悠玄亭玉さんの愛犬コバナが旅立った

台風15号の影響で、一日雨模様だった日曜日、生まれたての赤子を
だくように、常連さまが入ってきた。余命いくばくもない老犬が、バスタオルにくるまれていた。
「コバナがここにきたがっているようなので連れてきました」とのこと。
もう寝た切りで、目も白内障で真っ白。でも、なんとなく懐かしく思ったのか、
お店の中の「たまちゃんの残像」を追っているようだった。

元浅草芸者で、晩年は三味線のお教室をやりながら、時々浅草の東洋館や、各地のイベントなどで
幇間(ほうかん 一種のお座敷芸)をやっておられた「たまちゃん」こと、悠玄亭玉さん。
晩年は近くに住んでいたので、引っ越してきてからこっち3年間、ほぼ毎日のように来てくれて、「そばと珈琲」
を注文された。彼女の誕生日の6月には「誕生日ライブ」をやって、みなを笑わしてくれ、お弟子さまの発表会も
天真庵でやった。彼女がいる間は、うらぶれた十間橋通りに、三味の音がしていた。
最初は「バナナ」という犬を買っていて、その後釜にきたのが、その子分か子供か、そんな意味
あいもあって「コバナ」になった。近所の子供たちにも人気ものになった。

2018年の夏、たまちゃんが旅たち、ひとりきりになったコバナを、カリスマ動物病院の医院長が
ひきとり、面倒を見ていた。名にしおう「厳しい先生」(犬のためを思い、飼い主は厳しい)だが、下町人情と男気も時代おくれなくらい、あふれている。
ときどき、応援するボクサーの試合を見に後楽園ホールのリングサイドに応援にいくけど、きっとまわりの人たちは、ぼくらを見て、
「昔懐かしいどこかの組の人」(リングサイドには、そんな人がいっぱいいた)と思っていたに違いない。

そしてお別れを言いににきた翌日、コバナが旅立った。17歳。

昨日、珈琲の道具を買いに、押上から浅草を通って合羽橋まで徘徊散歩をした。
今でも時々、彼女が贔屓にしていたお店から、ひょこっとでてきそうな気配がすることがある。

珪藻土焙煎器 UFO がやってくる・・

珪藻土焙煎器 UFO が本日やってくることになった。
「来月はじめあたり・・・」とふんでゆっくりしていたばってん、
ばたばたな1日になりそうだ。なにせ、予約を受けた人たちは、「はつものすき」
みたいな人たちばかりなので、ケンカになりそう。

今日は月イチの歯医者。これから、もと住んでいた板橋の歯医者までいく。
急遽、クロネコさんに、「夕方に届けてメール」をした。
歯医者の後、大塚のカフェのママさんに「出張・ほうろく焙煎」の約束があるので、
その後に受け取ることになる。

明日は、いっしょにくる「隕石グッズ」を銀座のカフェに届ける約束。
午前中は焙煎をやって終わりなので、明日は、ちょっとむずかしい・・・

はやく「焙烙がほしい」と思ったら、金曜日いこうにしてください。
焙煎教室の再受講を希望の人は、10月第1週の木曜日の午後13時を予約してちょうだい。

というわけで、てんやわんやの日々になりそうな気配・・・ニューヨークでカフェを
やっている知り合いから「ちょっと興味がある」とメールがきた。
今回の「珪藻土焙烙焙煎器UFO」は、世界中の空を徘徊していくような気がする。ゆっくり温泉で入浴した後、
ニューヨークへいくかどうか考えてみよう。UFOにのれば、5秒くらいでいけるか?

珪藻土焙煎器 UFO

毎日、新しい焙烙(ほうろく)を使って焙煎している。珈琲豆を均等に焼くためには、
いわゆるメビウスみたいなイメージで焙烙をふる必要がある。
今回の焙烙は、珪藻土でつくっているので、輻射熱(ふくしゃねつ)がいい具合に作用して、
これまでの「生焼け」みたいな焙煎とは、似て非なる世界の豆ができる。
「昔の石焼芋」よ、美味かったね、アレ。チンするのと違うでしょ。

能登の縄文真脇遺跡の近所でとれる珪藻土を使っているのでそのまま「縄文」にしようか?
とか「UFO」(やきそばにそんな名前があるので、「焼き豆UHO」なんて名前にすると、すぐに各家庭に
飛んでいくかも・・・でも、久保さんが一個一個ていねいにつくるので、あまりでても大変だ・・・
なんて「とらたぬ」みたいな不埒なこと考えながら、珈琲道を徘徊する日々。でも名前も決まらないのに、
最初のロットは完売し、来月できてくる第二弾も、予約で完売まじかになった。「まじかよ~」
という感じ。しかも、もうすでに焙煎塾を卒業したような人たちが、「もう一度教えてチーパッパ・・」
というので、来月のカレンダーに「焙煎塾」という文字が増えてきた。
ほんとうは、そんな卒業生たちが、縁ある人たちに、優美に広げていってほしいものです。
「100匹目のいサル現象」のように、100人がこの焙煎器を使うようになったら、能登でも(能登が今でも一番多いけど・・)
佐渡島でも、沖縄でも使われると思う。

まだ内緒なんですが、「珈琲みるちゃん」なる新製品も来月あがってくる。なんかぼくも「ユーチューバー」
にたった気分?九州弁を磨いていくと、ジャパネット博多、くらいにはなるかもなんばん。
天真庵では、石臼で珈琲豆を粉にする。電気じかけのものと、異次元の粉ができる。
熱も静電気もおきへんし、簡単にいうと、こんにゃくを手でちぎって料理すると、煮含まれ感とか
触感がかわるでしょ。あれと同じこと。石臼を家庭で使うと、置き場所に困るやろうけん、簡単に
そげな風にできる「みるちゃん」を開発中。いつも青色吐息のわが社の株があがるかもなんばん?(上場しとらんばってん)

昨日は朝5時前におき、炭火を起こし、珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊き、残った炭火で
焙煎(こちらは、手回し焙煎機)し、残った火で、麦茶をわかし(久しぶりに夜の勉強会があった)、
ちょっと不思議おばちゃんが、卵かけごはんにきて、話があいすぎて、気が付けばお昼近くになり、
そのままろれんを下げ、6時まで営業。

6時からは、ちょっと異次元世界を逍遥する不思議先生の勉強会。
その先生のファンとか、これからに不安をかかえる女子たち、いつも泰然自若なお姉さま・・・
奇人変人倶楽部と、異名を持つ天真庵の同窓会みたいな夜だった。
能登で釣ったタコを冷凍にしていたので、それで「タコカレー」をつくった。
タコも宇宙人みたいだけど、それを食べている女子たちの顔を見ていたら同じ生き物に見えた(笑)。
今日は安倍さんの国葬。「まるで自民党の葬儀みたい」といった女性の小説家がいる。
言い得てて妙だ。でもそれ以上に、今の日本は妙か?

人生の最後の10年間を「林住期」というらしい。中国では聖人たちは、竹林で隠居する。
それまでの「しがらみ」とか「常識」とか、「習慣」とかを一度わすれ、Oから再出発して、最後の
十年を黄金期にする、そんなニュアンスだろうか。
いろいろな人たちの話をきくと、「地球の竹林期がきてるんじゃない」というような説も・・
どちらにしても、明日地球が終わりの日を迎えても、「今ここ」をしっかりとつかんで通っていかねばなりませぬ。感謝。

男の独居老人はもてる?みんなモテキが一度くらいやってくる。

ときどき(というかほぼ毎日)、近くの「お世話しあうハウス」のママさん(80歳)
が、そばを手繰り、珈琲を飲みにくる。

古い分譲マンションに住んでいて、まわりはほとんど女性の「おひとりさま」(平均年齢の差、生命力の差で、
最後は女性のおひとりさまが増える)
が住んでいる。ママは、朝起きると、みそ汁とごはんの一汁一菜をもって、近所の90を超え、痴呆
がすすむおばあちゃんのところへいって、ごはんを食べさせ、薬を飲ませて、自分の部屋にもどると、
いつものメンバー(みんなママより年上らしい)が「モーニング娘」よろしく、朝ごはんを所望する。
総入れ歯のモームスにかぎり「私はかたいごはんが好き」といい、まだ自前の歯の娘が「やわいほうが、よか」
とかいう傾向があるらしい。食後は、緑茶か紅茶か珈琲をいれるのがならわしらしいが、「エスプレッソの珈琲が好き」
というわがまわハイカラ娘のために、マシーンまで用意したらしい。すべて、ママさんの自腹で、朝ごはん代もタダ。
ただし、週に一度は、ママさんのために、ほかの人たちが、得意料理を披露する日があって、それで「原始的ぶつぶつ交換」
がなりたっているらしい。首相がいう「新しい資本主義」よりも現実味があり、毎日の生活の中からうまれた実践型で持続可能な資本主義だ。

先日お彼岸の日に、ママさんが「おはぎ」をいっぱいもってきてくれた。「こしはん派と、つぶあん派にわかれるので、いっぱいつくった」
とのこと。入れ歯のあるなし、とは別に、また違う「派」があるらしい。
昔から女子が好むもんに「いも くり なんきん」なんていう諺があったけど、今どきの女子はもっと複雑そうだ。

話の流れで、「みな痴呆がはいっているけど、男に対する興味は残っているのよ」と笑った。
水道工事とかで、若いおにいさんがきたりすると、髪をとかしたり、お化粧したり、普段は遠くなった耳が
聞こえるようになる・・・・らしい。シルバー川柳の材料がいっぱいだ。

「ついこないだも、近所にすむ男の独居老人の家が、解体されたのよ。そしたら、
みんな『え~ あのじいちゃん病院(施設)?』とか『家売ったの?』」いう話に尾ひれがついて、
「暑い中、死んで発見されず、フランケンシュタイン(腐乱死体)で発見された」みたいに大げさになった。」とのこと。
結局、近所の人に聞いてみたら、「借地権の関係で、家を売って、近くのマンションに越した」ということが判明したらしい。

ちょっと気になって、「もしも、それ、Mさんのこと?」と尋ねたら、「え~っ、マスターはMさん知ってるの」と返ってきた。
「彼はうちの常連さま(といっても、うちは一度きたらみな常連さま)。毎日、隕石のカップで日本酒5合が晩酌の
酒豪ですよ」と教えてあげた。能登ジェラトンの初期のコップを買われた。
「ときどき、散歩しているけど、髪はボサボサで、猫背で、とぼとぼ歩いているよ」とのこと。
確かに、そんな風体でお店の前も通る。でも、しっかりモテキを迎えている。モームスたちには、気になる存在で生きたり、死んだりしている。
ママさんには言わなかったけど、そのMさんという独居老人は、ぼくと同じ昭和31年生まれ(笑えない)

同年配の人にこんな傑作川柳が・・・

マイナンバー ナンマイダーと 聴き違え(山梨県、67歳、男性)

明日の朝は「卵かけごはん」だ。

♪長崎から船にのって神戸についた!

そんな歌があった。森進一?五木ひろし?
昨日、長崎から佐賀の武雄温泉まで新幹線が開通した。
5月に里帰りの足を延ばして長崎にいった。11月も小浜温泉でそば会をやる予定でいる。
40年くらい九州までは車でいくのが、ならわしになった。
最近は、能登経由でいくので、大阪から門司まではフェリーを
使ったりする。ゆっくり、という今どき風の時間の使いかたとしては、
「船の旅」は、いい。夕暮れどき、沈む夕陽を眺めながら酒を飲むなんて至福の極みだ。

最初に長崎にいったのは、浪人時代の昭和50年。小倉の予備校で勉強の後、飲んで
(福岡はだいたいの人が中学校くらいから酒を飲んでいた)、最終列車長崎行きにのって朝起きたら
長崎やった。「いった」というより、「もってかれた」みたいな感じ。
高校卒業の年だし、シクラメンの香りが流行した年だし、
新幹線が博多にきた年なのでよく覚えている。その年にできた博多の地下街は「デイトス」とかいう、横滑りしそうな名前がついちょった。
「みんながここでデートしてほしか」という意味げな。博多商人のあきんど根性がよくでてる名前ばい、と思った。
あれから半世紀たって、長崎に(まだ博多から長崎は通じてない・・あまり意味ない?)新幹線。
長崎は、場所場所で風俗や景色やひと柄も違うので、できたら、1週間から10日かけて、五島列島あたりまで足を
延ばしながら旅するのが一番だと思う。最後は、南島原から船で天草まで渡り、くまもん文化と混じりあう風土の風も
感じてほしか・・欲張りか?

めちゃくちゃな浪人生活やったけど、翌年無事に第一志望の立命館に受かり、小倉駅のホームの
立ち食いうどんを食べて、新しくできた新幹線で京都にいった。
そんなこともあって、九州にかえる時は、車がほとんどだけど、小倉駅で「うどん」を食べないと、なにか大事な忘れ物を
したような気分になる。

昨日のセレモニーは、長崎出身のタレントさん長濱ねるさんが一日駅長になった、とニュースが伝えた。
昭和50年の開通した時は「デイトス」の特設会場のステージで今陽子さんが歌をうたっていた。
♪わーすれられないの・・・ピンキーとキラーズで一世を風靡した後ソロで活動し始めたころ。
2000年の前後に、よくニューヨークにいってたころ、陶芸コンテストのボランティア活動の中に、彼女がいた。
「ぼくがはじめてあった芸能人はあなたですバイ」といったら、大笑いされた。ある日、彼女のジャズをあちらのライブハウスで聴いた。
歌謡曲よりジャズのほうが、「♪忘れられないの」、くらい感動したことを今でも覚えている。感謝。

UFOが栗積んでやってきた。

先週不思議な夢を見た。能登の真脇(まわき)遺跡の縄文建築みたいな質素な空間で、
焙烙(ほうろく)で珈琲豆を焙煎した後、小さな鉢にいれ、すりこぎで
それを粉にした後、縄文土器の中にいれ、お湯を注いで縄文的な珈琲なるものを
淹れている。
今日の秋分の日を境に、いっぱんの人も「ちゃねる」ことが、身近になってくるらしい。
この夢もいっしゅの「ちゃねる?」と思って、久保さんに電話して
「縄文時代の珈琲ミル、を、つくってみませんか?」と言ったら、「同じこと考えていた。すぐつってみよう」
とのこと。来月あたり、長い悠久の時空をこえて、縄文時代からやってきそうだ。
その遺跡の近くの珪藻土をつかって、焙烙とみるが完成したら、それを縄文ドリポットで
淹れると、「縄文珈琲」ができあがる。ひょっとしたら、「宇宙一のバリスタになれる?」

確か、天真庵のHPの「のむら暮らし」の中に、縄文真脇遺跡の中の縄文家の中で三輪福さんと
お茶のお稽古をしている写真がある。縄文真脇遺跡の家つくりを手伝っているのもあるはず。
今は、テレビにでたり、本になった「縄文大工の雨宮さん」の写真ものってる(笑)。
縄文人は、米つくりをしていないので、狩猟が中心で、一か所に定住せず、あちこちを移りすみながら
生き暮らしていた、というのが定説。でもここは、何千年もの間定住していた、というのが最近判明した。

ひとつは、「春、藤の花が咲くころ、能登の沖合に対馬海流にのってイルカがやってくる」という花時計を
縄文人がもっていた。そしてふたつめが、それを集落の長が、切り分け、冷蔵庫がない時代なので、それを発酵させた魚醤
(イシル)につけて保存した。今でも能登では、場所場所で「イカ」や「いわし」や「めぎす」などでイシルをつくり、
保存と料理に大活躍させている。

そんなことを考えながら、美人の珈琲のお弟子様にいただいた「さばのヘシコ」を酒肴に、遺跡近くにある数馬酒造の「竹葉」を飲みながら
逍遥していた。ヘシコとは、さばやいわし、ふぐ(輪島がフグの漁獲高全国一)などを、塩漬けにした後、ヌカ漬けにした
発酵食品。能登では「こんか漬け」という。金沢から福井、島根あたりまではヘシコという。
東京や大阪など、食通があまたいそうなところでもヘシコを知っている人は、少ない。京都は、福井からの鯖街道を通じて
伝わったので、京女に「ヘシコ、おいしおすえ」なんていわれると、ついデレーとした顔で、「それお願い」ということになり、人気の酒肴である。
簡単にいえば「魚の漬けもの」やね。最近はバルサミコ酢とかオリーブオイルを使って、ヘシコと混ぜあわせ、能登ワインのアテ
にするようなこじゃれたお店も能登にあったりする。縄文時代からの「かもし」が、今も残っているのだ。

昨日は、能登の家の隣のおばちゃんが、栗をおくってきてくれた。手書きで「台風がくる前に、うちの畑に落ちた栗(ぼくの家の栗の木)
を拾い、東京におくりました」とのこと。ちょうど、銀座の隕石カフェに珈琲豆を発送用意していたので、
「能登からUFOにのって、栗がきたけん、おすそわけ。リスやないけん、そのまま食べたらあかんばい。栗ごはんにしてね」
と王子にメールした。間髪をおかずに返事。「朝からクリとりす、の話ありがとうございます。蕎麦の薬味は、昔からちょっとエロが
きいてますね」

銀座の松屋の裏手、珈琲の名店が立ち並ぶ場所で、「隕石カフェ」(正式名称は、スタバに対抗しているような名前?)は
がんばっておられる。こんど縄文式珈琲の焙煎と、縄文みるをもって、伝授しにいこうと思う。
雨宮さんと王子・・・・なんとなく、雰囲気に共通するものがある!

「ぼくは縄文大工 石斧でつくる丸木舟と小屋 」(平凡社新書・雨宮国広 (著))
これからの新しい時代を生き抜くヒントがいっぱいつまっています!おすすめ!

UFOのお米

能登の羽咋(はくい)というところは、UFOと自然農の米をローマ法王に献上して、
町おこしに成功した。そのおかげで、神子原(みこはら)という神がかった名前の
ところにある「直売所」には、朝から富山や金沢ナンバーの車がとまり、帰りには
「コスモアイル羽咋」まで足を延ばす人があまたいる。
ぼくも、東京から能登へいく途中、その神子原村の直売所で、野菜などを調達したり、
近所のおばあちゃんたちがつくったお惣菜などを仕入れて、ついた日の晩酌のつまみにしたりするのが
ならわしになった。まじめな人たちが、まじめに生活しているところ。

昨日は「卵かけごはん」だった。こちらもUFOの米を使って、能登珪藻土の竈で5合半炊いた。
台風だし、「あまるかな?」と思ったけど、6合炊きの羽釜で炊くには、5合半くらいが一番うまいし、
「ままよ」で、炊いたけど、ちょうど卵かけごはんの時だけ、雨もあがり、ぜんぶ売り切れになった。
UFOというのは、能登米ではなく、10数年前に墨田区から熊本に移住した「ゆーほ君」が無農薬で
まじめにつくっているお米。ブンカンの夜の店長してたくんだ。それを玄米のままおくってもらって、精米して昨日はじめて食べた。
ふだんは「ごはん半分」のお客さまが「今日は旗日なので、普通に一杯」と注文され、あっという間に
完食して「おかわり」をした。

ちなみに、ブンカンの昼の店長だったなつきくんは、南島原に移住して「くちのつ巷珈琲焙煎所」をやっている。
5月に遊びにいった。天真庵に味噌つくりにきていた人が、もうひとり移住し、島原の小浜温泉の高台に日本料理屋を
つくった。「小浜温泉 彩雲」で検索したらでてくる。神楽坂で長年腕をふるってきた料理と、長崎の魚、野菜、
青一髪(頼山陽が、長崎の海を見たとき書いた詩のまま、水平線が青い一本の髪のような景色)が一体となり、
「この世にいるとは思えない気分」が味わえる。

何年か前から、「ごはんよりパン」の家庭が増え、お米の需要が減り、値段も安くなり、農家さんたちは、
タツキ(生計)に困っている。これからますます高齢化がすすみ、お米をつくる人が減るいっぽうだ。
アメリカばりの大型の農法で、品種改良や除草剤、農薬たっぷりのお米が一般化したのも、影響があると思う。
3年前から、能登の棚田を開墾して、お米をつくりはじめた。一年目は、秋の収穫前にイノシシに食べられ、
昨年は、まあまあ思ったとおりに実りの秋を迎えた。今年は「3年目の正直」になる予定だったが、また
イノシシ軍団に半分近く先回りされた。
「ごはんを食べていく」ことの大変さを身に染みて感じている。
少し高価だけど、神子原村のお米とか、まじめに無農薬でつくっている農家さんたちがつくるお米を食べてほしい。
珈琲以上に「違いがわかる」と思う。

今朝の朝日新聞の特集は「地球温暖化」で、わたくしたちの朝食が激変する、というのがでていた。
高度成長やバブルを経験し、世界中から「円」で買っていた食べ物。戦争モードになり、円の価値が下がり、
温暖化などで、魚や穀物のありようが激変している。このままだとこの星の人たちが食べれなくなる、という
日の足音が近づいているのだ。
「コンビニがあるから、大丈夫・・・ボリボリ」なんていってる場合ではなのよ、ほんなこつ。

月曜の朝は卵かけごはん!

大きな台風が接近しているようで、東京も朝から曇り空。
いつも珈琲豆を買いにくる青年も「雨になりそうなので、時間外で
すいませんが、豆ください」とやってきた。
長崎生まれらしい。「親和銀行知っとーや?」
とつい九州弁になり、白井晟一という建築家の設計で、ここの柱時計が彼が生前愛用した
もので・・・とか、つい朝から長話になった。

能登の梅茶翁から、そば粉の注文もきて、朝からバタバタしている。
これまでは、珈琲豆も注文を受けていたけど、今月のはじめ、新作の「能登の珪藻土焙煎器」
で、焙煎の仕方を伝授してきたので、そちらは「生まめ」をおくればいいことになった。
「珈琲もそばも、一粒一粒の命がつながっているようで、すばらしい」と、メールに書いてある。
小さな一粒一粒の命を、目に見えない土の中の微生物たちの一粒一粒が、ささえあって生きている。
まさに「粒々皆辛苦の物語」だ。

明日の朝は「卵かけごはん」。旗日だろうが、旗がたなびくくらい風がふこうが、雨天決行。
鹿児島と熊本の境に移住した「ゆーほ」が無農薬でつくったお米を炊く予定。
今回も直撃になりそうな地区なので、心配している。
日本人はやっぱり、お米を食べようね。味噌汁と一汁一菜の暮らしが最高。

今日も16時まで営業。

ダッチ珈琲を霊水でつくる!

昨日、仕込みが終わり、錦糸町のブックオフで、10冊くらい本を買い、
リュックに入れて歩いていたら、くたびれて、錦糸公園のベンチで休憩しながら「白洲正子さんの本」を
読んでいたら、あたりが暗くなった。若いころの坂田さんの写真もあった。
目白の有名な骨董屋の主人。目白にあったヨネクラボクシングジムに通っていたころ、よく遊びにいった。
店主の坂田さんに「最近、美味いそばやができた」と紹介され、いったお店で使っていた「そば粉」を
今でも使っている。千葉の酒々井産のそば。「今はもう秋」の気配。もうすぐ新そばの季節だ。

急ぎ足でもどり、モカ・イルガチェフ(ゴルバチェフさんは、こないだ亡くなった)を、珪藻土の焙烙(ほうろく)
に60g入れ、ちょっと深めに焙煎。できあがりが48g。単品の豆を最近は「シングルオリジン」って
いうんだって・・・弁当やみたいね。サウナみたいに水分がとぶので、少し減量。
午前中に、珪藻土の七輪で焙煎してブレンドした「ホボブラジル」を足して90g。
それを、サイフォン用くらいに細かくミルでひいて、水出し珈琲用の筒に、サイフォンの丸いフィルターを
セットしたものに入れ、能登の霊水を700CCほどをセットし、ポタポタと落とす。その一滴の丸い液体が
数時間後に、ガラスの器に落ちてくる。その器は、安土忠久さんという、白洲正子さんも愛用していたガラス作家の酒器。
安土さんも、今はなき目白の「千草画廊」というところであって依頼の交友。高山にアトリエがあって、
「能登の行きかえりの中、ぜひお立ち寄りください」と催促のようなハガキが毎年届くけど、実現できていない。

今朝、5時に起きて、そば打ちの前に、できあがった「水出し珈琲」を飲んだ。
筆舌が遠く及ばないくらいに、美味い、と自画自賛。
一昨年、その水だし珈琲のコックのところがこわれて、近くのガラス職人に、つくってもろうた。
その時、その職人の仕事仲間のじいちゃんが、コックのガラスを磨いて仕上げをしてくれた。
「すりし」という職業らしい。この界隈は、花王、鐘紡などの発祥地が近く、高度成長とともに、
女性の化粧品が高級化して、そのためにその瓶をつくる職人さんたちの需要も増え・・・という
好循環で、ガラス職人があまたいる(いた?)町でもある。化粧品もあれこれ試して、「けっきょくは、
何もつけないおしりが一番きれい」だと悟った町でもある(笑)
昔の水出し珈琲の器具も、この町でつくっていたのだ。どの町にいても、買い物をネットでやるような時代になり、そんな風俗も
消え行く運命にある。

今日・明日は「12時~16時営業」
月曜は旗日だけど、「卵かけごはん」です。能登珪藻土の竈(かまど)で炊くごはん。新米が楽しみ!感謝。

霊感商法ではない「能登の霊水」

「東京へでかせぎにいこう物語」、の初日みたいな朝。
近くの海が凪いでいたので、竿もって徒歩3分の海にいき、
タコヤンをずるびきしていたら、小さなタコが釣れた。
「ぼくを東京に連れてって」という小さな声が聞こえた。
いわしを手で捌くように、内臓をその場でとり、海水で洗ってビニール袋へ
いれてクーラーの中にいれ、ほかの荷物(冷蔵庫は空にして、ブレーカーもきる)を
車に積ん出発。

七尾の中島に「藤瀬霊水公園」がある。いつも東京へ60Lちょいほど汲んでいく。
500円を公園入口のおじさんに渡し、台車を借りて、水のタンク6個と、ペットボトル(2リットル)を6本。
高騰したガソリンの燃費も下がるのが心配なくらい重い。これから冬は、冬タイヤにしても、あやうい時もある。
いつもは、地元のじいちゃんたちが軽トラで汲みにきている。
昨日は品川ナンバーの大きな車で、若い人5人くらいが、先に汲んでいた。
「今、演劇やっているスタッフ」だという。能登の中島に「能登演劇堂」があり、そこで89歳になる仲代達也さん
の「いのちぼうにふろう物語」が、今月5日から始まった。その関係者だ。
演劇に命をかけた人生。どうか千秋楽までご無事で・・・と霊水がでる蛇口の竜に一礼しながら、タンクに水をいれた。

いつもは、そこから、ひょっこりひょうたん島のモデルになった能登島にいき、「水」という食堂で朝ごはんを食べ、
橋を渡って和倉温泉の「総湯」に入るが、おきまりコース。水を汲み終え、そこの直売所でナスとキュウリを買った瞬間に
、「能登の家にぬか床を忘れた」ことに気づき、家までもどった。片道40分のロス。
しかたなく、近くの「ますほの湯」(天然温泉)で、260円のチケットだして(65歳以上は、半額の260円)、
その足で氷見の「すしのや」までいき、アオリイカやほたるいか、がすえび・・などを軽くにぎってもらって、
高速道路で東京に向かった。

今朝は6時に起き、香取さまにお詣りして、一時間ほど徘徊散歩。
かえってきて、昨日のタコを「タコ飯」にする。
3合のごはんに同量の霊水、タコを塩で洗い、刻み、醤油と酒(ぼくはそばの甘しょうゆのカエシ)で電気釜のスイッチオン。
市販の「ゆでたこ」と違い、火を通してないタコでタコ飯をつくると「え、タコは宇宙人?」と思うような、次元の違うタコ飯ができる。
ぼくらは秋の能登では、毎日のように、タコやアオリイカを食べているので、このタコ飯は、近所で留守中に、お店のプランターや植物の
水やりをしてくれる人、掃除そしてくれる人、郵便物を預かってくれる人たちのお礼。
さきほど、できあがったごはんを杓文字でまぜながら試食をしたら、うますぎて、つい一合くらいぬすみぐいしたくなる衝動にかられた(笑)。

今日は、朝から焙煎をはじめ、そばの出汁をつくったり、いろいろやることが多い。
こんな繰り返しの中で、あっという間に、人生が終わってしまうのかもしれない。
でもその「毎日毎日」の繰り返しの刹那の中に、人生の妙味がつまっているのだ。
みんな振り返ると「何してきたんだろ」とか「いのちぼうにふろう・・みたいな人生や」なんて思うかもしれないけど、
「それでいいのだ」とも思う。少し秋めいてきた東京の片隅で、そんなこと考えながら、汲んできた霊水で
ほぼブラジルを飲みながら、PCのキーボードをたたいている。
今日は、「元気」の13回忌。あとで彼の大好きだったササミをゆでて、写真にお供えし、「ま・か・はんにゃ・はらみた」
を唱える予定。山田くんがTQ処理して、元気の足跡に波動転写してくれた御かげで、元気は今でも「元気シール」になって、いろんなところで、冷蔵庫、スマホ、水道管、車(貼る場所によっては、燃費がかわる?)、などに貼られ、農業用水なんかにも、TQが
使われはじめている。たぶん、ぼくたちがこの星をでた後も、きっとどこかで生きているのだと思う。ちっぽけな命も、無駄な
ものはひとつもないのであ~る。