天真庵のHPに、能登の志賀町に美術館をつくった・・・そんな部屋がある。
2018年に、能登の志賀町に古いけど、古色蒼然とした古民家を買って、
東京と能登を往復する「二股暮らし」(デュアルライフ・・というのを北國新聞の記者さんにきいた)その中
に北國新聞に紹介された記事がある。「能登でデュアルライフ」というタイトル。
同じ年にテレビ金沢にも紹介された。
新聞とテレビでは「そのうちに完全に移住を・・」みたいに結んである。
4年たったけど、相変わらず、二股暮らしだ。でも、いろいろな縁が結ばれ、
内容はずいぶん変わってきた。
移住する前から、能登町の「梅茶翁」(ばいさおう 農家民宿 カフェ)にちょくちょく通った。
名前の由来みたく、そこには梅林があり、選定やら雑草取りやら、収穫やらで、けっこう忙しい。
そのうち、「田舎暮らし体験」みたいに東京から梅仕事を手伝いにきてくれる女子たちが集った。
「梅林ガールズ」という。煎茶の神様「売茶翁」(ばいさおう)と同じ言霊の店なので、不思議な
つながりが、優美に広がっていった。梅林の横の棚田では、3回目の米を収穫した。まったく
農薬も肥料も機械も使わずやっている。
確かそのころ、能登島で「のて」という若いものつくりの人たちが集うイベントがあった。
そこで、移動式のソーラパネルを使って、PCやスマホの受電をしている人たちを見て、さっそく
東京のお店でも採用。天気のいい日に、駐車場の車の上において、蓄電池に充電している。
車で移動する時も、「タキオン」というイオン発生器をそれにつないでいる。梅を運ぶとき、
元気が違う。お店のPCとか、二階の電気は、その電気を使っているので、電気代の高騰が
さほどダメージがない。
能登では近所の人たちが、夏はサザエをくれる。半端ではなく、ひと夏に100個くらいくる(笑)
能登の珠洲に、丸和工業という珪藻土の七輪屋さんがあり、そこの「よくばり七輪」(ぼくは、わがまま七輪と、いつも
勘違いしていた)で、サザエを焼くと、中までジワリと火が通って、さざえの中にある海水だけで食べられる。
これから、ブリがあぶらがのってうまくなる。そのぶりのかまを炭火で焼いた時の、輻射熱のすごさと、筆舌を
超えたうまさにびっくりした。肉や鳥を焼いても「ベツモノ」になる。
そんなわけで、天真庵の卵かけごはん(月曜日)は、珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊いている。
おかげで、オコゲが美味い。
昨年から天気のいい日は、ねこ(農家用の一輪車)に、七輪をのせて、徒歩3分の海辺で
焙煎をするようになった。その写真をHPにアップしたら、「能登」という季刊誌の社長に見つかり、取材を受けた。
今年の夏には、「60歳から始めて人生が楽しくなる100のこと」(宝島社のムック本)に紹介され、今も本屋に
積まれてある(昨日、スカイツリーの本屋にいったら、20冊くらい積んであった)
これで「ノマド生活」ができると確信した。
東京と能登、ときどき九州を行ったりきたりの生活をしていると、「いつも旅している」ようなリズムになる。
縄文時代から、この島に住むぼくたちは、そうやって自然にふれあいながら、「文化」とか「芸術」なんかを
つくりあげてきた。その中心に、句読点みたいに「珈琲時間」があると、「ゆたかさ」が
かわってくる。生活の質をあげようと思ったら、まず「珈琲」とか、毎日使う「調味料」を見直すことだ。
能登の揚げ浜式の塩、しいたけ、そして「霊水」を使うようになって、暮らしが異次元にかわった。
そんな「能登時間」が、今の下り坂のニッポンには、大事ではないかと思ったりする。下るときは、
楽しみながら下っていけばいい。のぼり3年、そのまま3年、それから下りが5年・・・誰かがそんなバイオリズム
のことをのたまっておられた。今は「まさかの坂」ではあるが・・
そんなことを思っていると、6月に珠洲で震度6の地震があり、丸和工業さんの窯が崩壊した。
ちょうど、能登にいく途中やったので、翌日に現場にいって、少し片づけを手伝っていたら、
「ちゃねって」しまい、その場にいた社長に「これもらっていい?」と口が勝手にいいだし、
珪藻土のがれきとなどをもらい、陶芸家の久保さんのアトリエにクロネコでおくった。
さすがに、陶歴半世紀の匠の技がさえ、先月「珪藻土焙煎器 UFO」が完成した。
能登では「梅茶翁」で採用され、東京や名古屋や京都、九州のカフェとか、いろんなところに、
UFOが飛ぶように嫁いでいった。
今月は同じ土を使って「縄文時代のグラインダー」みたいな和製ミルが商品化される予定。
能登はUFOで町おこしに成功した。それにくらべると、だいぶサイズがダウンするけど、
珪藻土を使ったセラミックで、日本人の暮らしの質を少しアップできる「能登焼き」
みたいなものを、来年はいっぱい企画して、久保さんにつくってもらう予定。
なんとなく能登があつくなってきた。
来週は能登。すぐに九州に移動。先日不思議なおばあちゃんがお店にきて、「あんた宮崎の〇〇神社にいきなさい」
といわれた。うちの墓の近所なので、いってみることにした。
大きく移動しているけど、なんか、同じところにいるようでもある。
時間も場所も、こころのおきどころ、だと思う。思いが実現するはやさも
はやくなっているような気がする。どんな時代になっても、やっぱり「いまここ」しかないのである。
今年の6月