UFOが栗積んでやってきた。

先週不思議な夢を見た。能登の真脇(まわき)遺跡の縄文建築みたいな質素な空間で、
焙烙(ほうろく)で珈琲豆を焙煎した後、小さな鉢にいれ、すりこぎで
それを粉にした後、縄文土器の中にいれ、お湯を注いで縄文的な珈琲なるものを
淹れている。
今日の秋分の日を境に、いっぱんの人も「ちゃねる」ことが、身近になってくるらしい。
この夢もいっしゅの「ちゃねる?」と思って、久保さんに電話して
「縄文時代の珈琲ミル、を、つくってみませんか?」と言ったら、「同じこと考えていた。すぐつってみよう」
とのこと。来月あたり、長い悠久の時空をこえて、縄文時代からやってきそうだ。
その遺跡の近くの珪藻土をつかって、焙烙とみるが完成したら、それを縄文ドリポットで
淹れると、「縄文珈琲」ができあがる。ひょっとしたら、「宇宙一のバリスタになれる?」

確か、天真庵のHPの「のむら暮らし」の中に、縄文真脇遺跡の中の縄文家の中で三輪福さんと
お茶のお稽古をしている写真がある。縄文真脇遺跡の家つくりを手伝っているのもあるはず。
今は、テレビにでたり、本になった「縄文大工の雨宮さん」の写真ものってる(笑)。
縄文人は、米つくりをしていないので、狩猟が中心で、一か所に定住せず、あちこちを移りすみながら
生き暮らしていた、というのが定説。でもここは、何千年もの間定住していた、というのが最近判明した。

ひとつは、「春、藤の花が咲くころ、能登の沖合に対馬海流にのってイルカがやってくる」という花時計を
縄文人がもっていた。そしてふたつめが、それを集落の長が、切り分け、冷蔵庫がない時代なので、それを発酵させた魚醤
(イシル)につけて保存した。今でも能登では、場所場所で「イカ」や「いわし」や「めぎす」などでイシルをつくり、
保存と料理に大活躍させている。

そんなことを考えながら、美人の珈琲のお弟子様にいただいた「さばのヘシコ」を酒肴に、遺跡近くにある数馬酒造の「竹葉」を飲みながら
逍遥していた。ヘシコとは、さばやいわし、ふぐ(輪島がフグの漁獲高全国一)などを、塩漬けにした後、ヌカ漬けにした
発酵食品。能登では「こんか漬け」という。金沢から福井、島根あたりまではヘシコという。
東京や大阪など、食通があまたいそうなところでもヘシコを知っている人は、少ない。京都は、福井からの鯖街道を通じて
伝わったので、京女に「ヘシコ、おいしおすえ」なんていわれると、ついデレーとした顔で、「それお願い」ということになり、人気の酒肴である。
簡単にいえば「魚の漬けもの」やね。最近はバルサミコ酢とかオリーブオイルを使って、ヘシコと混ぜあわせ、能登ワインのアテ
にするようなこじゃれたお店も能登にあったりする。縄文時代からの「かもし」が、今も残っているのだ。

昨日は、能登の家の隣のおばちゃんが、栗をおくってきてくれた。手書きで「台風がくる前に、うちの畑に落ちた栗(ぼくの家の栗の木)
を拾い、東京におくりました」とのこと。ちょうど、銀座の隕石カフェに珈琲豆を発送用意していたので、
「能登からUFOにのって、栗がきたけん、おすそわけ。リスやないけん、そのまま食べたらあかんばい。栗ごはんにしてね」
と王子にメールした。間髪をおかずに返事。「朝からクリとりす、の話ありがとうございます。蕎麦の薬味は、昔からちょっとエロが
きいてますね」

銀座の松屋の裏手、珈琲の名店が立ち並ぶ場所で、「隕石カフェ」(正式名称は、スタバに対抗しているような名前?)は
がんばっておられる。こんど縄文式珈琲の焙煎と、縄文みるをもって、伝授しにいこうと思う。
雨宮さんと王子・・・・なんとなく、雰囲気に共通するものがある!

「ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋 」(平凡社新書・雨宮国広 (著))
これからの新しい時代を生き抜くヒントがいっぱいつまっています!おすすめ!

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