究極の「おひとりさま」マンション お世話しあうハウス

昨日、N響のYさんが卵かけごはんを食べにきた。
東京にいる時は、ほぼ毎週きてくださる。UFOくんのお米を「うまい」
と褒めてくださった。
珈琲を飲みながら談論風発。「ぼく、NHKの番組の『いいいじゅー』をよく見てます。最近は飲食を
やっている人の移住が加速しているみたい」とのこと。

テレビを見ないので、そんな番組があるのを知らなかったが、確かに能登に半分暮らすようになって、
「最近、新しい移住者が増えてきたな」というのを肌で感じる。都会で高い家賃や光熱費や食材を
払いながら、悪戦苦闘するよりは、空気のいい田舎で、のんびり食材を自分でつくったり、釣ったり、
狩猟免許をとって、捕まえたりしながら暮らしていくのは、別天地に生きる境地に違いない。
都会と同じような集客や売り上げは見込めないが、「ゆたかさ」と、同じ目方で測れないものを拾得する
ことはできる。別に飲食関係でなくても、別の土地で、違う生き方をする、のもいいことだと思う。
命短し、恋せよ乙女だ。老若男女問わず、命は短い。

最近、能登でも若い人が「民泊」を始めたりするケースがよくある。「あるある」じゃないけど、一度そんな
ところへ泊まる、というのも田舎暮らしの第一歩だと思う。自治体によっては「お試しに・・」ということで、
短期間、安い家賃で住むことができる賃貸物件を斡旋してくれるよころもある。能登だと、能登町、珠洲、
あたりは、行政がしっかりしていて、そのあたりが手厚い。

今は東京の墨田区にいる。この界隈も、シャエハウスが多い。
最近は田舎にいっても、シャアハウスがけっこう増えてきた。民泊よりも、少し長期の契約になるし、
その土地のヒトや風物を観察するのには、いいことだと思う。

ときどき、このブログに登場するけど、近くに古い分譲マンションがあって、うちに毎日のようにくる80歳の
女性が、まわりの独居老人(たいてい、主人が先にいってしまい、おひとりさまになる)のお世話を奉仕でしている。
男世界ではありえない稀なケースだと思い、ぼくは彼女のことを「お世話ハウスの女将」と呼んでいる。
朝早くおきて、みそ汁の仕込みをし、一番長老で、最近認知がひどくなったおばあちゃんのところへいって、朝ごはんを
たべさせ、薬を飲ませた後、自分の部屋にもどり、常連さん(もちろん無償、とのこと)が、三々五々やってきて
お米が固い、柔い、みそ汁がしょっぱい、あまい・・・注文の多いわがままばあさんの朝飯をふるまった後、さきほどの
長老の散歩にでかける。雨の日、暑い寒い、長老の体調によって、散歩コースが3コースあり、ときどきは、寄り道して
カフェでお茶をしたり、散歩の時間が午後になったりしたら、天真庵でそばを手繰ったり・・・

昨日は、散歩が午後になったので、ふたりで天真庵、になった。
女将が「このひと、認知が激しくなってきたので、さっきごはんを食べたばっかりなのに、『あのおそばやさんにいこう』と
いうのよ。だからわたしは、珈琲。この人にはいつものざるそばをください」という。
その後、「あ、いけない。お財布を忘れたので、ちょっと銀行にいってくる」と、近くの銀行までいかれた。
その間に、いつもは、認知で、耳が遠くて、会話に加わることのない、その長老が大きな声で、「あの人うるさいでしょ、いつも。
だからボケで聞こえないフリしているの。今日は暖かいのがいので、トリソバにしてちょうだい」とはっきりした声で言った。
厨房の中で、思わず噴き出した。耳が遠くなったり、少し記憶がおぼつかなくなっても、フリを利用すると、老後を楽しくできる
コツがあるんだと痛感。

しばらくして銀行から帰ってきた女将が「先週、ジュリーの映画を観にいったわよ。映画のタイトルが・・・
わすれたけど」、というので「土を喰らう日々ですね」というと、「そうそう、それ」。
いずれいく道だ。5分前のことを忘れるようになっても、つれあいの顔を忘れたり、財布の所在があやうくなったり、
ペイペイは使えなくても、けっこう楽しく生きていけそうだ。忘却は神様がくれた「やさしさ」、かもなんばん。感謝。