理も、それを鵜呑みにしているのか、さして緊張感もなく、海に流すことを決めた。
「おかみが言うのなら、そうだろう」と安心しているのか、国民から反対の声があがらない。

お隣の韓国は、かしましい。キムチに使う「塩」がなくなるのではないか?という不安から
市場から塩が消えているらしい。日本では、キムチはもちろん、漬物も梅干しも、出来合いを買う家が多いためか、
まったく「塩不足」の懸念もない。「減塩になっていいや」くらいの認識かもなんばん。

先日、能登の塩屋さんから電話があった。天真庵では、「かえし」をつくる時、そばの出汁、梅干し、味噌つくり
の時に、大活躍している。今回テレビで紹介された「花巻」「能登牛すじそば」も、出汁には、ここの「塩」が不可欠だ。
「たまたまテレビを見てたら、でてたので・・・ぼくの塩を使ってくれてありがとう」とのこと。
能登では「揚げ浜式製塩」といって、昔から海水を鉄鍋に汲み、炭火で長時間煮だす古式な塩作りをやっている。
明治政府が専売公社をつくり、ケミカルな塩化ナトリウムを「塩」として普及させたので、国民は健康を害し、
まるで害虫よろしく「塩のとりすぎはいけない」と洗脳が今も続いていて、一時は「揚げ浜・・」が絶滅しそうになった。

「水」と「塩」は、今後ますます大切なキーワードになりそうな気がする。感謝。

能登のタコはうまかっちゃん。

昨日、錦糸町の釣具屋に、タコ釣り専用のリールに、8号の
糸を巻きにいってきた。
能登では、「タコすかし」という伝統的なタコ漁があり、アニメの「釣りキチ三平」
にも名人が紹介されたことがある。

二本の竿を使って、一本には赤白のひらひらをつけて、タコをおびき寄せ、もう一本の
鉤がついた竿でタコを捕る漁法だ。能登の家から徒歩3分の港には、各自の自作の「二本の竹竿」が
アチコチにおいてある。「いつでも使っていいよ」
といわれているけど、ぼくは「タコヤン」という疑似餌を使ってタコを釣るのが日課になった。

釣ったタコは、ボールの中に米糠をいれ、ごしごしと吸盤あたりのゴミやぬめりをとって、
63度のお湯で20分くらい茹でる。大きさにもよるけど、サシミにしたり、タコ飯つくったり、
酢の物やパスタにすることもある。
客人がある時は、「タコ焼きパーティー」になることもある。
もちろん、あこがれの「タコガレ」(タコのガレット)にすることもしばしば。

先週、左党の佐藤さんが、「卵かけごはん」を食べにきた。
ぼくと同じように、東京と能登の「二股暮らし」。
「TOGISO」と検索すると、赤崎(港町)にある民泊の写真やら、説明文がいっぱいでてくる。
今回、二度目の大がかりのリノベで、カフェのような空間をつくった。
「日替わり(月替わり?)店長制」にして、だれか「夏気限定ガレット屋」でもやらないかな?
ぼくが若かったら、ぜったいにやるのになあ(笑)自分で蕎麦打ちやって、タコを店の前で
釣ったら、めちゃくちゃおもろい「ギャレットや」になるぜ!

日曜の夜から能登。今回は集落の公民館で「そば打ち」を依頼された。7月8月と
前浜・笹浪地区で続けてやることになった。
佐藤さんの新しいカフェでも、こけら落としで「やってもいいよ」と昨日メールしておいた。
ぼくてきには、そばよりも「タコ釣り」に専念したい気分なのだが、頼まれたら「NO」といえんちゃんね。
今回は、久保さんの「蕎麦ちょこ」を車に積んでいく。感謝。

月曜の朝だけ「卵かけごはん」

昨日は、卵かけごはん。
311のあった、2011年からずっとやっている。
一度、「アドマチ」にでて、スタジオに持ち込んで紹介されたことがある。
しばらく、卵かけごはんの朝、行列ができていた(笑)。

能登の「丸和工業」(先月の地震で甚大な被害を被った)さんの倉庫に「珪藻土の竈(かまど)」が5個あった。3年くらい前の話。
「もう今どき竈でごはんを炊く人はいないので売れません」とのことで、「じゃ、ぼくが使います」
と5個買った。九州のカフェとか、能登の古民家民宿・・・などにすぐに嫁いだ。
残ったものを東京にもってきて、月曜日の朝、ごはんを炊いている。
「おこげ」が美味いし、冷えたごはんがまたうまく、炒飯やお茶づけにしても最高だ。
昨日は、能登の家の前でとれた乾燥ワカメを、ごはんにふりかけ、能登塩をつけておにぎりして食べた。
日本の食卓が「ごはん」を中心に紡がれてきたことを五臓六腑が頷いている。

5合半のごはんが、おこげつきで15分で炊ける。
残った炭を、小さな竈に入れ、その上に焙煎機をおいて、珈琲豆を焙煎。
500gの生豆が、約25分でシティーローストになる。
ブラジル、コロンビア、ガテマラ、モカの順で焙煎。
それでも炭が残っているので、有田焼の「手あぶり」に移し、網付きの薬缶で麦茶を沸かす。
こうしてちゃんと煎じた麦茶は、紙パックに入ったような工業製品とは、雲泥の差の味で、
いい酒を飲むときのように、のどがグビグビと鳴る。

それでも、まだ火種が残っているので、別の薬缶に水をいれて、沸かす。
できあがったお湯は、そばを茹でる寸胴にいれる。
だから、月曜日の朝は、電気もガスもほとんど使わずに、「エコな卵かけごはん時間」だ。

都市ガスや、プロパン、電気釜、電子レンジ、最近は電気の調理器具などあまたでてきてけど・・・「暮らしが豊かになった」とみんな信じているばってん、よくよく考えてみると、X(ばってん)のような気がする。

昨日もまだエアコンは使わず、木枠の窓を開けっぱなしにして営業。
サンフランシスコからこられた4人家族の金髪さんたちも、ぞばを待つ間に、金魚柄のうちわなどをバタバタさせながら
涼んでいる。
「日本の夏は、こうでなくちゃね」と、先日きたおじいちゃんの声が聞こえたような気がした。感謝。

猿喰(さるはみ)・・・北九の地酒 キューと一献!

昨日も開店前から行列ができていた。猛暑なのにありがたいことだ。「所さん・・・」の影響はすごい。
所さんは偉大だ!おかげで、ぼくは体は、痛いだ。こんな日が続くと、遺体だ!

ときどき、下町散歩ついでに、そばを手繰りにくるじいちゃんがいる。「そばやの〇〇はこうでなくっちゃね」が口癖。
昨日も開店と同時にやってきた。「どうしたの?満席じゃない」と驚いていたので、
「昨日のテレビに・・・」と説明すると、「そばやは、テレビにでるくらいじゃないとね」
と笑って、いつもの文膳(昼酒セット)を所望された。お酒はおまかせ。

さっそく北九州の地酒「天心」の酒蔵・溝上酒造さんの「猿喰」をだした。
久保さんの備前の徳利にいれ、いつものように織部の六角盃で、キューと一献。
「この酒いけるね。そばやの酒はこうでなくちゃね」と叫ぶ。
「ここの創業者は、大分の中津から北九州まで馬車で酒を運んだ、という気骨の人なんです」と説明すると、
「酒屋の主人は、そのくらい根性がなくっちゃね」といって、赤ら顔になって笑った。

店内に流れるベニー・グッドマンのモーツァルト
を聞いて感動。「この店には、ぼくの琴線にふれるものばかりだ。そばやの設えは、こうでなくちゃね」
などとぶつぶついいながら、盃を重ねていく。実に気持ちのいい独酌。

そんな中、写真を撮ろうとしているお客さんに向かって、筆子さんが「店内は写真をお断りしてます」
と説明していると、「え、この店は写真はいけないの?いいね~ そばやは本来そうでなくちゃね」といって
ますます上機嫌になり、「もう一本」とメートルがあがる。

「猿喰」のラベルの裏の文章を紹介する。この説明文を3度読み、三本「猿喰」をおかわりした。

門司猿喰産酒造米
吟の里100%
特別純米酒 猿喰(さるはみ)1757

 宝暦七年、飢饉に苦しむ民を救うため、大里村の庄屋・石原宗祐は庄屋を辞し、弟の柳井智達と共に猿喰湾の干拓に着手しました。
 宗祐は現在の17億円に相当する私財を投じ、2年に及ぶ難工事の末に、約33ヘクタールの「猿喰新田」を干拓しました。さらに溜め池と「汐抜き穴」も造成し、着工から16年を経て、ようやく新田から米が獲れるようになりました。
 以来門司では飢饉で死者を出さなかったと伝えられており、完成から二百数十年を経た今も、新田は豊かな実りに恵まれています。
 宗祐翁の偉業を語り継ぎ、新田が継承発展される事を願って、かつて人々の命を救った田園で酒造米を育て、日本酒を醸しました。

こんな魂の籠った酒がまずいわけはない。
猿年生まれとしては、自分が喰われるような名前ではあるけど、しばらくは晩酌の友になりそうだ。感謝。