お世話しあうハウスの「居場所」と「出番」

ときどき、近くの「お世話しあうハウス」の人たちが、そばを手繰りにこられる。
ママさん(正確にはババさん)は、齢(よわい)80歳。そのマンションは、90歳を超えた
独居老人があまた住んでおられるので、朝は自宅を開放して無料のモーニングをやっておられる。大事な「居場所」。
お客さんたちもお返し、みたいな「出番」があって、週一で自分の得意料理を披露する。
その時、食材があまったりしたら、もったいないので、うちが「お流れ」を頂戴することがままある。
なんとなく、世界中で行き詰まり感のある「資本主義」とは違う「たつき」(経済)が成り立っている。
今問題になっている「食品ロス」もない。
古いも新しいもない「原始的ぶつぶつ交換」みたいな「たつき」だ。
昨日は恵方巻がやってきた。ちゃんとす巻きを使って、すし酢を使って、卵焼き、キュウリ、かんぴょうなどが
入っていた。炒飯の時は、紅ショウガがちゃっとのっている。

昨日はババさんと、最高齢で大正15年生まれの95歳のおばあちゃんとふたりで、2時ころやってこられた。
ババさん曰く、「またこの人、ごはんを食べるのを忘れてるので、連れてきた。いつもの暖かいそばをひとつお願いします。
私は恵方巻を食べたので、チーズケーキセット」
彼女の「いつも」は、「能登牛すじそば」だ。ふたりでいる時は、「耳が聴こえぬフリ」をしていて、ババさんが席をたったり
すると、ちゃんと会話ができる。さすが長老だけあって、老獪な人間関係のコツみたいなのを心得ている。
昨日も帰り際に若いギャルよろしく親指をたてて、「おいしかった」と笑った。ワザと「昼ごはんを忘れたフリ」をしているのかもなんばん。
電気工事などで、部屋に若い男子がやってくる日は、ちゃんと化粧をしたり、お気に入りの戦闘服でお洒落をしているらしい。
そのあたりの「色気」も、健康で持続可能な流行り言葉以上に、「年寄のたしなみ」みたいな日常茶飯がある。

カウンターで、「マタ酎」(まだ珈琲韻)を飲んでいたイワジー(カッポレの相方 古希をちょっと過ぎた)も、
おばあちゃんの蕎麦をズズズと手繰る音に刺激を受け、「ぼくも能登牛すじそばください」と連鎖反応をおこし、
35度の「マタ酎」で真っ赤になった顔で、そばを手繰っていた。こころ中で、おばあちゃんのマネして、親指をたてた。

夕方、先日ツケで「UFO」を買っていかれお弟子様が、封筒にピン札の一万円札を入れて
もってこられた。「ねえねえ、家でさっそく焙煎したんだけど、天真庵で飲むのと違うのよね。どうして?」
という。機関銃トークで「珈琲飲んでいくので、淹れ方を見てていい?」というので、かぶりつき席の前で
丁寧にハンドドリップをする。
「モカの生豆500gもちょうだい」
お会計の時「あ、いけないパンを買ったので1000円足らない」と笑い、またツケが残った(笑)
すこし、耳が遠くなったり、もの忘れがはげしくなった人たちが、さながら映画のシーンみたいに愉快にやってくる。
街の「喫茶店」というのは、ある意味「お世話しあうハウス」みたいな役割も兼ねているのではないか、と最近思う。
「居場所と出番」が大事だ。感謝。

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