梅茶翁(ばいさおう)・・・いよいよ本稼働!

先月、能登町の居酒屋とスナックを梅茶翁のふたりと梯子酒をし、
ひさしぶりに、梅茶翁の客室に泊まらせてもろうた。翌日は、「珪藻土焙煎器 UFO」
の勉強会。これから、梅仕事や発酵、藍染、そば打ち・・・などの教室に「炭火焙煎」が加わることになった。
瑞穂(みずほ)という地名。水も空気も美味しくて、そこでとれるお米が美味しいので、
日本は古来「瑞穂の国」と呼ばれてきた。

先週、梅茶翁の新しHPができたので「天真庵」のHPにリンクした。文明の利器の最たる「ドローン」
で撮影された棚田、梅林、母屋の写真は、能登の空気感がそのまま憑依しているようで、一見の価値がある。
これからHPをつくるんだったら、こんなページにすればいいね。

梅茶翁。江戸時代に「売茶翁」(ばいさおう)という茶人がいた。佐賀で黄檗宗の禅僧をしていたが、還暦手前でその地位を
捨て上洛。双ヶ丘に住み、毎日茶道具をしょって、南禅寺や鴨川などまで歩き、煎茶をいれた。
そこに池大雅(画家)、青木木米(陶芸家)、亀田窮楽(書家)などが集まり、自然のなりゆきで、「煎茶道」
みたいなものが開花した。

そういえば、来週能登に遊びにくる友人は、学生時代に「双ヶ丘」の古い大きなアパートに住んでいた。
「♪3畳一間の小さな下宿」が当たり前の時代に、6畳4部屋が彼の部屋で、マージャンをやったり、酒を飲む
のに仲間が集まった。ある日、みんなで酔っ払って、ボクシングをした。ぼくは少し「こころえ」があった?ので
タオルをまいた拳で、酔った友達たちを畳の上につぎつぎとダウンさせた。ところが、夜中に生まれてはじめて「金縛り」にあった。
そして、顎が痛いと思ったら、かたわらにMくんが座っていた。「おまえ、なんでここにおると」というと、
「夜遊びにきたら、みんな酔っ払ってボクシングをしとらすけん、途中参加したと」という。Mはもともと下戸で、
ボクシング大会の最終ラウンドあたりに、素面(しらふ)で参加して、酔っ払いボクサーたちを、サンドバックのように
なぐった、ということになる。なかなか要領のいい「くまもん」。
彼はその後、コンサルタント会社をおこし、ぼくの会社の顧問をしばらくやってくれた。

能登の家の一階の床の間には、売茶翁を金銭面でささえた亀田窮楽の掛け軸を飾ってある。
酒しか飲まなかった亀田窮楽が、お茶しか飲まなかった売茶翁と、深く交流したことが
「近世畸人伝」に綴られている。
その素っ頓狂な「ボクシングナイト」も、奇人仲間の「酒飲みと、下戸の不思議な交流」を、双ヶ岡という「京都魔界」
のひとつの場で、地縛霊たちといっしょにお祭りした一日だったのかもしれない。感謝。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です