のんちんの能登くらし 一日目

日曜日の夕方、片づけが終わって、車で「いざ能登」へ。
いつも車中泊をする松代の温度は3度だった。
寝袋に体を潜り込ませ、クーラーの中に忍ばせた「亀泉」(能登の地酒)でナイトキャップ。
酒が五臓六腑に染み渡る。ソロキャンプが流行っているけど、車中泊できるような
車も多くなった。「道の駅」も全国津々浦々まであるし、蓄電池、寝袋、酒の「車中泊 三種の神器」
をもって、「ノマド」もおもしろい。UFO(珪藻土焙煎器)があれば、鬼に金棒の「夜逃げのようなノマド生活」だ。
しばらく、世界も日本の経済も斜陽。太宰ではないけど、「斜陽」もけっこうではないか。ゆっくり旅しようじゃないか!

朝おきて、妙高高原のパーキングまでいって、朝ごはん。信州のパーキングの食堂のメニューは
「朝からそば」が多い。コロナの前は、松代でも「朝定食」がさばの塩焼きなどがついていたのに、
「そば」が中心になった。だから妙高まで走って・・さばの塩焼きの朝定食がならわしになった。
しかしその「さば」が、そこも消えた。さばの不漁で缶詰もスーパーの棚から消えるような昨今、信州の食堂までの
さばがあるはずもない。「豚汁定食」(ころっけつき980円)のボタンをおし、気分も切り替えた。
その後、新井パーキングに停め、歩いて「道の駅」(高速道路と娑婆が自由にいけるところがある)、で
山菜(こしあぶらとこごみ)と、キムチ(高原の白菜がうまいので、ここのキムチは秀逸)を買う。

北陸道は、左手に立山が真っ白に化粧したまま見えた。40代のころ、「立山だけ登る登山者」よろしく
毎年夏だけど、立山をのぼった。かなり初心者にきついルートもあったけど、若さでなんと凌いだ。
もうそんな健脚は残ってないけど、「もういちど・・」なんて思いながら、横眼で白い巨塔のような冬山を眺める。
昨日は魚津あたりでフロントガラスの向こうに、白山連峰の頂が白く見えた。蜃気楼の街だけど、しっかり見えた。
ユーミン風に言えば、♪左手に立山、正面が白山連峰・・この道はまるで滑走路 夜空の能登へ続く・・・だ。

小杉インターから下道を通り、氷見の回転すし「すしのや」で、ちょこっとすしをつまみ、
近くの本屋で本を買う。新作の文庫本は、紙や郵送費や人件費などの高騰で、一冊1000円近くになった。
そんな中で「世の中がかわっても、ずっと売れている一冊」と手書きしているオススメの本の
ところに「人間失格」があった。定価280円というのが、うれしい。後ろのページに
「昭和27年10月発行」が「令和4年4月30日 二百十一刷」となっている数にびっくり。
日本人の読む本が、「月一冊」の時代に、これだけ愛されつづけている太宰。入水自殺しなくても、印税で喰えたね?
別にお金の問題で死んだわけではないか・・?

能登の家について、晩酌をしながら40年ぶりに「人間失格」を読もうとするも、寒さと酩酊で、頭に入ってこない。
一か月空けた家は、石油ストーブと囲炉裏の炭をもってしても、しばらく寒い。
「明日にしよう」と思い、茶箪笥の上に積んであった雑誌「ちるちんびと」などをを読む、にチェンジ。
さながら「人間失格」だ・・・

そんな風にして、6年目の能登の春が始まる。今日はさっそく梅茶翁とか、東京のカフェから
きた注文の珈琲豆・ほぼぶらじるの焙煎をしようと思っている。なぜだか、京都の高級ホテルからも注文が・・・
「たつき」(採算ベースにあうか?)という意味では、部の悪い「飲食業」。
しかも10日も「能登休み」にして、馬耳東風なその日暮らし。採算が合う、とは程遠いけど、
「こんなに素敵な生き方はないよ」と、痩せてはいないばってん、やせ我慢をしながら、不思議な「二股暮らし」
をしている今日このごろ、が6年続いている。手本にはならないけど、無手勝手流な「珈琲茶道」を
邁進中かもなんばん?

*「のんちん」というのは、ぼくの渾名。
北九州の城山小学校時代、ソフトボールでバッテリーを組んでいたキャッチャーの笠間君が、
とある試合の時、珍しく「あがっている」ピッチャーののむらくんに声を掛けた時に、
天声人語みたいにちゃねった「ことだま」みたいな「あだな」。
余生にふろくができて、小倉か黒崎でお店をやるチャンスがあったら、お店の名前は「のんちん」
にしたい(笑)

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