寿司の屋に季語あり 能登の海

月曜日に、氷見の「すしのや」という寿司屋で寿司をつまんだ。ぶりの脂は今いちだった。
もともと「氷見のぶり」ではなく、「氷見のいわし」がブランドだった。
イワシは毎日喰っても飽きないけど、商いにならないので、ブリをおした。
出世魚でその縁起かつぎもあるが、これからクリスマス、正月にかけて、高嶺の花のごとく大出世する。
東京は、世界中から築地に魚が集まり春夏秋冬いろんな魚が食べれる。地方は地魚中心なので、
寿司屋に「季語」がある。

12月は、よく雨が降る。毎日のように雷注意報。この季節の雷は能登では「ぶりお越し」という。
雷が鳴るごとに、マイナスイオンが発生し、海温もさがり、ブリがおいしくなる。先週は、夜中の雷で
同じ町の家(空き家だったけど)が全焼した。家を揺らすくらいの雷で、昨日は玄関に積んであった
プラの収穫籠が大きな音をたてて落ちた。風も強く、家の網戸が左右に移動する。都会ではない風物詩だ。

昼間少し小ぶりになったので、隣の集落のとある家に、年末の挨拶にいく。「つけを払いにいく」
みたいに、紙袋に「ご志納」と書き、5000円を入れて・・・
この夏に地籍調査を役所たちあいで、初めてやった。田舎はゆっくりしたもんだ。でも境界線なんかを
決める時は、ゆっくりが、すったもんだになるようだ。もともと、土地は所有するものでなく、農民に貸して
そこからの年貢で成り立っていた。明治になって欧米よろしく近代国家?を目指すために、土地を所有させ、
固定資産税という悪税をつくって、国の防衛費や政治家たちの私腹を肥やしてきた。今回も防衛費を捻出するために、
国民が汗を流したお金をポン引きする作戦をあれこれ考えている様子。マイナンバーカード、保険証と運転免許証の合体、
新しいお札・・・やるね~

話がそれた。4年前に、能登の古民家付きの家を買った。母屋だけ名義変更をして、隣の畑は
借り(無料)、上の畑は年払い、つまり5000円の「ご志納」で借りている。農業法人にしないと、農地は
買えないのだ。どうでもいいけど・・
上の畑は、里山の延長みたいな場所で、栗の木と柿の木が、それぞれ二本あって、秋にはたわわに実をつけ、
東京でお世話になった人や、お店の常連さまのお土産になったりする。畑の真ん中には「さつき」が植わってあり、
春には、野良仕事の一瞬のなぐさめになるし、横の畑では辛み大根をつくったりしている。
そして、そこには二階建ての小屋がついていて、一階は車庫。二階は、ぼくの商売道具の七輪や炭、釣り道具
などが納められている。天気のいい日は、ネコ(一輪車)に焙煎道具を積んで海辺で焙煎し、珈琲を飲み、
雨や風の強い日は、その小屋で焙煎し、里山の風景を見ながら、珈琲を飲む。さながら「里山里海カフェ」だ。

お店(墨田区)の平均的な車庫の賃料は月25000円。それに比べて、栗と柿の木付き、畑付き、車庫付き・・
もっといえば、「海付き」「里山付き」の土地を、年に5000円で借りている、ということだ。
縁、と情報をまじめに集まれば、田舎には、こんな「宝」がいっぱいあるのではなかろうか?(不動産屋を通すと、
「商売」になるので、こんな物件はないけど・・) 「小屋に囲炉裏をつくり、ゆっくり隠居」なんてこれから
みんながあこがれる生活スタイルになると思う。七輪で炭をおこす・・・の訓練さへしとけば、なんとかなる。

時代が大きくうねっていて、「違う生き方」を模索している人が多いのではないかと思う。
東京と能登をいったり、きたりしていて、いろいろな気づきがあった。
もっとも大きい違いは、空気と水が違う。もちろん能登のほうが美味い。
昨日は、この小さな集落から、徒歩20分の隣の小さな集落に「ご志納」にいく道すがら、
ビュースポットにもなっている棚田のあぜ道を歩きながら、「東京には、ひとがいっぱいいるけど、
集落というのがないな」と、当たり前のことに気づいた。億ションや、高級住宅地に住んでいても、
その「まち」と「ひと」に、かかわりがもてない人の烏合の衆になっている。
匿名性のあるそんな東京が、けっこう居心地のいいのも否めないけど・・・・