私たちのような飲食店のことを、一般的には「水商売」という。
「水もの」という意味か?昭和の時代は「会社の寿命30年説」みたいなものがあった。
長く続く会社の特徴として「社長の出勤が正社員よりも早い」みたいな都市伝説以上に
「へぇ~、そうなの」というような話が、まことしやかに語られたりした。
平成になり、ITなど、アイデアひとつで小さく企業して、大きく化けるみたいなビジネスモデルが
跋扈してからこっち(会社の興し方などが簡易化されたこともあるけど)、会社の寿命は「平均4年」
くらいになった。同じように、会社がつぶれたり、解雇されたり、違う生き方を模索する人が
昔(昭和くらいから)「喫茶店でも」と、軽く始めることが、「起業の一歩」みたいなノリで語られることが長い。その「喫茶店でも」のでも、という気楽さとは裏腹に、個人店が3年続く割合は、10%くらいというのが現実だ。小さく生む、といっても、退職金とか、貯金、親からの相続などを使ってやるので、「残ったのは借金だけ」とう憂き目にあうリスクが高い。
「喫茶店」といえども、開店費用に500万くらい要する。「運転費用」(みんなこれを考えていないけど・・)
1000万くらいは、必要だと思う。もっと繁華街(銀座とか池袋とか錦糸町とか)で出す場合は、形態や規模に
よって違うけど、何倍か多くかかると思う。
今朝の朝日の一面は「水」の問題、 PFAS。米軍基地があるまわりの水道水が、危うい、というような内容だった。
東京都多摩地域の井戸水から発がん性が疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が検出された、ような事例が
紹介されていた。東京の水は以前は「まずい」と不評だったが、最近は「東京水」というブランディングに
なるくらい、「うまい」になった。でもその「うまい」は、塩素によって、殺菌されているから。
市販されているペットボトルの安全神話も、すこし微妙になってきたけど、水道法がだんだんゆるくなって、
塩素漬けの割合がだんだん多くなっているのが現状だ。
単純にいうと、原水の良し悪しで、塩素の数量がかわってくる、ということだ。現代人は「カルキの匂い」を感じない?
おかみが盛んに「脱炭素」とかいっているけど、「脱塩素」のほうが先か同時じゃない?私たちの命の命脈を保って
いくのに「安全な水」は、とても大事なことじゃないかな?
今月来月は、お味噌つくりなので、ずっと東京にいる。能登は今水道管の破裂などで断水となっている
ところが多いみたい。最近役場から通知がきた。「水の使用量が少ない。ひょっとして、能登で暮らして
いないのじゃないの?」という本末転倒な通知。能登に住むために、自費で合併浄化槽をつけ、
汲み取りトイレのひとつを水洗トイレにした(お客さん用)。自分たちは、もうひとつ「コンポストトイレ」
をカナダから取寄せ、水を使わず、葉っぱとか、土や酵素をまぜ、発酵させ肥料にしたものを、畑にいれる、
という循環型の暮らしを始めた。トイレふたつの改装工事に500万かかった。
役所に「合併浄化槽にするときの助成金制度」みたいなんがあって、確か30万ほど
助成してもらった(いろいろ、役人とはすったもんだあって、『おまえらがそんな考えやから、移住者が増えてこないんじゃ』と一度切れた)。
要するに、役所としたら「30万もくれてやったのに、やらずぼったぐりじゃないの?」ということだろう。
「コンポストトイレ」が水を使わないこと。水道水は危ういので、お店でも能登の家も、近くにある
「藤瀬霊水」で水を汲んで暮らしていること。お風呂は使わず、近くの町営の温泉施設にいって、260円で
温泉に入っていること・・・・電話でいえば、1分もかからないことに、時間をとって、「調査」している
フリをしているらしい。そんなムダな時間も、税金の無駄遣いである、というコスト意識がまったく欠如している。
3月にその役人と直接話をすることになっている。まったく「水掛け論」みたいな話だ。
毎日、UFOで珈琲豆を煎り、珈琲を淹れる。9割以上が「水」。
そばを打つ。一回1200グラムのそばを打つ場合、約半分の600ccが「水」。
それを茹でる、洗い〆るのも「水」。そばつゆも「水」。
食べた後の器を洗うのも「水」。
味噌をつくるのに、大豆を煮る、それも「水」。
ごはんを炊くのにも米と同量の「水」。
日常茶飯の茶も「水」を沸かして淹れる。
「水商売」とは、言い得て妙なものかもなんばん。人生はみな「水もの」。人生の最後に飲む水のことを「死に水」という。感謝。