一月末から、毎日コツコツやってきたマンツーマンの「菌活の会」(味噌つくり)
も、今日が最終日。
昨日は、UFO焙煎塾と味噌つくりを、宇宙人みたいなお弟子さまとやった。
正確には、もう3年も焙煎塾に通ってきていて、UFOではなく、能登の珪藻土七輪に
手回し焙煎機をおいて、がらがら焙煎している。彼女はそれを石臼で細かく(豆を少しづついれ、ゆっくり
まわすと細かくなる)挽いて、サイフォンで淹れる練習をしている。
ぼくが大学時代に修業した「からふねや」の本店は、ブレンドはネルドリップ、シングルオリジンはサイフォン
でやっていた。女性がサイフォンする姿は、美しい。
焙煎が終わり、七輪の上には、大豆の寸胴をおいて、午後の味噌つくり。
小豆(あずき)も、大豆(だいず)も、炭火でことこと炊くと、おいしい。
圧力なべや、チンして時短も流行っているけど、食べ物も即死するみたいな感じやし、
それを食べた人間も、早死にするんじゃない?っという感じがして、ぼくは使っていない。
べつに、長生きしたいわけじゃないばってん。
味噌つくりを終えたら、陽が暮れてきたので、屋根の上(物干し場所の低い屋根)で、ソーラーパネルを
しまった。さすがに日中20度を超えたので、蓄電池が100%に溜まっている。
いろいろな物価があがり、戦争前の雰囲気で景気も悪いし、お金はなかなか貯まらないけど、お天道様は
すごい。太陽光を上手に取り込めれば、わずか数時間で、地球上に必要なエネルギーがまかなえる。
ひょっとしたら、もうそんな技術がどこかで、できているんじゃないか?そんな気もする。
ソーラーパネルを設置したり、取り込んだりしていると、最近よく、近所の人に「何をしているんですか?」
と聞かれる。昨日も近所の一軒家に住む若い奥様に「何しているのですか?」と尋ねられた。
「貧乏で電気代が払えなのいので、太陽さまに恵んでもらっているのです」と答えたら、吹き出しながら、
「うちは、家族4人で別々の部屋で生活しているので、今月ガスと電気代で10万円でした」とこと。
笑ってる場合じゃない。
「この機械(ソーラーと蓄電池)は10万あれば買えますよ」と言おうとしたばってん、根本的な生活スタイルを
改善しないと、そのお家の持続可能な生活は難しそうなので、言うのをやめた。
家族団欒、などという言葉も死後みたくなってきた。傍から見てると、家族が同じ屋根の下に住む、
というのは、一見幸せなスタイルに見えるけど、コロナでリモート仕事の夫くんや子供たちが
ひがな家にいて、勝手気ままに自分の部屋でエアコンや床暖をつけほうだい、小用のたびに小便の何十倍の水を
使い、三食食べ、くそをし、別々に朝シャンとか夜シャンとか・・・・・20年以上も給与が上がっていない日本人の
暮らしの「身の丈」を超えているかもなんばん。
先日、出生率が80万人を切ったというニュース。予想より早く、少子高齢世界になってきた。
当たり前だけど、年金が少なくなる。ぼくのまわりも「年金生活」の人が増えてきた。
「それだけでは暮らせない」という。でも、その少ない年金にぶら下がらずを得ない子供たちもいっぱい
いる。その子供たちの老後にはきっと年金制度は崩壊しているだろう。非正規社員が増え、ひとりでアパートの家賃を払い、めしを食って、将来は結婚して・・・
という当たり前だったコトすら、できない人でいっぱい。親が死んだり、病気になって介護や入院が必要になった
ら、即、親子ともに生活が破綻する。誰も、人ごとではない。
最近口癖のように、「家に囲炉裏をつくったら」と繰り言をいっている。(工夫したら、安く作れる)
二月堂(和室の小さな机)や、寺子屋机などが、じいちゃんやばあちゃんの家の倉庫にあったら、それを
使って囲み、真ん中に、「よくばり七輪」(蓋つきの珪藻土七輪で、蓋をとって台にすれば、畳の上でもOK牧場、使ったあと
は、蓋したら、火消し壷になる)をおくとできる。能登の家では、有田焼きの火鉢のまわりに、能登ヒバでテーブルをつくって、
火鉢の中に、よくばり七輪をいれてつくった。
火があるとこには、家族(人)が集まる。そこで魚や肉を焼いたり、熱燗をつけたりして、車座で膝がふれる空間で
団欒。縄文時代から、この列島に住む先人たちは、そげな簡素なスタイルで、生き暮らしてきた。
能登に「縄文真脇遺跡」というところがある。これまでの学説などを超越して、「長いこと定住していた」
ことが最近判明した。そこに縄文の家が建っている。不思議な縁で、その家つくり(といっても、杭の穴を、石の斧で
掘る手伝いをした)の手伝いをした。そのお礼に、できあがった家の中で「縄文時代の茶会」みたいな
ことをやらせてもらった。確か天真庵のHPの「のむら暮らし」に写真がのっていると思う。
縄文人の「知恵袋」の中身は、宇宙規模くらいの叡智が内包されているように思う今日このごろ。天恩感謝。