年越しそば

毎年の人、初めての人、孫が増えて例年より多い人、家族がなくなったり、大学や就職で家を
離れて、数が減った人・・・悲喜こもごもな年越しそば。
そもそも年越しそばを食べるようになったのは、「つなぎ」(そばは、つなぎ(主に小麦粉)の縁起。来年も縁が続きますように、
つながりが続きますように、という願いがこもっている。ぼくの生まれ育った北九州は、うどん文化圏やけど、
大晦日だけは「そば」やった。自分でそばを打ち始めてからは、毎年そばを田舎へおくっている。田舎そばではないばってん。

昨日、めずらしくちゃんとしたスーツ(この界隈は、あまりスーツ姿の人はいない)を着こなしたサラリーマンの
人が、そばを手繰りにこられた。そば前(お酒)を飲み、〆のそばを食べた後に、そばのおかわりを所望された。
お勘定の時に、「自分で蕎麦を打つ会に参加してもいいですか?」というので、「どうぞ」と返事した。
出張なのか、単身赴任で東京にきておられるのか、聞いていないけど、「その蕎麦をもって金沢へ帰ります」
とのこと。昨日は金沢も積雪があったらしい。

基本的に年越しそばには、つけ汁をつけている。つまり「ざるそば」で食べるように。毎月、能登へいく時、
留守中に雪かきをしてくれたり、畑や栗の木、柿木あたりのお世話をしてくれる近所のかたへ、そばをもっていく。
もちろん「つゆ」もペットボトルに入れて。暑い夏などは、ざるで食べておられるようだけど、やはり冬は寒いので、
あたたかい蕎麦で食べるほうが多いみたいだ。能登のシイタケと塩で味付けすると、ほんとうにおいしい。

昨日は、秋にしこんだ「柚子胡椒」が完成して、瓶詰めをした。
それにも、能登の揚げ浜方式の塩を使っている。先月島原にいって、おいしい柚子胡椒を買って帰ってきたばってん、
塩は、能登がいい。柚子はあまりとれないけんど・・

調味料の値段が高騰して、家計も飲食店の経営も青色吐息の様相だけど、「自分でできることは、自分でつくる」
を中心にしたら、なんとかなるように思うし、料理のレベルがぐっとあがるし、健康になるんじゃなかろうかしらん。

来年のことをいうと、鬼やうさぎ(来年の干支)に笑われそうだけど、今年の6月の珠洲の震度6の
地震の時にひらめいてできた「珪藻土焙煎器UFO」にのって、各地を旅したいと思っている。(一瞬でどこでも飛んでいける・笑)
おかげさまで毎日のように、いろいろな土地に飛んでいっているし、だれが、どこで焙煎しても5分くらいでおいしい珈琲ができ、
ぼくの出番はなくなりつつあるけど、時間があまったぶん、縁あるところで、「そば会」を増やしていこうと
思っておりまする。感謝。