能登の寒ブリ祭り

昨日、ブリ祭りが能登町であった。コロナのため、2年ぶり。
会場では宇出津港(うしず)で水揚げされた新鮮な能登の寒ぶりをはじめ、たくさんの魚介類や地元特産品が販売された。
梅茶翁のしんごちゃんも、珈琲を販売。ブリの解体ショーも実施され、解体されたブリはお刺身として無料で振る舞われた。
コロナの前は、しんごちゃんから東京の天真庵に10kクラスの寒ブリが届き、般若くんにつくってもらった木曾檜の
大きなまな板の上にのせ、解体ショー(といっても早朝だったので、だれも見てないけど・・)をやり、「自分で寿司をにぎる会」
などをやったもんだ。

今朝は、資源ゴミの日。朝から雪になりそうなくらい冷たい雨が降っている。じいちゃんたちは、軽トラやネコ(一輪車)に
ゴミをのせて、運んでいる。納屋の中の、いっぱいあった器(祭り・冠婚葬祭を家でやるので、昔はどこの家にも、陶器や漆器
などが、やまのごとく用意されていた。それらを整理するのに、3年はかかる)をだす。納屋の中にあった本なども、やっと片付いた。

「ひとつ片づけて、ひとつ増やす」をこころがけていたら、断捨離や終活にあまりこまらない?
今日か明日に、東京から箪笥や書棚などが届く。実家にあった「将来読もう」と思っていた本は、3年前に
ほとんど処分した。500冊くらいあった。宿便がとれたみたいに、すっきりした(ほんとうは、ぜんぶもってきたかったかも)
けど、東京の本をこちらへもってきたら、またすごい数になっている。雨の中、前の住人さまの本の束を納屋から運ぶ途中、
『いつか自分の本を片づける人も、こんな寒い中で重たい思いをするんだろうな』みたいな気持ちが脳裏をよぎった。

器も重い。お店も、能登の家も、9割以上が久保さんの作品。「寒山拾得美術館」と称しているけど、
京都の河井寛次郎さんの記念館じゃないけど、さながら「久保忠廣記念館」みたいな感じだ。
今朝は、織部の四方皿に、ハムエッグをのせた朝食。本と違って、器(作家もの)は、古色がつく(使うほどに風合いがでる)
ので、断捨離の対象にはならないと思うけど、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で、将来のことは
誰もわかないか・・・?

昨日読んでいた「梅華開」に、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)の「仏道をならうといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」
の解説があった。読めば「ふん。なるほど」であるが、その程度のことを道元さまが伝えたかったのではない。
毎日毎日の「今ここ」のところで、味わいつくしていくことなのかしらん。まだまだ道の途中だ。感謝。

♪まちぼうけ まちぼうけ ある日せっせと野良稼ぎ・・・

能登の家では、朝6時に防災用スピーカーから、目覚ましの音楽がなる。
夏は「さざえさん」、冬は「まちぼうけ」だ。作詞は北原白秋。
夏の6時は、もう明るくて、ぼくは「タコ釣り」があるので、自然に5時には起きて、
釣りの準備をしている。冬はまだ暗く、外ではふくろうがすだく時間帯で、釣りにもいけないので
布団の中で夏を待つように「まちぼうけ」を聴いている。なんとなく、この音楽がぴったりな風袋だ。

♪待ちぼうけ、待ちぼうけ
ある日せっせと、野良稼ぎ
そこに兔がとんで出て
ころりころげた 木の根っこ

昨日、「おかまのMくん」から電話があった。「今能登?東京?どっちなの?」
「能登ばい」と答えたら、「青春キップで九州にいってきたから、お土産もっていこうと思ったんだけど、
残念だわ」とのこと。
先日、梅茶翁の三輪福さんと、おでんをつまみながら、Mくんの噂話をしていた。
まことの不思議な話なのだが、梅茶翁の家には、梅林があった。東京から移住した最初の年には、「どうしよう」
ということで、天真庵に50kくらいおくられてきた。それを筆子さんが「梅干し」にしてから、
能登と東京を往復しながら「梅仕事」が始まった。それを予期したように、ある日Mくんが
一冊の本をもってきた。「100年の梅仕事」という本。梅茶翁も、その本を原点に、毎年梅の剪定や梅の収穫、
梅干し、シロップ、黒焼き・・・一年中、「やることの やまんごとありて 陽がくれる」の日々だし、
その縁でわれわれも、半分能登に暮らすようになった。そして、毎年「梅林ガールズ」たちが東京からやってきて、
「能登暮らし」を体験したり・・

実はその本といっしょに、もう一冊Mくんがくれた本がある。「梅華開」という曹洞宗のお坊さんの半生をつづった本。
Mくんはぼうさんが揮毫した掛け軸を集めるのがライフワークで、その書にまつわる坊さんの本もあわせて蒐集している。
なかなか高尚な趣味をもった不思議なおかまさんでもある。
たぶん、梅、と曹洞宗の原点の総持寺が輪島がある、そんなことから「!」とチャネったのだろう。

今朝は、「まちぼうけ」ですっきり目覚めたので、本箱から「梅華開」を取り出して、読み直ししている。

本のはじめに、曹洞宗の祖・道元禅師の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)の「梅華の巻」の言葉が
紹介されている。本のタイトルもここからきている。

梅華開髄吾得汝也(梅華開は髄吾得汝⦅ずいごとくにょ⦆なり)

梅の木と梅の木は、枝がぶつかるほど並びあっているけど、お互いの存在を敬して、
静かに佇んでいる。禅林や茶人はそんな姿に「和敬清寂」を学んだに違いない。
「わたし」と「あなた」が対立ではなく、いっしょだと悟ると、もろもろの人間関係の悩み
から解放されるし、争いも戦争もなくなる。
あの日を「まちぼうけ」するのではなく「今ここ」を大事にすると、いろいろなことに
「感謝」したくなる。どちらも「波動」の最高峰にあると思う。

今朝は「わたくしの人生」が始まるところ。なにも書いていない真っ白な和紙に、
まっさらで産まれたてのわたくしが、自分らしいワクワクする字を描いていく・・
そこに「感謝」があれば、その人の人生はゆたかだ。感謝。

味噌つくりの季節

ついこないだまで、年末年始の挨拶をしたり、お雑煮やお屠蘇気分にひたっていたけど、
天真庵の一大行事、菌活(味噌つくり)が始まる。ここんところ100人以上が参加。
これまで参加した人たちに、メールをおくり、返事がきた参加希望者のスケジュールつくり
が始まった。隠居、悠々自適の老後、のんびりの田舎暮らしとは、真逆の毎日。

やることの 山んごとありて 日が暮れる

梅仕事、田んぼ、カフェ・・・能登のコンシャルジュよろしく、少し先輩移住者の
「梅茶翁」の三輪福さんが、打ち合わせをかねて、泊まりにこられた。
一昨年あたりから、突然、売れはじめた「アイピローさま」(稼ぎ頭なので、昨年から『さま』がつく)も
年初から好調なすべりだし。コロナで、心身ともに疲れ、眠れない人が大勢して、そんな人たちの悩みを
解決する商品なので、お客さんのほうこそ「さまさま」みたいだ。天真庵もお手伝いしているので、
忙しくなり、能登の家も、アイピローの中に入れるラベンダーの香りに包まれる。隕石粉も入っているので、
どうも「思いが現実になる」スピードも時代とともに早くなっている感もある。
「わかるひとにはわかる わからないひとにはわからない」という言葉そのものの「不思議な商品」だ。

近く(といっても車で15分から20分)のところにある富来(とぎ)の「おでんや」で、待ち合わせ。
売茶翁からだと車で約1時間。筆子さんも、三輪福さんも、運転なので、ノンアルコールビールで
「乾杯」。先月10日のブログ「おでん 熱燗 昔のおんな」で紹介したお店だ。
ぼくだけ酒を飲むので、ふたりにノンアルコールビールをお酌させてもらい、地酒を燗にしてもらい、手酌でちびりちびり飲(や)る。
カウンターの端っこのホワイトボードに、「ふくらぎの刺身」とあったので、おばちゃんに注文する。
ブリの若ものを、能登では「ふくらぎ」といい、福来魚と書く。富が来る街で、福が来るような、今年の
縁起まるごとOK牧場みたいな宴会だ。

門前、という禅の町も近いこともあり、能登の「豆腐」はとびきり美味い。だから厚揚げとか、がんもも美味い。
したがって、「おでん」はめちゃくちゃ美味い。そして能登杜氏がつくる地酒も美味い。
先月「ほぼぶらじる」を渡した板金屋のおじいちゃんに、「お返し」といわれ、自作(麹まで)の味噌、白菜、大根・・
など紙袋いっぱいの土産をいただく。

そんな「おでん自慢」を東京でしていたら、かっぽれ女子たちが「いきた~い」といいだしたので、来週は
東京から3人娘が、飛行機で能登空港にやってくる。
おでんやのおばちゃん(75歳)が「東京には、もっとおいしいおでんやがあるやろうに・・」
と謙遜するけど、東京では食べたことがないレベルの「おでん」なのだ。
みんなで「湖月館」に泊まり雑魚寝する。家族みたいな「かっぽれ女子」。感謝。

もてる男は、厨房に入り、DIYをやる?

料理の雑誌に「DANCYU」というのがある。「男子厨房に入らず」を
もじって、「男子厨房に入ろう」というメッセージから命名された。
女性の胃袋をつかむ、というのは、もてるコツだ?
もちろん、おいしい珈琲を淹れる、というのは男前のあたりまえ条件。
UFOを使いこなせないような輩には、永遠にモテキはこない。

今、本屋にDIYの雑誌がよく目につく。「小屋」をつくったり、「自分の居場所」を
自分でつくる、が大人気になりつつある。
ぜひこれから、もっとモテたい人は、「dopa」を読んでみたまえ。男前になれる入門書だ。
doは、行動する。paは、パパ。「男よ行動せんとあかんばい」ちゅうことや。
『dopa(ドゥーパ!)』2023年2月号の特集は、手作りで実現する薪と炎のある暮らし「DIYで愉しむ ストーブ・囲炉裏・焚き火」

今回の特集で、「梅茶翁」(ばいさおう)のペチカが、8Pで紹介されている。兼好法師は、徒然草で「家は夏を考えてつくりなさい」
といっている。でもこれからは、「冬の暖」をどうするか、がかぎみたい。
もしかすると、化石燃料はそろそろ尽きそうだし、しばらく高騰に悩まされそうでもある。いっそのこと、ひと昔前の
「炭」や「薪」を使った暮らしを考える時期がきているかもなん。今回の特集は、兼好も及ばない「健康で持続可能な生活」
のヒントがいっぱい詰まっている。

先日、その梅茶翁から注文があったので、珈琲豆を焙煎した。
能登の家では、毎朝UFOで、焙煎をする。60gの生豆をUFOに入れ、カセットコンロの
上で5分で爆ぜる。それから2分くらいすると、シティーローストに焼かれた豆が50gできる。
減った10gの中に、「幸せな焙煎アロマ」が入っていて、部屋中に幸せな香りが充満する。
梅茶翁や、銀座の隕石カフェからは、2kとか3k単位で注文がくるので、炭火を七輪にいれ、
約500gの生豆を一度に焼く。ブラジル・コロンビア・ガテマラ・・・プラス サムシング(モカとかキリマンジャロなど)
をブレンドすると、「ほぼブラジル」ができあがる。

あまった炭は、「自作の囲炉裏」に入れる。有田焼の火鉢のまわりに、この家の倉庫にあった廃材で
テーブル(能登ヒバ(アテ)でつくった。火鉢だと、お酒とか器がのせられないので、テーブルをつくって、のせられるようにした)
その中に、能登珪藻土七輪をいれてある。風通しをよくするために、七輪の下には、珪藻土レンガを積んだ)をこさえた。
これから鴨長明のような囲炉裏(庵)生活が、きっと求められる。DIYの苦手な人は、どうぞこの「かんたん囲炉裏」
をつくってください。「dopa」に紹介されるほど、高級ではないけど、「目からウロコ」のかんたん囲炉裏。
自分でつくれば、「ほぼタダ」でできる。骨董屋で火鉢は5000円(天真庵のならびにある釜屋(骨董屋)ではその
くらいで売ってる。)、七輪は能登珪藻土七輪が2万円前後(今は大人気なので、合羽橋では手にはいらない)くらい。
どちらにしても、3万円くらいで、だれでもつくれる。
この囲炉裏で、肉や魚を焼いてみたまえ。みんなおとこまえになること、請け合いだ。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。(鴨長明)

サーバーの調子がアカン一日 それもまたけっこう!

昨日から、元気に能登で暮らしています。
今朝は、3度。一日目は、家全体が凍えています(笑)
前日、松代で寝た時は、マイナス4度。ちゃんと、寝袋とか、冬支度をしていないと、
命にかかわります。
さすがに、冬の北国は、東京の寒さとは違います。

今日は、サーバーの調子が悪く、朝から本を読んだり、家の
掃除をしたりしております。能登のカフェから豆の注文がきたので、
午後は、七輪で焙煎をしておりました。
「サバイバル力」をつけるには、七輪で上手に煮炊き、焼き物を
することが大事かもなんばん。口で「これからはサバイバルが大事」
なんていってても、何も変わりません。

すると、イエメンのモカが一袋届き、さっそく焙煎。
えもいわれぬ芳香なモカを飲みながら、ブログを書いています。
こんなおいしい珈琲を、目の前の大切な人と(もしくは、ご自分)
と毎日飲める、のは、幸せなことだと思っておりまする。

いい友達を作るコツは「まず自分がいい友達になること」です。
幸せになるコツはもっと簡単。「まず自分が幸せだと思うこと」です。
朝、一杯の珈琲を淹れ、「ああ、幸せだな」という人に、不幸はやってきません。
UFOで焙煎できたら、もっと幸せで、まわりの人まで「幸せのおすそ分け」ができます。

冬の能登は、寒さも風(こちら外浦はとくに)もい強く、家にこもりがちに
なりますが、一杯の珈琲、夜は一杯の熱燗が、なによりの薬です。
これは、最大級の幸せ(笑)

そんなわけで、これから、鍋をつくり、亀泉の熱燗で簡素ながら、贅沢な(質素ですが)
夕餉を楽しもうと思っています。

今年は「自分の殻を破る」とか「自分がワクワクすることを始める」
みたいなことが大事ではないかしらん?
そんなことを、昨日、近くの増穂の湯の露天風呂(といっても、260円)につかりながら
思ったりしました。

ホンモノはみな「簡素」で「質素」。
こんな厳しい自然の中で、生き暮らしている能登の人たちに、力をもらう日々、是好日。感謝。

能登やすみ 20日(金)まで

毎月のことだけど、明日から20日(金)まで能登休み。
年末の年越しそばも、終わりホッと一息。まだまだ元気にそばが打てるけど、
流行り病がまた勢いを増しているので、心配していた。自分はともかく、お客さま
の家族の「年越しそば」が、カップラーメンとか、そのような代打になるのは心苦しいので、
毎年この季節は、持薬の酒の量を増やして養生している。

今月の末からは、恒例の「菌活の会」(味噌つくり)が始まる。コロナ禍で、人数が減るかと思いきや、
反対で、毎年100人を超える婚活、もとい、菌活娘(男子も1割くらい)が、手前味噌をつくりにやってこられる。
物価高や気候の変化で、魚や野菜などの収穫高が不安定な時代が続く。今年も九州では、大豆の収穫がいまいちだ。
東京から移住して自然農で大豆をつくっている彼らの「たつき」が心配になってくる。
同じく、東京から能登へ移住した農家さんに、大豆を発注した。例年なら、車でとりにいくのがならわしになって
いたけど、今回は「雪」が心配なので発送してもらうことにした。
お米もそばも、珈琲も、大豆もそうだけど、「粒々皆辛苦の一粒」で、いろいろな人の手間とかまごごろが
こもっている。食糧難な時代を迎える前に、そんなことを自覚する時代でもある。「お金」で解決つく問題ではない。

今回は、「小さな引っ越し」みたいな感じで、引っ越しのサカイにお願いして、箪笥とか書棚などを運んで
もらっている。東京に暮らしていると「当たり前」で、気づかないけど、半島まで荷物を運ぶ、というのは
容易なことではない。
もうひとつ、商社から特別に譲ってもらった「イエメンのモカマタリ」が一袋(30K)が能登に届く。
珈琲袋は30kなので、普通の宅急便では無理なので、やはり「小さな引っ越し」みたいに業者さんがバトンタッチしながら、
さいはての半島まで運んでくださる。日程の指定も「あばうと、何日から何日」という感じ。
昨日、その配達の人から電話。なつかしい能登弁で、「珈琲豆が届きまして、10日の午前中に届けようと思って
いますが、天気も心配でぇ(ここんところを少し、でー、とのばし、最後にぇを半オクターブあげる)、もしかしたら
午後になるかもしれません・・」。「その日は一日いますから、どうぞ適当なころお願いします」と答えた。

箪笥なども楽しみだけど、この「モカマタリ」を、はやく珪藻土焙煎器UFOで、焙煎したいと思う。
「UFO焙煎 友の会」(会長 赤須翔)の人たちには、今月末から、この豆を販売いたします。
ウクライナとも関係の深いイエメンは政情や気候などの関係もあり、この一年「マタリ」が日本にはいってこない。
珈琲をおいしくいただける時は、平和な時なのだ。
「平和」という言葉がいらないくらい、平和で平穏な時代が続いてもらいたいと思う今日このごろ。感謝。

88歳のデュアルライフ

88歳になり、ガンが転移したりで、なんども入退院を
繰り返している友人Kからの近況の年賀状が届いた。
故郷の大分日田の林の中で作業をしている写真。
国鉄(IR)を退職してから、不動産業をおこし、そのころから大分と
東京を毎月往復(デュアルライフ)をしておられる。
なかなか、作業着がきまっている。今流行りのワークマン女子ではなく、
昔からの日田スタイル。

日田は昔から林業が盛んなとこ。彼はまだヨチヨチ歩きのころ、お父さまを
山の事故でなくした。まだ、ことの意味も解せず、葬式の時は
ひとりはしゃいで、列席者の涙を誘った、という話を酒の席で聞いたことがある。
お母さまが父親がわりに山で働きながら、家計を担った。酒が好きで電話がかかってくるたびに
「酒がそろそろなかよ」と催促されたとか。九州のおなごらしか話だ。

知り合ったのは、25年以上前、「ねっと21」というITの業界団体の理事長をやっているころ。
赤坂にあった事務所の経費が嵩んでいたので、大塚あたりに移転しようと、天祖神社の近くに
ある不動産屋を訪ねた。そこのオヤジが、Kさん。まだ三味線の音が聴こえる「三業地」(花街)の
歌舞伎の玉三郎さんの実家の隣のマンションの一階に、事務所を移した。

お母さまが鬼籍入られ、実家が空き家になったころ、日田に遊びにいった。
幼馴染が釣ったアユを庭で七輪で焼きながら、焼酎を飲んだ。トイレを拝借しようとすると、
「男は畑でするのが、ここの流儀ばい」という。「なるほど」といって、流儀どおりに立ちション。
あたりが漆黒世界になったころ「温泉にいくばい」。「おまわりにつかまりませんか?」と問うと、
「この村にひとりいる駐在所のおまわりさんが、昨日から里帰りしているので、大丈夫」といって、車で15分ほどの村の
温泉施設まで軽トラを走らせていった。その時に見た満点星の夜空が今でも脳裏にのこっている。
湯舟につかりながら、「空き家」をどのように活用するか、の夢を語っていた。

田舎暮らしをする場合に、「トイレと風呂にお金をかける」ということが大事だというのが、持論だった。
何年か後に、平成の大改修をした家にお邪魔した。
トイレは、合併浄化槽をつくり、最新式のTOTOの便器が鎮座していた。お風呂も広々とした
浴槽で、「孫たちがきたら、みんなで入れるっちゃ」と自慢しておられた。
今は、古希の祝いに、娘たちがプレゼントしてくれたという、五右衛門風呂が気に入っている様子。
荒れほうだいの林も、身の丈をこえぬ程度に購入して、仲間たちと伐採して薪ストーブの薪にしたり・・
「日田で産まれた男」らしいデュアルライフをまっとうされている。

ぼくも、縁あって能登の東京を毎月往復する生活になって5年。
先輩を見習って、合併浄化槽をつくり、コンポストトイレと、水洗トイレのふたつを
つくった。都会では想像がつかないと思うけど、それだけで、500万ほどかかった。
予算オーバーというわけではないけど、お風呂は「どげんしようか?」とまだ手付かずで、
近くの温泉に車でいっている。65歳から入浴料が260円になった。露天風呂もあるし、
食堂やスポーツ事務も併設(無料)だ。断捨離の前に、いらないものにはお金をかけない、ことも大事。
明日の夕方、営業が終わったら能登へいく。
今回は「冬の能登にいきたい」という、カッポレ女子3人が能登へ遊びにくる。
みんなで文人の宿「湖月館」に泊まる予定だ。舞台で「かっぽれ」でも踊ろうかしらん。感謝。

能登へ引っ越し・・

昨日は、引っ越しのサカイのトラックがお店の前にとまった。
書棚、タンスなど、大きな家具を能登へもっていってもらう。
煎茶仲間で、洗い張りをやっているTさんが、年末でお店の緞帳を下げ、
お店で使っていた古い箪笥などを、5つほど譲ってもらった。
そこの椅子は、天真庵と同じく般若くんの藤で編んだ椅子。ホンモノがわかる
同志みたいな人が、この街からひとり消えていく寂しさがある。

3年くらい前に、同じくサカイのトラックがお店の前にとまった。
バンダジ(李朝のタンス)とか、久保さんの信楽の大壷とか、長い皿や、
大きな皿、書棚・・・・一家族分くらいの道具類を能登に運んでもらった。
その時の、サカイのおにいさんたちの手際の良さと、気持ちよさから、今回も
サカイでお願いした。

3年前の時は、近くの人で、一度もお店にはきたことのない、でも十間橋商店街の
エライさん?に声をかけられた。
「朝はやくから夜おそくまでやっておられたけど、ダメでしたか?」
お店がたちゆかなくなって、閉店の片づけをしている風に見えたらしい。
人の不幸は蜜の味、か(笑)
すこし頭にきたので、新しい名刺「能登の寒山拾得美術館」と書いたんを渡し、
「おかげさまで、能登に美術館をつくり、そこに入れる美術品を運ぶとこバイ」といった。
とたんに、そのおっさんは顔を曇らせた。反対に、人の幸福は、ツミの味?
でもぼくたち飲食店は、絶滅危惧種みたいな存在には違いない。今年も兜とかふんどしを
ひきしめて、こつこつやっていくしかない。

今朝はめっきり寒い。包丁につけるホホバオイルが凍っている。ということは10度以下だ。
いつものように、炭をおこし、朝から元気にそばを打つ。
そろそろ「味噌つくり」の案内をおくる季節でもある。
世間は「ニッパチ」といって、二月と八月は、「暇」な時。
天真庵は、味噌つくりのある2月は、一番忙しい。能登休みも、通常の休みも返上。

ひとのいく 裏に道あり 花の山

時そばUFO

昨日から営業を始めた。
今日が二日目。

最初のお客さんは、砂町銀座(江東区)から、歩いてきた、というおじいちゃん。
「どのくらいかかりますか・・?」と聞くと、「な~に、まっつぐ歩いて小一時間だよ」と笑った。
「失礼ですが今年おいくつですか?」「まだ75歳の若ぞうだよ」・・・元気なじいちゃん。

「そば屋といえば、おいしい酒があるんだろう?」
「『亀泉』でも飲みますか?」
「知ってる、あのカメイズミだろ」
「いえ、有名なんは四国でしょ。能登のカメイズミ」
「おお、そいつをいってくれ」

そば豆腐をつまみながら、キューと酒を飲む。
「うまいね。そばやの酒はこうでなくっちゃね」
「ありがとうございます」
「このそば豆腐は、ホンモノの葛の味がするね。そばやのそば豆腐はこうでなくちゃね」

卵焼きをだしたら、
「そばやの卵焼きはこうでなくっちゃね。かつぶしの香りがいいね。カメイズミおかわり」
「ありがとうございます」

〆のそばをだすと、ズズズッ・・と手繰り
「いいそばだね。どこの蕎麦かい?」
「成田の新そばです」
「え、おれ、うまれは成田だよ。そばやのそばはこうでなくっちゃね」と笑った。

お勘定の時に、「今なんどきだい?」と聞かれてたら、まさしく落語の「時そば」だ。
柳家小さん師匠の「時そば」をときどきCDで聞く。
秀逸の小話。YouTubeでも聞けるよ。

夕方は、「UFO」をよくスカイツリーの界隈で見る、という人たちが、カウンターに
集まって、UFO談義・・・・今年も、UFOとか隕石とか、不思議なお話でもりそばを手繰る・・やはりへんてこなお店。
「時そばUFO」みたい?

今日がことはじめ

31日まで、年越しそばで大忙しだった。
そばやの宿命みたいなもんだ。
毎年、予約を受けて、それよりも多いそばを打つ。
自分たちの「年越しそば」のぶんも、「予約していなのですが・・」
というお客さんを優先し、「年越しうどん」や「年越しそーめん」に
なることも多い。

今年は「自分たちのそば」が手つかずに終了した。
でも片づけなどを終わると、井岡の世界戦も終わり、紅白も半分くらい
終わっている。そこでわざわざ湯を沸かし、そばをゆで・・・とうのが面倒になって、
結局、筑前煮や卵焼き・・など正月用の「簡単おせち」をつまみに、能登の亀泉を飲み始め、
気が付くと、新しい年・うさぎ年まで跳ねていた。

昨日は、近所の神社まで初詣。
その後は、仕込みをして、今日から営業。
今日明日と営業して、水木の定休日。
木曜日は、今年初めての「UFO焙煎教室」

みそかにも、UFOが嫁いでいった。
また31日の夕方「自分で年越しそば」にきた夫婦が、「さっきスカイツリーのとこでUFOを見ました」
といって、スマホで撮ったUFOを見せてくれた。
戦争がおわらず、破滅の危機にある地球を心配してか、UFOが頻繁にきてるみたい。
天災はいざ知らず、戦争は人の「おもい」しだいで、終わらせることができるので、今年は
「平和」という言葉がいらないくらいの日常を取り戻したい、と新春の朝日に挨拶した。感謝。