世間は夏休みに入り、少し高速道路は混雑していたけど、
無事に東京についた。「明日をも知れない」ような世情が混とんとし、
明るい話題の少ない昨今だけど、なにはともあれ、おまんまが食え、
雨露をしのげるとこで眠ることができるだけで幸せだ。
今年も無事に田植えをした。今は鬼籍に入られが、美濃の有名な陶芸家のAさん
が新宿伊勢丹で個展をやった時、お邪魔したことがある。友達が美濃で陶芸をやっているので、A翁のアトリエに
いったのが始まり。いきなり「ずぼんを脱いで!」といわれ、いわれた通りにぬいで、作業着に着替え、
そこで轆轤(ろくろ)を教えてもらった。その後、仕事場に常設してある「おすだけ」というポットから自作のお茶碗に
お湯を継ぎ、泥のついたままの手でお抹茶を淹れてくれた。いまでも忘れられない一碗だ。天衣無縫な陶芸家やった。
彼は染付が得意で、晩年は息子さんたちが土をこねて、そこに絵を描いた。
鳥獣戯画や寒山拾得、草木や禅語などを好んで揮毫した。
昔から「寿」という漢字(中国では象形文字やトンパ文字、いろんな寿がある)
伊勢丹で蕎麦ちょこと水差しなどを購入させてもろうて、「寿」について話をしていると、
当時すでに米寿を超えた翁が
「寿(ことぶき)という字は、田んぼで男が裸で作業をし、チンポがたっている姿が、はじまりじゃ」といった。
お茶をもってきてくれた伊勢丹の美術部の女の子が、くすっと笑った。
能の三番叟(さんばそう)も、五穀豊穣を祝っている。昔から地方に伝わる「田植え唄」や、放生会(ほうじょうえ)
などのお祭りに使われる童人形などにも、子供にしては大きすぎるチンポがついたものが各地の神社などに
残っている。白洲正子さんの本などを読むと、そんな記述がでてくる。もちろん、彼女は「チンポ」ではなく、
「男の子の持ち物」と書いとうばい。
別に朝からチンポの話がしたいわけではない。
日本人というのは、昔から瑞穂(みずほ)の国といわれた水と空気がきれいな、山紫水明の土地で、田んぼや畑を耕し、
五穀豊穣と子孫繁栄を祈りながら、自然に寄り添いながら生きてきたきた、という民族である。
稲作ができる前の縄文時代は、男たちが狩りをし、女たちはその無事を祈りながら縄文土器という祭器をつくり
巫女のように神に祈った。
物価高騰や食糧危機が、毎日ニュースにあがるようになってきた。
言葉は乱暴だけど、「昔の生活にもどせば、大丈夫じゃないか」と、心底思っている。
昨日は、10日ぶりに、東京にもどってきて、浅草・合羽橋・錦糸町界隈の下町を徘徊散歩しながら、そんなことを思った。
かえってきたら、携帯の万歩計が3万ちょっと。奇しくも昨日の都内の感染者と同じくらいやった。
途中、豆源郷で木綿豆腐とおからとうすあげを買って、主人と談論風発。彼の豆腐は、能登のにがりを
使っている。「能登まで車でいくと6時間くらいかかりますよね」と聞くので、「法定どうりで走ると
8時間はかかるばい。自分は元暴走族やけん、そのくらいでいけるやろうけど・・」というと、頭をかきながら苦笑していた。
少しやんちゃだけど、彼がつくる豆腐は日本一だと思う。少し贅沢やけど、ボールに能登から汲んできた霊水をいれ、
そこに木綿豆腐を30分くらい泳がす。すると、にがりのクセみたいなもんがさっぱり洗い落ち、能登の塩をぱらっと
かけただけで、酒がグビグビ音をたてながら嚥下していく。
ごはんと味噌汁にお漬物。夜は豆腐で一献。田んぼでチンポの元気はなくても、プランターで夏野菜を育て、
徒歩何丁かの豆腐屋まで散歩し、みそ汁の実、冷奴、うまいおあげは、油ぬきせず、あぶってネギをきざみ、
醤油をぱらっとかけるだけで、上等なつまみになる。大きな声ではいえないけど、ミシラヌ国のタイヤメーカーが
つけたきらびやかな星がついたお店も、豆源郷の豆腐をかなり使っている。お店で食べたらウン万円。家で食べたら、
ワンコイン以下ばい。自給率やエンゲル係数というのは、ちょっとした努力で下げられるじゃなかろうか。
そうすれば本来の「ゆたかな生活」が、もどってくると思うけんど・・・いろいろみなおし、たてなおしの時。
今日、明日は「12時-16時」の営業。その後は、そば打ちや珈琲塾。
「自分でそばを打つ」と、料理の幅がでてくるし。「かえし」(あわせ醤油)などできるようになると、
無限に広がるし、田舎くらしをしても、原始的ぶつぶつ交換の「タネ」ができる。
自分で珈琲豆が焙煎できるようになると、「毎日おいしい珈琲時間がもてる」。
焙煎機を買うまでは、「ほうろく」で焙煎すればいい。天真庵の焙煎の基本は「ほうろく」だ。