今朝、蕎麦を打っていたら、ラジオのニュースが「ヨネクラボクシングジムの米倉健司会長が20日に88歳
で亡くなった」と伝えた。福岡出身でガッツ石松はじめ、5人の世界チャンピオンを育てた。
その中に大橋ジムの大橋会長もいる。今世界一のボクサーだと言われている井上 尚弥くんを育てたジム。
シンクロニシティじゃないばってん、昨日書いたYくんも、福岡出身の「米倉健児くん。漢字がちょっと違うけど、
「ことだま」が同じ。
40のころからお店をやるまでの10年、ヨネクラボクシングに通って、ボクシングを習っていた。
同時に「後援会」に入った。その時、名前、年齢、住所など書いた後、「奥様の誕生日」というのがあって、
建国記念日の「2月11日」と記入した。
そんなこと忘れていて、しばらく上池袋の自宅から、グローブやバンテージ(手にまくテープ)などをスポーツバッグに
入れて、目白にあったジムまで歩いて往復した。片道40分。
一年で体重が11k(75Kが64k)になった。スーツがみんなダブダブになり、池袋西武でポールスミスの紺のスーツを買った。
それまでは、仕立てていて、けっこう高級なスーツを着ていたけど、それよりも、つるしのポールスミスのほうが、似合った(笑)
2月の誕生日の朝、家のチャイムが鳴った。筆子さんが玄関をあけたら、大きな箱が届いた。送り人が「ヨネクラボクシングジム」
100万本はなかったばってん、赤いバラの花束と、手紙が入って
「ぼくたちが、いつもリングで闘っていけるのは、奥様のおかげです。これからもよろしくお願いします。 米倉ジム・ハリキリボーイズ
より」と手書きで綴られていた。
孤独なリングで拳いとつで闘うボクサーも、リングを離れると、みなやさしい男たち。見え見え感ただよう演出だけど、喜ばない女性
はいない。「さすが」と感嘆した。
押上で天真庵がスタートした2007年。会長から電話があった。「これから、お蕎麦と珈琲を飲みにいきたいのですが、
50人いけますか?・・・」といって笑っている。「会長わざわざ電話ありがとうございます」
といったら「お蕎麦と珈琲で世界チャンピオンになってください」と激励された。
「リングの虫」と呼ばれた男。きっとあの世にいっても、ファイティングポーズをとっているに違いない。鎮魂。