ボクサー 斎藤司

天真庵のあるうらぶれた十間橋通りを、まっつぐ歩き、明治通りを渡ると、八広になる。
それをまだまっつぐ歩いていくと、鐘ヶ淵の駅。カネボウ発症の場所で、社名もそこから命名した。
その駅の少し手前に、「一力ボクシングジム」がある。ぼくが昔通っていた目白の「ヨネクラボクシングジム」
も、あしたのジョーの「丹下拳闘クラブ」みたいに、古色蒼然たる木造のジムだったけど、一力も同じような
雰囲気を醸し出している。

昨日は、その一力ボクシングジム主催のボクシングが、後楽園ホールで行われた。メインイベントが、斎藤司くん。
何か月か前に、朝日新聞に「ボクサー 斎藤司」のことが写真入りで紹介された。
興味のある方は、ネットで「ボクサー 斎藤司」で検索するとわかる。移籍にからんで裁判になり、7年ほどブランクがあった。
ボクサーの平均活躍年数は、3年。デビュー戦を前にやめる子もたくさんいるし、デビュー戦で負ける子は、ほとんど
が次がない。椅子取りゲームじゃないけど、「負けたらおわり」みたいなところがある。ファイトマネーも他の格闘技よりは高いけど、
命と引き換えにやる試合にしては、安いし、その対価のチケット(自分で売ってお金にする)をもらって、親せき縁者に頭を下げて
まわるのも、リングにあがる前の大事な仕事なのだ。

そんな新聞の記事を読んだ後に、ボクシング好きの医院長がそばを手繰りにきた。「もうお互いに卒業したけど、もう一度
後楽園ホールにいきましょう」とのお誘い。それが、昨日の試合。コロナ禍の前は、ふたりでよく後楽園ホールのリングサイドに座り、ボクシングを観戦した。まるで卒業した母校に呼ばれたみたいな懐かしい気分。チケットの裏には、「マスクの着用」「禁煙所の閉鎖」「応援のぼりの禁止」「選手との握手・ハイタッチ禁止」・・と書いてある。まだまだコロナがあけていない。でも、後楽園ホールに若きボクサーたちを
応援する熱気がもどった。斎藤くんは、3人のパパで、昨日はリングサイドにかわいらしい娘3人がセコンドよろしく大きな声で
「パパ、がんばって」の黄色い声。3回には「パパそろそろ倒して!」の声に館内が沸き、それに答えるように、
左フックが相手のボデーにあたりダウン。みごとなKO勝ちだった。会場の喝采、娘たちの喜び様は、まるで「世界チャンピオン誕生」のようだ。
これまで、日本タイトルマッチや世界戦も観戦してきたけど、昨日の試合は、新しいボクシング歴として脳裏に焼き付いた。感謝。

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