UFOのお米

能登の羽咋(はくい)というところは、UFOと自然農の米をローマ法王に献上して、
町おこしに成功した。そのおかげで、神子原(みこはら)という神がかった名前の
ところにある「直売所」には、朝から富山や金沢ナンバーの車がとまり、帰りには
「コスモアイル羽咋」まで足を延ばす人があまたいる。
ぼくも、東京から能登へいく途中、その神子原村の直売所で、野菜などを調達したり、
近所のおばあちゃんたちがつくったお惣菜などを仕入れて、ついた日の晩酌のつまみにしたりするのが
ならわしになった。まじめな人たちが、まじめに生活しているところ。

昨日は「卵かけごはん」だった。こちらもUFOの米を使って、能登珪藻土の竈で5合半炊いた。
台風だし、「あまるかな?」と思ったけど、6合炊きの羽釜で炊くには、5合半くらいが一番うまいし、
「ままよ」で、炊いたけど、ちょうど卵かけごはんの時だけ、雨もあがり、ぜんぶ売り切れになった。
UFOというのは、能登米ではなく、10数年前に墨田区から熊本に移住した「ゆーほ君」が無農薬で
まじめにつくっているお米。ブンカンの夜の店長してたくんだ。それを玄米のままおくってもらって、精米して昨日はじめて食べた。
ふだんは「ごはん半分」のお客さまが「今日は旗日なので、普通に一杯」と注文され、あっという間に
完食して「おかわり」をした。

ちなみに、ブンカンの昼の店長だったなつきくんは、南島原に移住して「くちのつ巷珈琲焙煎所」をやっている。
5月に遊びにいった。天真庵に味噌つくりにきていた人が、もうひとり移住し、島原の小浜温泉の高台に日本料理屋を
つくった。「小浜温泉 彩雲」で検索したらでてくる。神楽坂で長年腕をふるってきた料理と、長崎の魚、野菜、
青一髪(頼山陽が、長崎の海を見たとき書いた詩のまま、水平線が青い一本の髪のような景色)が一体となり、
「この世にいるとは思えない気分」が味わえる。

何年か前から、「ごはんよりパン」の家庭が増え、お米の需要が減り、値段も安くなり、農家さんたちは、
タツキ(生計)に困っている。これからますます高齢化がすすみ、お米をつくる人が減るいっぽうだ。
アメリカばりの大型の農法で、品種改良や除草剤、農薬たっぷりのお米が一般化したのも、影響があると思う。
3年前から、能登の棚田を開墾して、お米をつくりはじめた。一年目は、秋の収穫前にイノシシに食べられ、
昨年は、まあまあ思ったとおりに実りの秋を迎えた。今年は「3年目の正直」になる予定だったが、また
イノシシ軍団に半分近く先回りされた。
「ごはんを食べていく」ことの大変さを身に染みて感じている。
少し高価だけど、神子原村のお米とか、まじめに無農薬でつくっている農家さんたちがつくるお米を食べてほしい。
珈琲以上に「違いがわかる」と思う。

今朝の朝日新聞の特集は「地球温暖化」で、わたくしたちの朝食が激変する、というのがでていた。
高度成長やバブルを経験し、世界中から「円」で買っていた食べ物。戦争モードになり、円の価値が下がり、
温暖化などで、魚や穀物のありようが激変している。このままだとこの星の人たちが食べれなくなる、という
日の足音が近づいているのだ。
「コンビニがあるから、大丈夫・・・ボリボリ」なんていってる場合ではなのよ、ほんなこつ。