年越しそばを自分で打つ

年末の恒例行事の予約が入りはじめた。
やっと冬らしい寒さも到来し、年末らしくなってきた。
喪中のハガキも毎日のようにやってくる。
その中に親友の母親の訃報があった。13年前にその母の長男であり、
IT時代の取引先の専務であり、ぼくのお茶とそばの弟子でもあったワカが
その母より先に逝った。享年56歳。納骨の朝、お骨の入った箱を「最後やけん、もう一度抱かせて」
と言った母の姿に、みんなが泣いた。

博多の仙崖和尚が、檀家さんに孫ができた時、「何かお祝いの記念に一筆お願いします」といわれて、
「親死ね 子死ね 孫死ね」と揮毫したら、「縁起でもない」と怒られ、「では反対にしようか」
といって「孫死ね 子死ね 親死ね」と書いた。それで、檀家さんが「ありがとうございます。順番に
いくのがよろしい、ということですね」と悟った。そんな逸話がある。
今の時代なら、SNSなんかにクレームが投稿されかねようなお話。時代や人に「ゆとり」があったのか?
時代が変わっても、順番通りにはいかに不条理なことがいっぱいある。それが自然だ。

うちの母親も90になった。施設に入っているので、帰省しても面会もままならない。
3年前の11月施設に入る時に挨拶にいった。冬はジーパンの端切れでぼくの提案で作家に作って
もらった「和っふるコート」を着ていて、その恰好で行こうとしたら、「私がこれから20年くらいお世話になるところに、
そんな乞食みたいな恰好して・・」といって、激情した。折れて、車の中にコートをおいて、ジャケットで挨拶にいった。
その時、「あと20年・・・」がひっかかった。どちらが先になるか、競争になりそうだ、と思った。(笑)

先日、その母から電話があった。「たってのお願いがあるの」という。
「いいよ、何?」と答えたら、「こんど帰ってくる時には、顔の色を白くして帰ってきて。」続けて「牛乳石鹸の
赤ラベルがよかよ」とのこと。続けて「きよみさんと並んでいると、美女と野獣やないね」とテンションがあがる。
コーナーに追い詰められてサンドバック状態になったボクサーみたいだ。でも90を過ぎても、美意識がちゃんと
している元気さに感謝して「わかった。牛乳石鹸の赤ラベルね」と答えて電話を切った。

母は、4人姉妹の3番目として、宮崎の延岡で育った。母以外の3人姉妹は、地域の「美人大会」で優勝した。
ぼくの母だけは、「黒んぼ大会」で優勝した。ぼくは、そのDNAをちゃんと受け継いで、黒い顔して60有余年生きてきた。
でもきっと、薬も飲まず、ワクチンも打たず、元気でいられるのは、そんなちょっと素っ頓狂な母親のDNAをいただいた
おかげなんだろうなあ、と最近思う。今日、近くのオリンピックで「赤ラベル」の牛乳石鹸を買いにいこう。

今日明日は16時まで営業。
それ以降は、「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」

月曜から「能登休み」