長生きしている老人を見ていると、「自分らしく生きる」(ある意味、マイペース)というのは大事だ。
とくに、女子は、その傾向が強いような気がする。「自分のことは自分でせんとあかんばい」ということを、
男よりも自覚しているのだろう。昔は秀才でちょとしたいい男だった伴侶が、定年後は家にいて、みそ汁はおろか、魚も焼けない、
洗濯機も使えない(珈琲くらい淹れられたほうがよか)・・・社会的な立場がなくなると、ぬれ落ち葉になり、粗大ごみのシールをはって、捨てようか、という気分になるようなことを、多かれ少なかれ感じるようだ。あげくに、介護が必要になったりすると、首を
〆ようか・・そんな気持ちになることにも同情できる。
よく、近くの「お世話しあうハウス」の女将とシエアメイトさんたちが蕎麦を手繰りにくる。
「いずれいく道」が、すぐそこにきている感もあり、笑ってばかりいれない今日このごろ。
総入れ歯の人ほど「ごはんは固いほがいい」といい、自分の歯が残っている人ほど「こんな固いごはんはいやだ」
というらしい。普通に考えて、歯がたたないようなことだけど、女将はちゃんと涼しい顔して、毎朝
二種類のごはんを炊くそうだ。新潟の村上出身のおばあちゃんは、毎朝ふるさとの「鮭」が食卓にのらないと機嫌が悪い。
しかも、週に一度は「鮭のかま」を食べたい、とうるさいらしい。こんなことに右往左往していたら、老人たちの
お世話などできない、と女将はいう。しかも、全部、自分の年金を使ってお世話している。なかなかできないことだ。
最近、そのお世話ハウスに、エスプレッソマシンがはいった。女将が「せめて素敵なカフェみたいに・・」という
計らいから。でも、「お茶にしますか?珈琲にしますか?」と聞くと、ほぼ全員が「お茶」しかも、お抹茶を
所望するらしい。この女将は、名にしおうお抹茶の正教授でもある。「先日、断捨離と思って整理していたら、トークロウの
茶わんがでてきたので、それでお茶をいれたのね。そしたら『こんな重くて汚れた茶わんいやだ』だって、といって
笑った。当分苦労しそうな、ウソのような本当の話。一度見せてもらったけど、ホンモノの加藤唐九郎さんの黄瀬戸茶わん。
なにはともあれ・・・
酒飲み仲間に 仕事の仲間 苦労し遂げて 茶の仲間
日曜日に、四谷と銀座の喫茶店から豆の注文がきたので、能登の家には「生まめ」しかない。
朝ごはんの後、煎茶を飲みながらPCに向かっている。明日は能登のカフェに配達があるので、
これから珈琲の焙煎。冬は朝から炭をおこして暖をとっているので、「よし」とスイッチが入ると、
すぐに焙煎ができる。「どこでも誰でも珈琲が焙煎」・・・そんな時代がきてほしい。感謝。