♪長崎から船にのって神戸についた!

そんな歌があった。森進一?五木ひろし?
昨日、長崎から佐賀の武雄温泉まで新幹線が開通した。
5月に里帰りの足を延ばして長崎にいった。11月も小浜温泉でそば会をやる予定でいる。
40年くらい九州までは車でいくのが、ならわしになった。
最近は、能登経由でいくので、大阪から門司まではフェリーを
使ったりする。ゆっくり、という今どき風の時間の使いかたとしては、
「船の旅」は、いい。夕暮れどき、沈む夕陽を眺めながら酒を飲むなんて至福の極みだ。

最初に長崎にいったのは、浪人時代の昭和50年。小倉の予備校で勉強の後、飲んで
(福岡はだいたいの人が中学校くらいから酒を飲んでいた)、最終列車長崎行きにのって朝起きたら
長崎やった。「いった」というより、「もってかれた」みたいな感じ。
高校卒業の年だし、シクラメンの香りが流行した年だし、
新幹線が博多にきた年なのでよく覚えている。その年にできた博多の地下街は「デイトス」とかいう、横滑りしそうな名前がついちょった。
「みんながここでデートしてほしか」という意味げな。博多商人のあきんど根性がよくでてる名前ばい、と思った。
あれから半世紀たって、長崎に(まだ博多から長崎は通じてない・・あまり意味ない?)新幹線。
長崎は、場所場所で風俗や景色やひと柄も違うので、できたら、1週間から10日かけて、五島列島あたりまで足を
延ばしながら旅するのが一番だと思う。最後は、南島原から船で天草まで渡り、くまもん文化と混じりあう風土の風も
感じてほしか・・欲張りか?

めちゃくちゃな浪人生活やったけど、翌年無事に第一志望の立命館に受かり、小倉駅のホームの
立ち食いうどんを食べて、新しくできた新幹線で京都にいった。
そんなこともあって、九州にかえる時は、車がほとんどだけど、小倉駅で「うどん」を食べないと、なにか大事な忘れ物を
したような気分になる。

昨日のセレモニーは、長崎出身のタレントさん長濱ねるさんが一日駅長になった、とニュースが伝えた。
昭和50年の開通した時は「デイトス」の特設会場のステージで今陽子さんが歌をうたっていた。
♪わーすれられないの・・・ピンキーとキラーズで一世を風靡した後ソロで活動し始めたころ。
2000年の前後に、よくニューヨークにいってたころ、陶芸コンテストのボランティア活動の中に、彼女がいた。
「ぼくがはじめてあった芸能人はあなたですバイ」といったら、大笑いされた。ある日、彼女のジャズをあちらのライブハウスで聴いた。
歌謡曲よりジャズのほうが、「♪忘れられないの」、くらい感動したことを今でも覚えている。感謝。