水のこと 水商売のこと

私たちのような飲食店のことを、一般的には「水商売」という。
「水もの」という意味か?昭和の時代は「会社の寿命30年説」みたいなものがあった。
長く続く会社の特徴として「社長の出勤が正社員よりも早い」みたいな都市伝説以上に
「へぇ~、そうなの」というような話が、まことしやかに語られたりした。

平成になり、ITなど、アイデアひとつで小さく企業して、大きく化けるみたいなビジネスモデルが
跋扈してからこっち(会社の興し方などが簡易化されたこともあるけど)、会社の寿命は「平均4年」
くらいになった。同じように、会社がつぶれたり、解雇されたり、違う生き方を模索する人が
昔(昭和くらいから)「喫茶店でも」と、軽く始めることが、「起業の一歩」みたいなノリで語られることが長い。その「喫茶店でも」のでも、という気楽さとは裏腹に、個人店が3年続く割合は、10%くらいというのが現実だ。小さく生む、といっても、退職金とか、貯金、親からの相続などを使ってやるので、「残ったのは借金だけ」とう憂き目にあうリスクが高い。
「喫茶店」といえども、開店費用に500万くらい要する。「運転費用」(みんなこれを考えていないけど・・)
1000万くらいは、必要だと思う。もっと繁華街(銀座とか池袋とか錦糸町とか)で出す場合は、形態や規模に
よって違うけど、何倍か多くかかると思う。

今朝の朝日の一面は「水」の問題、 PFAS。米軍基地があるまわりの水道水が、危うい、というような内容だった。
東京都多摩地域の井戸水から発がん性が疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が検出された、ような事例が
紹介されていた。東京の水は以前は「まずい」と不評だったが、最近は「東京水」というブランディングに
なるくらい、「うまい」になった。でもその「うまい」は、塩素によって、殺菌されているから。
市販されているペットボトルの安全神話も、すこし微妙になってきたけど、水道法がだんだんゆるくなって、
塩素漬けの割合がだんだん多くなっているのが現状だ。
単純にいうと、原水の良し悪しで、塩素の数量がかわってくる、ということだ。現代人は「カルキの匂い」を感じない?

おかみが盛んに「脱炭素」とかいっているけど、「脱塩素」のほうが先か同時じゃない?私たちの命の命脈を保って
いくのに「安全な水」は、とても大事なことじゃないかな?

今月来月は、お味噌つくりなので、ずっと東京にいる。能登は今水道管の破裂などで断水となっている
ところが多いみたい。最近役場から通知がきた。「水の使用量が少ない。ひょっとして、能登で暮らして
いないのじゃないの?」という本末転倒な通知。能登に住むために、自費で合併浄化槽をつけ、
汲み取りトイレのひとつを水洗トイレにした(お客さん用)。自分たちは、もうひとつ「コンポストトイレ」
をカナダから取寄せ、水を使わず、葉っぱとか、土や酵素をまぜ、発酵させ肥料にしたものを、畑にいれる、
という循環型の暮らしを始めた。トイレふたつの改装工事に500万かかった。
役所に「合併浄化槽にするときの助成金制度」みたいなんがあって、確か30万ほど
助成してもらった(いろいろ、役人とはすったもんだあって、『おまえらがそんな考えやから、移住者が増えてこないんじゃ』と一度切れた)。

要するに、役所としたら「30万もくれてやったのに、やらずぼったぐりじゃないの?」ということだろう。
「コンポストトイレ」が水を使わないこと。水道水は危ういので、お店でも能登の家も、近くにある
「藤瀬霊水」で水を汲んで暮らしていること。お風呂は使わず、近くの町営の温泉施設にいって、260円で
温泉に入っていること・・・・電話でいえば、1分もかからないことに、時間をとって、「調査」している
フリをしているらしい。そんなムダな時間も、税金の無駄遣いである、というコスト意識がまったく欠如している。
3月にその役人と直接話をすることになっている。まったく「水掛け論」みたいな話だ。

毎日、UFOで珈琲豆を煎り、珈琲を淹れる。9割以上が「水」。
そばを打つ。一回1200グラムのそばを打つ場合、約半分の600ccが「水」。
それを茹でる、洗い〆るのも「水」。そばつゆも「水」。
食べた後の器を洗うのも「水」。
味噌をつくるのに、大豆を煮る、それも「水」。
ごはんを炊くのにも米と同量の「水」。
日常茶飯の茶も「水」を沸かして淹れる。

「水商売」とは、言い得て妙なものかもなんばん。人生はみな「水もの」。人生の最後に飲む水のことを「死に水」という。感謝。

珪藻土焙煎器UFO友の会 ぱあとつー

昨日、世田谷から常連さま(うちは一度きたら、常連さま)が、珈琲豆を
買いにこられた。入るなり、「おとうさん商売替えしたの?」と質問される。いつも
「おとうさん」と言われると、「君のような娘を産んだ(仕込んだ?)おぼえはない」と答えるのだが、
間髪もいれず、「UFO売ります、と表に書いてあったから」とケラケラ笑う。確かに、全国に何万という飲食店がある
だろうけれども、「UFOを売っているお店」はうちだけかも。
「UFOって、いくらですか?」というので、「定価は一億だけど、常連さんには1万で売ってる」(ネットでは11000円)
と答えた。

「隕石直売所」という看板をかかげ、スカイツリーの麓でお店をやっていた「王子」は、今では出世して、
銀座に二軒のお店を持つ。最初は「あやしい~」とかいわれていたけど、今では、そういう人のほうが、「あやしい~」
といわれる世の中になった。目に見えないもの、耳に聞こえないもの、のほうに価値がある時代になった。
松屋の裏手にある「隕石カフェ」は、全国から珈琲と隕石のファンが集い、新しい時代の
「銀ブラ」を楽しんでいる。ぼくもときどきいって、自分が焙煎した豆のエスプレッソを飲むのだが、
ちょっと違った次元の「ほぼぶらじる」が味わえる。770円かな?押上とは家賃が違うので、「安い」かもなんばん。

夕方、おそばのお弟子さまが恵比寿からきて、カウンターにすわって、「花巻倍セットください」というので、
能登の岩ノリをのせたそばを輪島塗の器でだした。セットの場合、珈琲は「ほぼぶらじる」。
珈琲を飲みながら、珈琲の話で談論風発。隣にすわった奥様が「わたし、モカマタリが飲みたい」
とポツリ。閉店まじかで、「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」の準備もしないといけないので、
「マタリは、だんなさんに淹れてもらって・・・」と答えた。
ぼくのそばのお弟子さまでもあり、能登でいっしょに田んぼや梅仕事をしてきた同志でもあるので、すんなり言葉の意味を解して、
「UFOとモカマタリの豆500g買ってかえります」といって、そば代+12000円を払っていかれた。
カウンターは満席で、みんなキョトンとした顔してたけど、UFO別名「幸せ発見器」は、一億の3倍くらい価値が
あると思う。

その根拠は、毎朝焙煎をしていると、まず「自分が幸せ」になる。それを家族や友人におすそ分けし「ごちそうさま」とか「おいしい」
とか若い子に「かわいい~」などといわれる。ウインウインのウェーブ。昔、船井総研の船井会長が「熱烈なファンをひとり獲得すると、一億円の価値がある」と言っておれれた。
最近、ネットを使って、いろんな詐欺や強盗みたいなものが流行っているけど、「お金」と違った「ゆたかさ」みたいなもの
を見つける時代になってきたんじゃない。「お金もち」・・・・なにがいいの?とみんな思いはじめる。
「どう生きたか」のほうが価値があるんじゃない。まったく人気が斜陽の総理が「新しい資本主義」とか「資産倍増」とか
内容のない絵空事を言っていたり、給与をあげる方策がないので、「副業OK牧場」みたいな会社が増えているけど、
世のなかどこを見ても、楽してお金ができるようなおいしい話はないでしょ。二世三世の政治家は、お気楽なもんだね。

今日も16時まで。それから「味噌つくり」「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
明日の朝は「卵かけごはん」
日本の食事で一番は「一汁一菜」 ごはんと味噌汁が基本。卵かけごはんとか、おにぎり、というのは
世界に誇れる「日本食」だと思う。感謝。

珪藻土焙煎器UFO友の会

昨日の味噌つくりは、3年目になる子育てお母さん。
嫡男のRくんも、年長さんで今年の春にピカピカの一年生になる。
大豆も醸されて、味噌になる。「ヒトも躾で人になる。」これは、四半世紀続いた
論語の会のMさんの師匠の九州大学名誉教授だった岡田先生の著書にもなった言葉。
「人が美しくなる」を躾(しつけ)という。言い得て妙な言霊。

夕方、ギタリストの赤須翔くんが蕎麦を手繰りにきた。
彼は、ギターと珪藻土焙煎器UFOを抱えて、全国を旅しながらライブを
やったり、UFOで焙煎してその土地の水で珈琲を淹れたりするスタイルで
活躍している。ぼくの蕎麦と珈琲塾のお弟子様でもある。
自他ともに認める?「珪藻土焙煎器UFO友の会」の会長だ。
いろんなアーティストとセッションしたり、楽曲したりするのと、焙煎やブレンドしたりすることに
共通項があるみたい。これからがとても楽しみなギタリスト&ロースターだね。
来年はニューヨークにいっしょにいく約束をした。

翔君には、珈琲焼酎の作り方を伝授した。
Rくんのお父さんも、昨年末に赤羽にお店をだし、お酒も提供したいる。
「珈琲焼酎を思案中」というので、秘伝?の方法を伝授した。
珈琲豆が、香り高いこうがいい。モカを使うと、ワインにも似た複雑な香りが醸される。
一番肝心なんは、豆の中までカリっと焼けていることと、焙煎したての豆を使うこと。
UFOがあれば、ばっちり。60gの生豆を焙煎して50gの珈琲豆ができる。1500CCくらいの焼酎に
入れて、3か月くらいすると、ドンペリにも負けない酒ができあがる。
天真庵では「珈琲韻(カフェイン)」という名前で、15年前からメニューにある。

カレーをつくる時、スパイスをUFOにいれて、焙煎してごらんなさい。まったく異次元のカレーが
できる。珈琲とスパイスとは、別々のUFOのほうがいい。ようは2個買って、ということ。。。
天真庵は、ゴマも煎るので、3つのUFOを使っている。そのうち「私の台所」みたいな雑誌の特集の中で、
誰かの厨房の中にUFOが現れるかもなんばん。

今日も味噌つくりをしながら、16時まで営業。
それ以降は「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」
明日も同じ時間割。
明後日の朝が「卵かけごはん」 手前味噌の出番でもある。感謝。

究極のタラ汁の作り方

今朝の朝日新聞に、能登のタラ汁の作り方が詳しくのっている。
しかも、生前の角偉三郎さんの写真と、角偉三郎さんの合鹿碗(ごうろくわん)に
タラ汁を入れた写真がのっている。写真を見るだけで、幸せな気分になる。
角偉三郎さんとは、生前一度だけ、赤坂で飲んだことがある。
今は、この世の外の人になって、和倉温泉の一角にある「角偉三郎美術館」でしか会えない。
能登地震の時に、「能登の人はひごろ、粗末だけど美味しいものを食べているから、
地震くらいではへこたらない」という言葉を聞いてびっくりした、というコメントも・・

ほんとうにそうだと思う。「食べるものが命になる」のだ。すごく当たり前のことやけど・・

先日、開店準備中に珪藻土焙煎器UFOで珈琲豆を焙煎していたら、「能登からきました」
と笑いながら、「能登」という雑誌の社長が蕎麦を手繰りにこられた。
天真庵のHPに「能登」に紹介された記事をリンクしているけど、その時も
突然社長がカメラをもって取材にこられた。ぼくより少し年上だけど、その行動力には
びっくりする。次にこられたご夫婦が「能登牛筋カレーそば ふたつ」と、注文された時に、
ニヤッと笑っておられた。こころから、能登大好き人間。やっぱり「好きなことをする」が一番。
金沢カレーで有名な「ゴーゴーカレー」の工場も、実は輪島にある。こんなに流通とか、冷凍技術とか、
保存技術がすすんでいるので、お店以外は、東京におく必要はない。「無駄」は、極力省くほうがいい。

水曜日から「味噌つくり」が始まった。今年祭最初のくんは、ぼくの蕎麦のお弟子さま。優秀なItエンジニア。
その後は毎年こられる親子二組がやってきた。小学4年の女子たちのママ友。毎年一回このイベントで会うので、
年輪よろしく、「ああ、大きくなって」という感動がある。これに勝る食育はないと思う。
帰りしなに女子のひとりが「そろそろそば打ちがしたい」というので、「いつでもOK牧場」と返した。

ひところは、引退したおじさんはみなそば打ち職人になる、みたいなブームがあったけど、最近は
若い人や女子に人気になってきた。女子がそば打ちをやるそばやは、おおむね流行っているようだ。
おじさんたちは、そば打ちよりも、若いそばもんを見ながら、鼻の下をのばし、ズズズと蕎麦を手繰って
いるようだ。ま、そっちのほうが無難ではあるが・・・

今日も「ママ友」ふたり組が、味噌つくりにやってこられる。
天真庵はこの時期、大豆を煮る香りにつつまれる。
蕎麦切りのルーツは、お寺の精進料理のひとつとして始まった、との説あり。
「寺方蕎麦」なる言葉が、残っている。そのころは、鰹節のかわりに、大豆の煮汁に醤油を
入れて、そばつゆにしてたらしい。
ときどきやってみるけど、なかなか滋味深く、そばの土味との相性がいい。「土を喰らう・・」だ。
理想のそばの食べ方は、みそ汁にそばを入れて食べる、という人があまたいる。
ラーメンや寿司は、世界に羽ばたいているけど、そばはこれからやろうね・・・
「ミソスープソバ」として、簡素なヌードルにするといいかもなんばん。豚汁なんかには
あうよね・・・?「能登豚汁そば?」

最近、歩いていく範囲に、雨後の筍状態で、飲食店ができている。
どこか、「豚汁」とか「味噌汁」とかにこだわったものださないかな?
そばはうちから安く提供する(できたら、近い将来自分で打てたほがいいけど・・)
そんないい循環ができたら、おもしろいと思う。「得意技のぶつぶつ交換」
ある意味、マーケティング言葉でいう「ドミナント戦略」やね。

銀ブラ 横須賀ブラジャー

銀座8丁目に「銀座パウリスタ」という喫茶店がある。創業110年になる。
「銀ブラ」という言葉が産まれた店。一般的に「銀座でブラブラする」という意味
で使われているけど、本来は「銀座でブラジルを飲む」というのが原点。
スタバなどがない時代に「日本の喫茶店文化」が花咲いていたことを、在日日本人が
忘れている。

最近はいかないけど、パウリスタの地下に「吉宗」という長崎の茶わん蒸を食わせる店がある?
会社を秋葉で創業した40年近く前、長崎出身のYくんが実家の仕事を継ぐために
急遽長崎に帰ることになったので、送別会をそこでした。長崎に帰れば本店で食べられる人を、
銀座で見送るのとは、素っ頓狂な話ではあるが、フジテレビのまったいと3人で、「吉宗」でお昼に
茶わん蒸し前(そば前、みたいなもんかな)に、角煮などを酒肴に惜別の酒を飲んだ。
あまりに別れがつらいのか、ライオンとか、近所のビアホール、居酒屋、バー、スナックなどを梯子して、
お昼から次の朝の8時くらいまで飲んだ。長崎からはじまって、さながら「銀座ブラブラ節」みたいな話。

昨日、銀座3丁目(松屋の裏て)の「隕石カフェ」(正式名があるのだけど、失念。スタバみたいな名前)から
「ほぼぶらじる」の注文がきた。ここは、エスプレッソで珈琲を供するので、焙煎を少しそれように焼く。
ときどき、試飲にいくけど、ハンドドリップとはまた一線を画す珈琲の味がする。
「銀座でほぼブラジルをエスプレッソで」が、合言葉になるくらい、けっこう繁盛している様子。
食べログみたいなサイトには、客単価10万円、なんて記載されている。王子という店主の奇才ぶりがうかがえる
不思議なカフェである。この調子でいくと「令和の銀ブラ」という上書きになるかもなんばん?

ブラついでに、もうひとつ。「横須賀ブラジャー」という看板にひかれて、横須賀のバーに入ったことがある。
飲めるブラジャー、という呼び名で、ブランデーをジンジャーエールでわったものを略して「横須賀ブラジャー」
押上文庫の文庫ちゃんに「押上ブラジャーどう?」とすすめたけど、反応がいまいちだった(笑)
もっとも「押上ブラジャー」という響きは、飲む、よりもバストアップを期待できそうな言霊なので、
羊頭狗肉なイカサマみたいになる可能性がある?

明日は東京も零下になるらしい。「味噌つくり」が明日からスタート。味噌を仕込むにはいい温度だ。

月曜の朝は卵かけごはん

「月曜の朝は卵かけごはん」は、311の年から始めているので、もう10有余年になる。
一度、アド街ック天国に紹介されたことがあり、その時は
しばらく行列ができたりしたけど、今はだいたい常連さま御用達で
のんびりやっている。

冬はお米を1時間くらいは水に浸しておきたい。
炭火を火起こしをつかって着火し、能登珪藻土の竈にそれをいれ、
着火した炭の上に、新しい炭を加えて、空気穴から団扇で風を入れたり
しながら、火が安定するのを待つ。

かたわらに、珪藻土の七輪を用意。ごはんは15分か20分で
炊きあがるので(羽釜を藁の鍋敷きにのせて10分から15分蒸らす)、残った炭火を七輪にのせ、その上に手回しの焙煎機をのせ、
焙煎する。13坪くらいの店だけど、朝9度だった室内温度が、15度までいく。

月曜日は8時に開店。7時半くらいに、ペレットストーブをつける。するとじわじわ温度があがって、
20度くらいになる。もちろん外気によるけど・・
築77年になるし、アルミサッシではなく、木枠の窓なので、すきま風がままならない。

明後日からいよいよ味噌つくりが始まる。しばらく休み返上。
水曜日の味噌つくりのために、今日の夕方あたりから、大豆を水につける。
お米も大豆も、小豆(あずき)や豆を、ことこと煮るときも、準備段階(水につける)
というのは、だいずやね。「おからだ おだいずに」だ。

焙煎もそうだけど、自分で味噌をつくると、「市販のものにもどれなくなる」
というのが、欠点でもあり、一番わかりやすい「味」の指標。

あまり知られてないけど、今年あたりから、「遺伝子組み換え」なんじゃら、や「添加物」の表示が
大きく緩和される。けっして、怪しげな食品が少なくなるのではない。「ばれにくく」するちゅうことや。
「ちゃんとした 安心できる」ところか買うか、できるだけ自分でつくる、しかないね。
世界中が混とんとしているけど、自分たちの命は、口に入れる「モノ」からしかつくれない、という
基本の基本がとても大事なことだと、つくづく思う。感謝。

いしる鍋

「湖月館」のHPをのぞくと、岩ノリの「いしる鍋」の写真がでる。
天真庵の「花まき蕎麦」も、能登の岩ノリを使い、合鹿碗(ごうろくわん)という
能登の蓋つきの漆器に入れてだす。蓋をとった瞬間に能登の磯の香がするという仕掛け。

「いしる」とは、魚醤のこと。縄文時代から、能登人たちは、イルカを中心に、魚を捕って食べてきた。
冷蔵庫も冷凍庫も無論ない時代ゆえ、それらを保存する方法として、いろんな魚を使って、「いしる」
を醸してきた。そんな流れが今日まで及んでいて、イカがとれる能登町あたりはイカの魚醤、イワシが多く
とれるところは、イワシの魚醤、砂浜が多くメギスが多くとれるところは、メギスの魚醤をつくっている。
みんな甲乙つけがたい、それぞれの味だ。

3月になると、山菜もおいしくなるけど、新若芽を「いしる鍋」にしてしゃぶしゃぶしながら、酒を飲むと、
小躍りしたくなるほどウキウキしてくる。
冬が厳しい分、北国の春は、幸せ気分が倍返し以上。

そういえば、「湖月館」に泊まった朝のテレビのニュースで、
ニューヨークタイムズでアンケートをして、「2023年にぜひいきたい都市」の第二位に
「盛岡」が選ばれた、というのがあった。

理由として、
1、東京はごちゃごちゃしすぎる(でもそこから新幹線を使うと近い)
2、盛岡は歩く宝石みたいな街(川沿いの散策が最高)
3、ヌードルが最高(わんこそば れーめん)
4、おいしい珈琲をだす喫茶店が多い(確かに昔から自家焙煎でおいしい珈琲屋さんが多いね)

旅行会社の企画にのったり、洗脳されやすい日本人にとって、灯台下暗しにて目からうろこ、みたいなニュースだった。
「どこにいっても、リトルなんじゃら、金太郎飴」みたいな街つくりから、抜け出さないと、アカンわね。

今日は16時まで営業。それ以降は「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
盛岡に負けないような街をめざす人、ぜひ今年は「そば打ち」と「焙煎」を極めて、あなたの街を
「歩く宝石」みたいな場所にしてください。そんな街がいっぱいになったら、日本はまた輝きだすよね。

明日は月曜日。「月曜の朝は卵かけごはん」(8時から10時)
能登珪藻土の竈に炭をいれてごはんを炊く日。その残りの炭で、焙煎した豆をブレンドすると、
「ほぼブラジル」ができます。家では「UFO」を使うと、同じレベルの「UFO珈琲」を毎日楽しめる。
UFOは別名「幸せ発見器」やない?最近そう思う。昔「ウソ発見器」みたいなんあったけど・・

能登人の冬の楽しみ・・・?

昨年のお仕覆の忘年会。
一年かかりでつくった、「備前の燗つけ器」(これのお仕覆『袋』をつくって、どこでも燗酒を飲めるようにした)
を持ち寄って、能登の亀泉を人肌にして、おでんをつついた。
少し酩酊した時にとある女子が「来年能登にいきたい」とつぶやいた。
咄嗟に「来月がいいよ」(2月は味噌つくりで能登にはいけないし、3月からは「やることの やまんごとありて 日が暮れる」
ような能登暮らしなので、寒くて飛行機が飛ばない日もあるけど、どう?みたいな)と答えたのがきっかけで、次の日に
飛行機と宿の手配が完了。

そんな勢いで、「冬の能登堪能ツアー」になった。
「湖月館」にみんなで泊まって、冬の能登の味を堪能した。
ブリやその幼魚のふくらぎも、あぶらがのっていて美味い。
刺身の盛り合わせの中に、プチプチした小さな卵をまぶした刺身がでた。

「たらの子つけ」という能登の郷土料理。
晩年の白洲正子さんの本に、「冬の能登にタラの刺身を食べにいくのがならわしになっている」という
のを読んだことを思い出した。女将に、そんな話をしたら、「うちにも毎年、タラ鍋とたらの子つけを
食べにくるお客さんがいます」とのこと。
また女子のひとりが「私たちも毎年冬の能登へこよう」とつぶやく。
彼女たちは、「いいネほしさ」のつぶやきと違って、いつも「有言実行」になるのがいい。
冬の寒さや風の強さははんぱないけど、能登の旅は「冬」が一押しだ。宿は「湖月館」がいい。
いしるをつかった岩ノリの鍋・・・この世の食べ物とは思えない滋味。
ひとり旅でもOK牧場。美人の女将が酒の相手をしてくれる。

つぎの日は、旅館の近くの「おでんや」で酒を飲んだ。
先客の女性3人が、おでんを酒肴にビールを飲んでいたので、「とりあえず、ビールと刺身の盛り合わせ」
その中にも「タラの子つけ」が入ってある。75歳の女将は、ひとりでお店を切り盛りしていて、忙しく
包丁さばきをしながら、「これは、タラの刺身を昆布締めにして~(能登のイントネーション)、卵を袋からだして甘辛に
煮てまぶすんです」とのこと。鱈の子つけは、北国の粉雪のような衣がついたタラの刺身はプチプチ食感と昆布の旨みでしまった身のしっとりぷりぷり感が混然一体で、筆舌を超えている。燗酒徳利がどんどん空になる。白洲正子さんの気持ちがわかる。

飛行機で能登空港まで「あっという間」にいける。空港でレンタカーにのって「冬の能登路旅」。
「あっ」という間に終わる人生の一コマにいれてみたら如何?「おとなのひとり旅」の上級編だと思う。
天真庵のHPにリンクしているけど「湖月館」のHpをのぞくと、関西方面からのアクセスや、新幹線を
つかった方法などが書いてある。

味噌つくりの締め切り日

今日が今年の「味噌つくり」(菌活の会)の締め切り日。

昨日の朝、梅林ガールズをいっしょにのせて、東京にもどってきた。
いつもは「霊水」を汲んでから、温泉にいくところ、雪などの心配もあって、
初日に水汲みをしたので、午前中に和倉温泉の「総湯」についた。
加賀屋などの、「元湯」で、海に近いので塩分とミネラル分が豊富で、昔から
全国の人に愛され続けている温泉だ。
コロナ前は、温泉の湯舟にそそがれるお湯のところに、アルミのカップがおいてあって、
自由の飲めたのだが、今は「このお湯は飲めません」という表示が貼ってある。
小さなことだが、コンロ前と後では、いろいろなことが変わってきた。
総湯の源泉を自由に飲めたら、コロナはだいぶ治まるような気もしたり・・・

前日に「おでんや」でたらふく飲んだ酒気いっぱいの体を、さっぱり洗い落とし、氷見の「すしのや」
にいく。おでんやは、カウンター10席に8人の女子。女子力すごい(笑)
午前11時開店5分についたけど、お客さんがけっこうきている。
僕以外は、東京生まれで、みんな江戸前寿司で育ってきた女子たちが、冬の富山湾で
とれるキトキト(新鮮な・・そんな名前の寿司屋もある)な寿司をつまみながら、
風呂上りのノンアルを飲む。小股の切れ上がったカッポレ女子たちは、みな酒豪なので、
途中からアルコールの入ったビールに変更。コロナ対策で、テーブルの真ん中にアクリル板が
邪魔しているけど、まるで刑務所の面会みたいに、アクリル板の下からコップを出し入れしながら、
さしつさされるの昼酒。

氷見路から見える立山連峰が、前日の寒波で雪化粧。この世のもととは思えない絶景だった。
40歳のころ、毎年立山(夏だけど)にのぼった。「立山のみ登る登山家」をめざしたころがある。
3000m前後の山々の頂に雪があるこの景色が見える次の日は、天気がくずれる、
というのが昔から北陸に伝わる常識天気予報。今日あたりは大雪かもなんばん。

9時くらいに押上駅までいって、梅林ガールズたちをおくる。
「味噌つくり」の締め切り日なので、筆子さんはさっそくスケジュール調整。
ぼくは、朝から「仕込み」に突入。
明日から通常の営業がはじまる。
土曜・日曜は12時から16時。それ以降は「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」
月曜の朝は「卵かけごはん」   
毎月淡々と、能登と東京を往復する生活になった。そしてどちらも、毎日の刹那・・生・滅・生・滅を
繰り返し、「今ここ」の呼吸に集中するような生活をしている。いつまでいけるかわかなへんけど、
けっこうおもしろい毎日だ!感謝

志ん生さんが生きている。これもマンデラ効果?

今朝は「燃えるゴミの日」。
いつものように、ネコ(一輪車)とか軽トラを使って、海の見えるゴミ収集の檻まで
じいちゃんばあちゃんたちの「朝飯前」の仕事。みんな「今日は寒いね」と
挨拶。九州で産まれたぼくと、能登で産まれ育った人たちも、やっぱり同じように
寒いのだ。遠く水平線へ視線をやると、イカ釣り船の灯りが見える。最近は環境の変化や乱獲
で、イカの不漁が続く。大漁と不漁では、寒さが違うだろうな?
こんな寒い海の中に生きるイカやブリたちも同じように寒かろう・・・そんなことを思う朝まずめに、雪がチラチラと降る。

昨日は、高輪にあった「啓祐堂」という古本屋が閉店する3年ほど前に買った「志ん生のいる風景」を読んだ。
いい本をちゃんと薄紙につつみ、読みたくなるような本が、ますます読みたくなるように陳列されていた。
値札もちゃんと店名の「啓祐堂」の下に貴族がのるような馬車のイラスト、その下に「東京 高輪」
と印刷され、その下は空白になっていて、主人がモンブランドの万年筆で手書きで「志ん生のいる風景」
「矢野誠一」ときれいな楷書で書いてあり、下に「¥」が印刷されていて、そこに同じブルーのインキで
3500と書かれている。以前は「あたりまえ」だったこんなモノが懐かく感じる。「あたりまえ」が「あたりまえでない」
が、まわりを席捲している。
もちろんペイペイではなく、財布の中からお金をだして、主人と少し話をしながらのやりとりが、また
幸せな時間やった。時々志ん生さんの落語をCdで聞く。聞いていると、この世の外の人、という感じがしない。
昨日は、本を読みながら、「親子酒」「はてなの茶わん」などを聞いた。晩酌の時間を少しはやめたくなるほどおもしろい。

今日は午後の便(一日二便)で東京から能登空港に「梅林ガールズ」がやってくる。富来(とぎ)の「湖月館」
という文人たちが長逗留をしながら小説を書いた宿にとまって、談論風発する予定。大女将と若女将と
酒を飲みながら、文学や芸術や四方山話をしていると、ついつい酒量が増えてしまう宿。
能登に住むようにようて残念なのは、この宿に「旅人」としていけないことだ。でもときどき、
大学時代の友人などがくる時、いっしょに泊まったり、夕餉をともにしたり、の素敵な宿。

先週、神戸の港から能登の家に「モカマタリ」の生豆が届いた。戦争モードになり、日本に
入りにくくなった豆。業務ものは間に合わないけど、自分のぶんは毎朝UFOで焙煎して飲む。
マタリをの飲む時は、「珈琲ルンバ」がいい。♪昔アラブのえらいおぼうさんが・・モカマタリも詩の中にでてくる。
西田佐知子・・・素敵だったな~

ちょっとキザだけど、バッハの「珈琲カンタータ」もいい。バッハは珈琲が大好きだった。
バッハの生きた時代は、女性は珈琲を飲めんかった、という時代背景もある。ヨーロッパのカフェも女人禁制やった。
時代がかわり、旅する人も、盛り場も、カフェも圧倒的に女性が多い。

昨年末にできた「珪藻土焙煎器UFO」も圧倒的に女性の手に渡っている。いろいろおもしろい意見やアイデア
がフィードバックされている。おぼうさま、じゃなく尼さんみたいに「焙煎していると無心になれる」
とか「家事のストレスから解放される」とか「平凡な日常が非日常になる」とか「マインドフルネスな道具」
とか・・・・おおむね「至福の時間」を味わている様子。
男子の厨房には、「ごますり器」とか「忖度(そんたく)バサミ」みたいな道具しかないの?
ぼくのHPでも「使い方」をのせているけど、昨日、すこし機能をアップして、より詳しくで「伝授」できる
ようにした。時間のある時、のぞいてください!「5分で幸せになる方法」みたいな道具なのです。感謝。