能登は朝から雨。まだまだ肌寒く、昨日寝る時に、灰をかけておいた囲炉裏の炭を
掘り出し、新しい炭を足して暖をとる。
能登には「火様」(ひぃさま) といって、3百年の間、一度も消えることなく村人に守られて
きた火がある。暖をとり、調理もできる「火」の大切さを知る古人たちの「畏敬の念」が感じられる。
昨日は近所の漁師さんがくれた「えび」を、囲炉裏の炭で焼いた。あまりの美味さに、酒がすすみすぎ、
「宗玄」という能登の地酒をグビグビのどを鳴らしながら夕餉。
となりのおばあちゃんが、わらび(灰汁で下処理すみ)と、自作のアスパラガスをくれたので、卵とじにした。
妙高で買ってきた「こごみ」は、さっと湯がいて、マヨネーズに柚子胡椒を入れて食べる。アクの強い山菜は
たいがいこの食べ方でOK牧場。こしあぶらは、バターでいため、仕上げに「かえし」(醤油でもいい)をちょこっと
入れ、ごはんとまぜたら「こしあぶらごはん」ができあがる。山菜の王様たる所以の美味さ。
「囲炉裏」(長火鉢も含め)が、3つある。一番活躍しているのが、大きな木の根っこをくりぬいて、銅板を張り、灰を
いれ大きな五徳をいれたもの。陶芸家の久保さんにもらった。大人の手でぐるっと抱きしめても届かぬくらいの大きさ。お客さんがきたら、
五徳に網を置いて魚や肉を焼いたり、鍋をのせたりする。普段は大きな薬缶をおいてお湯を沸かし、珈琲やお茶や、洗い物をしたりするお湯になる。
さながら「薬缶の給湯器」だ。この家に住んで6年目になるけど、ガスは契約していなし、お風呂の給湯器もこわれたままにして、
近所の町営の「温泉」に車でいき、260円(65歳から半額になった)で、風呂と風呂上りに新聞を読んで息抜きしている。
水は藤瀬霊水を汲み、電気は移動型のソーラーパネルで蓄電池に電気を溜めている。水も電気も、基本料金以内。
火を囲んで車座になって酒を飲むと、縄文人にでもなった気分でテンションが
あがる。玄関には、昔の瀬戸物の火鉢がひとつ。足立くんにテーブルをつくってもらって、そこに珪藻土七輪をいれ、焙煎もできるし、
椅子にすわったまま焼き肉パーティーができる場所もつくった。徒然草に「家の作りやうは夏をむねとすべし」の名言があるけど、
北国は「冬をむねとしている」と思う。この家を建てた施主のじいちゃんはヘビースモーカーだったらしく、
居間の天井に換気扇が設えてある。その下に、移動型ではない、具え付きの「囲炉裏」を冬までに作ろうと思っている。
近く(といっても、車で15分ちょい)の「おでんや」で出会った板金屋のじいちゃんが「おれにまかせとけ」といって、
仮契約はすましている。ただそのじいちゃんが、先月手術をして、今はリハビリ中。回復を待って、こんどの冬までにできればいい。
明日は、珠洲の珪藻土七輪やさん経由で、縄文真脇遺跡にいき、梅茶翁に「ほぼぶらじる」を届ける。我が家の「火様」は、
昨日焙煎する時に使った「炭」の火の二日目の火。300年前にも、そんな「はじまり」があって、300年の火様が
燃え続けているということだ。兼好法師の格言ではないが、「継続は力なり」を思い出す。感謝。