ジュリーが精進料理?

無人島にいくとしたら、もっていきたい一冊に「歎異抄」
という、そんな広告コピーがあった。
田舎暮らしをする人の一冊をあげるとしたら、「土を喰らう日々」ではなかろうか?

ネットで検索すると、

土を喰ふ日々 わが精進十二ヶ月』、『土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-』(つちをくらうひび わがしょうじんじゅうにかげつ)は、作家である水上勉によるエッセイ。婦人雑誌『ミセス』(文化出版局)1978年1月号から12月号まで連載 され、同年12月7日に刊行された。のちに1982年8月27日に新潮社から文庫化された。 

とある。単行本ももっているけど、その新潮社の文庫本は、たぶん10冊以上買って、数えきれないくらい読み返した。
そして、縁ある人にさしあげた。
著者が福井から京都の妙心寺にいって、精進料理を学ぶ話や、寺を抜け出す話、典座の話、晩年軽井沢に住んで晴耕雨読を
する物語などが、つくりものではない、ホンモノの精進な生き方が綴られていて、今の時代のバイブルみたいな一冊だ。

こないだ氷見の本屋で、ひさしぶりに見つけ、買った。筆子さんが「え、また『土を・・』買うの?」とあきれていた。
その本の帯には、ジュリーの写真がのっていて、思わず樹木希林さんの♪ジュリー・・・よろしくジャケ買いみたいな感じ
。今年の11月に映画化され、ジュリーが主役に抜擢されたらしい。
81年に映画化された「魔界転生」で天草四郎を演じたものは見ていないけど、この秋の映画は見にいきたいと思う。

明日から8月。今日は危険な暑さになると、7時のラジオが叫んでいた。
異常気象で、作物のできが悪い。加えて戦争で、世界中の食糧危機がささやかれている。
これから将来は、年金暮らしが、隠居生活と同じく、死語になるかもなんばん。
明日をも知れない、くらい不安定な時代。死後に天国の土を耕す、もいいけど、生きて
いるうちに「土を喰らう日々」を、楽しく迎えられるひとがひとりでも増えれば、まだまだこの日本も
「不耕」から脱出できるのではないかしらん。

明日の朝は「卵かけごはん」  夏休みなので子供といっしょに「食育」をかねて、竈炊きのごはんを
食べにくる人が何組もいる。とても良いことやと思う。
マンション暮らしでも、「ベランダで竈炊きでごはん」が、始まると、イザの時にも役に立つし、いいけどね・・
政府もへんなもんに金をばらまくのをやめて、「ベランダで竈炊きごはんに助成金」でもだしたらどう?
よっぽど世界に向けて、平和な家庭のあり方をアピールできるんとちゃうかな。オカルト壷売りの片棒をかつぐより、
竈(かまど)の普及のほうがましやと思うけどな~。自民党改め「世界平和統一家庭連合党」にしたらいいかもなんばん。

鹿児島のよかにせどん(いい男?)・・・

同級生で、長いことうちの保険を担当している友達が、保険の更新にやってきた。
会社と能登の家の火災保険と、車の保険、ぼくと筆子さんの終身保険などをやってくれる。
3年くらい前に、帰省の途中に、車が故障した。その時のレンタカーや、車の運搬やら、
もろもろの手続きをみごとにやってくれた。まさに「転ばぬ先の杖」だ。

以前日本が景気のいいころの保険は、今よりも返戻金とか、分割払いを一括にした場合の「値引き」
などが、だんぜんよかった。もちろん「どうもと」が儲かるしくみにかわりないけど、ぜんぜん違った。
そんな保険はそのまま残して、どうでもいいようなものを、8年前くらいに断捨離した。
また今回は65歳で、ちょうど「おしまい」になる保険などがあって、どう更新するか?の相談。

その保険をやってくれてる友達は、このコロナ禍で少し肥えた。お金でなく体重。
「運動してるの?」と聞くと、「ときどきゴルフ」と返事が返ってきた。所作を見て
「血圧高くなったんじゃない?」と聞くと、「よくわかるね」とびっくりされた。
「喫茶店のマスターみたいなことしてると、久しぶりにきたひとのことの状態が一瞬でわかるようになるのよ」
と言うと、笑っていた。そして、反対に「そちらは反対に元気そうね。80歳くらいまでの掛け捨ての保険を
すすめようと思ったんだが、90歳くらいまでかける?」といわれた。

それを聞いていた筆子さんが、「その時、私は83歳・・・・生きているかどうかわからないし、その時に
お金が入っても使い道がないので、80まででいいです」とキッパリ。鶴の一声?
地獄にいくのか天国にいくのか知らないが「地獄の沙汰も金しだい」みたいな、遠い約束事みたいな話。
でもあっという間に、10年20年・・光陰矢のごとし、歳月人を待たず、だ。

ちょうどその時、40代の独身で自営の常連さまがカウンターに座った。
彼ら世代は、バブルの経験もなく、将来「年金」をあてにしていない世代。
ぼくらの生きた時代よりも、不安定で勝手が違う世の中を生きているのだけど、「保険」というリスクヘッジを
あまり真剣に考えていないような気がした。ユトリもない世代かもしれないけど・・
ワクチンを打ったら安心か?と問われると「?」な感じの時代やし、保険に入っていたら安心?と問われて、
「YES」とは言えない気もするけど、どちらにしても、生きていくのは容易じゃないと思う。頑張ろう。

契約が終わって、「酒ください」になった。いつも契約がおわると、日本酒を4合ほど飲む。
「奥能登」を一合飲んだ後、「宗玄」を二合飲むペースが、いつもより遅い。本人も「弱くなったのかな?」
と頭をかしげながら、久保さんの織部の六角の盃を傾ける。やっと3合目の徳利が空くと、「やっぱりもう一本」
ときた。酒量と健康は、正比例するとは限らないが、若いころから酒席をともにした仲間とは、どうも
「競い合う男気?」みたいなものがでることが多い。学生飲みの卒業証書をもらっていない。

その時、近所の「押上文庫」の文庫くんが珈琲を飲みにきた。彼は音大の「日本酒学科?」を首席、いや酒席で
卒業して、近所で居酒屋をやっている。
「宗玄」のラベルを見て、「よくそんな強い酒を、グビグビ飲めますね」といってニヤニヤしている。
お互いに遠くなった目で、宗玄のラベルを読むと、「原酒で20度」と書いてあった。
「外の気温は35度。20度くらいの酒を飲まないと、やっとらねんバイ」といって、笑いながら帰っていった。
彼の両親は鹿児島出身。どこか豪放磊落な県民性をDNAの中に兼ね備えたような「よかにせどん」
である。

はめまら

寄る年波で、そんな順番、というか、それらがみなアガっていく。
歯・目・マラ。

水曜日は、もと住んでいた板橋の歯医者にいく。
月に一度、歯の掃除。そこから押上に天真庵を結んで15年以上に
なったけど、歯医者で歯の掃除以外は病院にお世話になったことがない。
「無事これ名馬」だ。

違う意味のアガっていく話。
最近、その界隈の築19年のマンションを切り上げで億ションみたいな金額で、
知り合いが買った。2LDKらしい。今、都内の新築のマンションの平均価格が6600万。
それを、平均30年のローンを組んで購入するらしい。こんな混とんとした世の中で、「30年先」まで
借金を返す、というのは、たぐいまれな博打のような気がするけど・・

板橋界隈で15年住んだ。そのころはIT企業と、ギャラリーを経営していた。
家賃が50万。でもその前に池袋に事務所を借りていた家賃が40万くらいだった。
駐車料が5万。家のマンションが20万やった。だから50万で、「田舎屋敷」みたいな一軒家を
50万で借りる、というのはカクヤスで酒を買うより、格安だった。

バブルがはじけ、その豪邸の主人(上場会社の社長やった)がその家を担保に多額(3億)の借金をしていた。
そこで裁判所で裁判(みせかけ・・そのころは、いろいろ手をかえ品をかえ、不思議なことがいっぱいあった)をし、
「ぼくの会社が、その賃貸物件を借りていて、大家さんが立ち退きをせまっているのだが、頑固で立ち退かない」
みたいな設定になっていて、その結果、借主のぼくが、毎月50万を罰金として、支払う・・・ざっといえば
そんな筋書きだった。「即決和解」とかいうらしい。不良債権を金融資産にする今日日の「技」からすれば、
子供のおもちゃみたいなものか?

そんなわけで、ときどき裁判所に弁護士と一緒に出向いた。ちょうどそのころ、同じ裁判所で「オーム真理教」
の裁判がおこなわれていた。ぼくの会社が「アーム」(今も続いている)なので、いろいろややこしい
ことがあった。

今話題になっている「統一教会」とも、いろいろ不思議な接点があった。ぼくがその当時
「二十一世紀情報産業ネットワーク協同組合」という通産省認可の業界団体の理事長をやっていた。
多いときは130社くらいのIT企業が参加していた。仕事がら、いろんな会社を訪問する。
その当時の会社で、その「統一教会」に関係したところは、受付とかに教祖の文鮮明さんの写真を飾って
いたところが、あった。そんな会社には、優秀な社員兼信者がいて、普通のIT企業では
発想もできないことをやっていた。彼ら(宗教団体)は、優秀な大学の人たちを、「原・・」とか
「宗・・」とか・・・そんな不思議サークルに忍び込んで、青田刈りをしているのね、昔っから。
だから、二世三世のぼっちゃんじょうちゃんしかいない永田町は、いいカモが昼寝しているように見えるわね、きっと。
のちに、霊感商法や合同結婚式で、マスコミや世間が騒ぎ始めて、そんな宗教色は消え、その教団も
消えていたのだと、つい最近、安倍さんが暗殺されるまでは、そう思っていた。「世界平和統一家庭連合」になっていたんだ。

殺すほうも、殺されるほうも、「さみしい時代」を反映しているね。
池袋で無差別殺人をした39歳の青年も、そんな時代の象徴みたいなところがあってか、先日死刑が執行された。
そんな危うげで、だれもが明日をも知れぬ不安な気持ちで、生き暮らしている。
昨日は、いつものように、炭火で焙煎をした後、徘徊散歩。スカイツリーの中の本屋で、本を5冊買って、
外にでたあたりで、お茶の美人のお弟子さまからショートメール。
「昨日、紹介された豆源郷で、豆腐、揚げ、湯葉に豆乳まで買って、ビールでひとり飲みしました。どれも
味が自然で美味しく、幸せな時間を過ごすことができました。感謝。」
ささやかだけど、仕事を終え、豆腐でビール。「いつの時代もホンモノはみな簡素」。

スカイツリーの中のお店でも、近所のスーパーでも、どこでも豆腐を売っている。
うちも、左斜め前のアコレ、右のコンビニでも買える。
でも、暑くても、石原町の豆源郷まで歩いて買いにいく。
というわけで、スカイツリーをでて、浅草通をまっつぐ浅草方面に歩き、三つ目通りの一本先の
区役所通りを左折して、徒歩20分?の「豆源郷」に豆腐を買いにいった。
そこの豆腐は能登の「にがり」を使っている。持参のクーラーバックには、能登の珪藻土七輪で焙煎したばかりのホボブラジルを
アイス珈琲にして、土産にした。お互いに歳のわりには元気なのだが、重い「能登病」び罹病しているかもなんばん。

ほうろくで焙煎して、もうろくを防止

昨日は月曜日。
「月曜の朝は卵かけごはん」。TKGは、世界に誇る日本の朝ごはんの王様。
「炭おこし」に、能登の大野さんの炭をいれ、そば用の大きなガスコンロの上で、炭をおこす。
それを能登珪藻土の竈(かまど)に入れ、6合用の羽釜(はがま)に、5合の米を研ぎ、同量の
水(能登の霊水)を入れ、うめ星(隕石粉入りセラミック・能登ジェラトン)を一個と、
大谷塩(揚げ浜式)をパラリとひとつまみ入れる。羽釜の蓋(木)をおもしにのせる。

「はじめちょろちょろなかぱっぱ おせんないてもふたとるな」の要領で、10分ほどすると、蓋の間から
お米が炊ける湯気があがってくる。そこで10秒くらい、「ふたとるな」の掟(おきて)をやぶり、
杓文字(しゃもじ)で、中のお米をまぜ、また蓋をする。次に、竈から炭を半分とって、もうひとつの
珪藻土七輪にいれる。湯気の匂いをかきながら、中の水分がなくなり、「そろそろお焦げができるぞ」
という声が聞こえる瞬間に、羽釜を縄の鍋敷きの上におく。
残った炭火ももうひとつの七輪に入れ、その上に、手回し焙煎機をのせ、珈琲の生豆を適宜いれる。
なんやかんやで、焙煎準備の10分くらいが、ごはんの蒸らし時間。寿司会の時は、ごはんを秋田杉の御櫃(おひつ)
に入れるのだが、卵かけごはんは、あつあつがいいので、電気釜に入れ「保温」のスイッチをポチ。

それから、珈琲の焙煎。最近焙煎教室に入門してくる人がぽちぽち増えてきた。
会社を辞めて、「なにか手に職を」というひと。そろそろ定年で「老後の楽しみ」とか、いずれ「カフェ」を・・・ひとそれぞれ。
最初は、煎茶の番茶やゴマ煎りに使う「ほうろく」でやってもらう。
この儀式を通過しないと、ロースター(焙煎人)にはなれない。五感を研ぎ澄まし、珈琲豆とじょうずに戯れるようになって、
はじめて一人前の焙煎人になれる。そして、毎日珈琲豆を煎り、珈琲を淹れ、2000回(3年くらい?)たつと、
「自分の珈琲」らしきものが、わかってくる。そんなところか?ただし、そばと寿司とか「かたち」にならないものだから、
「これがおれの珈琲だ」と、ジコマのセンズリ状態で自己満足している輩が巷にあふれているような気がする。
焙煎は、生豆が爆(は)ぜる音と、でてくる煙の色や匂いで、「今ここ」が感じられれるように瞬間が勝負。
珈琲の味は、自分の人生や感性の「らしさ」が、抽出されるようになると、味になる。
どちらにしても「ほうろく」という、日本伝来の「道具」が、ピアノのバイエルンみたいに大事な登竜門だ。

焙煎を4回(いつも四種類の豆を使う)終わると、残った炭を、有田焼の火鉢に移し、五徳(ごとく)の上に
薬缶(やかん)を乗せて、麦茶をわかす。それがさめたら「還元くん」にしこんだ玉露(ぎょくろ)
とまぜて、「水素茶」をつくり、冷蔵庫で冷やす。
それでもまだ炭は残っているので、赤いホーローの薬缶に水を入れ、お湯を沸かす。それがそばの窯のお湯になる。
つまり、朝起きて、正午までは、ほとんど「東京ガス」は使わない。よって、値上がりが云々。。というニュースには
馬耳東風で、涼しく暮らしている。

昨日の卵かけごはんは、暑い中9人きてくれて、5合のごはんがほぼ売り切れ。
午後に「夏休みの自由研修」に、近くの押上文庫の「沙織織(さをりおり)」の教室にきた小学生の姉妹に
残りのごはん(ひやごはん)を、試食してもらった。さめても美味しい竈ごはんを初体験の姉妹の目が
「おいしい」と語っていた。織物といっしょに食育。大事な夏休みの自由研修。

ぼくと久保さんは「おじいちゃんの夏休み自由研究」よろしく、「珈琲専用の焙煎用ほうろく」
をつくろうという課題で毎日明け暮れている。世界中の人の「朝の幸せな一杯の珈琲」を、自宅で簡単に、が、
実現できたら幸せなことだ。ほうろくつくりで、ふたりとも、もうろくになる流れに逆らいながら老体に
鞭打つ暑い夏だ。鈴虫がすだく秋までには完成したいと思う。焙烙(ほうろく)と耄碌(もうろく)のお話・チャンチャン!

華麗なる一族の匂い消し?

数値的な暑さでは、東京も能登もそんなにかわらないけど・・・
やはり東京の30度超えは、暑い。
朝から、水素茶をゴクゴク飲みながら、仕事をした。
またコロナが猛威をふるいはじめたので、うらぶれた十間橋通りは、もっと
うらぶれて、若者どころか、野良ネコも見ないくらいさみしい通りになった。
それでも、常連さまが顔をだしてくれ、共に楽しむ一日だった。

まだ地方の過疎と違うのは、空き家が、分譲住宅とかマンションなんかになっていき、
ぼうぼうと雑草のジャングルみたいな場所は少ない。
また最近は、近くに若い人たちが、カフェとか居酒屋とかを始める傾向にある。
「そばや」は、残念ながら消え行く運命か?15年前までは、近くに10件以上あったのが、
ほとんどやめていった。
行きつけの蕎麦屋が近所にあって、そば前で美味い酒を飲み、〆に蕎麦をつるりと手繰る江戸の粋な文化
も、絶滅危惧種に近くなってきた。

先日の徘徊散歩の時に、かっぱ橋の「そば道具や」を訪ねた。ときどき、くるみ油を800円くらいで
買う。びんぼう、と名付けた「のし棒」を毎日振りかざして、そばを打つ。志ん生さんがいったみたいに
「貧乏はするもんじゃない。楽しむもんだ」をモットーにしている。その棒のメンテと、焙煎機の油に
「くるみ油」を使っている。

最後くらいは、一生ものを買うか・・・なんて思いながら・・・(この年で一生もの、というのもね・・)
仕事がら(がらでもないけど)、いつ気にいった骨董や器にであうかもしれないので、いつも「サラリーマンの部長のボーナス?」
くらいの「いざ金」は、腹巻の中に隠しもっているけど、こね鉢40万、包丁30万・・・最高峰でそのくらいのモノの値段を
見て「たか~い」とこころで叫んで手をだしたことがない。結局昨日も1000円だして、200円のおつりをもらって、そばもんみたいな風袋で、散歩の道草を楽しんだ。

今日も16時まで営業。それから「そば打ち教室」。二階では月イチの「ゆるゆるヨガ」
ヨガとそばと珈琲で、2000円。
ぼくは、女子たちが二階でヨガっている間に、下でそばの準備をしながら「能登牛筋カレー」を食べるのが楽しみ・・
いつも「あ~またカレー食べてる」と、上で叫ぶ声がするのだけれど、先月は「え?カレー食べなかったのですか?」
と不信がられた。先月から「滝風イオンメディック」を四六時中置いて、マイナスイオンが滝の2000倍という
環境をつくった。おばあちゃんたちの加齢臭も、ぼくのカレー臭も、マイナスイオンが消してくれるみたいだ。
昨日も、常連さまの女子が一個買ってくれた。今月4台め。一台24万円だけど、考えようによっては、お値打ち品だと思う。
みんなが「大量生産の安価なモノ」をおっかけた結果が、今の世界的なインフレにつながっている、と思う。
「モノの値打ち」を、もう一度確かめる時代がきたかもなんばん。今日はカレーをやめて「かも南蛮」にしようっと。

追伸
明日の朝は卵かけごはん・・!8時から10時
「ゆるゆるヨガ」は、来週の日曜日・31日でした!加齢と暑さで体内時計が狂ってる?

下町徘徊散歩

世間は夏休みに入り、少し高速道路は混雑していたけど、
無事に東京についた。「明日をも知れない」ような世情が混とんとし、
明るい話題の少ない昨今だけど、なにはともあれ、おまんまが食え、
雨露をしのげるとこで眠ることができるだけで幸せだ。

今年も無事に田植えをした。今は鬼籍に入られが、美濃の有名な陶芸家のAさん
が新宿伊勢丹で個展をやった時、お邪魔したことがある。友達が美濃で陶芸をやっているので、A翁のアトリエに
いったのが始まり。いきなり「ずぼんを脱いで!」といわれ、いわれた通りにぬいで、作業着に着替え、
そこで轆轤(ろくろ)を教えてもらった。その後、仕事場に常設してある「おすだけ」というポットから自作のお茶碗に
お湯を継ぎ、泥のついたままの手でお抹茶を淹れてくれた。いまでも忘れられない一碗だ。天衣無縫な陶芸家やった。

彼は染付が得意で、晩年は息子さんたちが土をこねて、そこに絵を描いた。
鳥獣戯画や寒山拾得、草木や禅語などを好んで揮毫した。
昔から「寿」という漢字(中国では象形文字やトンパ文字、いろんな寿がある)
伊勢丹で蕎麦ちょこと水差しなどを購入させてもろうて、「寿」について話をしていると、
当時すでに米寿を超えた翁が
「寿(ことぶき)という字は、田んぼで男が裸で作業をし、チンポがたっている姿が、はじまりじゃ」といった。
お茶をもってきてくれた伊勢丹の美術部の女の子が、くすっと笑った。

能の三番叟(さんばそう)も、五穀豊穣を祝っている。昔から地方に伝わる「田植え唄」や、放生会(ほうじょうえ)
などのお祭りに使われる童人形などにも、子供にしては大きすぎるチンポがついたものが各地の神社などに
残っている。白洲正子さんの本などを読むと、そんな記述がでてくる。もちろん、彼女は「チンポ」ではなく、
「男の子の持ち物」と書いとうばい。

別に朝からチンポの話がしたいわけではない。
日本人というのは、昔から瑞穂(みずほ)の国といわれた水と空気がきれいな、山紫水明の土地で、田んぼや畑を耕し、
五穀豊穣と子孫繁栄を祈りながら、自然に寄り添いながら生きてきたきた、という民族である。
稲作ができる前の縄文時代は、男たちが狩りをし、女たちはその無事を祈りながら縄文土器という祭器をつくり
巫女のように神に祈った。
物価高騰や食糧危機が、毎日ニュースにあがるようになってきた。
言葉は乱暴だけど、「昔の生活にもどせば、大丈夫じゃないか」と、心底思っている。

昨日は、10日ぶりに、東京にもどってきて、浅草・合羽橋・錦糸町界隈の下町を徘徊散歩しながら、そんなことを思った。
かえってきたら、携帯の万歩計が3万ちょっと。奇しくも昨日の都内の感染者と同じくらいやった。
途中、豆源郷で木綿豆腐とおからとうすあげを買って、主人と談論風発。彼の豆腐は、能登のにがりを
使っている。「能登まで車でいくと6時間くらいかかりますよね」と聞くので、「法定どうりで走ると
8時間はかかるばい。自分は元暴走族やけん、そのくらいでいけるやろうけど・・」というと、頭をかきながら苦笑していた。
少しやんちゃだけど、彼がつくる豆腐は日本一だと思う。少し贅沢やけど、ボールに能登から汲んできた霊水をいれ、
そこに木綿豆腐を30分くらい泳がす。すると、にがりのクセみたいなもんがさっぱり洗い落ち、能登の塩をぱらっと
かけただけで、酒がグビグビ音をたてながら嚥下していく。

ごはんと味噌汁にお漬物。夜は豆腐で一献。田んぼでチンポの元気はなくても、プランターで夏野菜を育て、
徒歩何丁かの豆腐屋まで散歩し、みそ汁の実、冷奴、うまいおあげは、油ぬきせず、あぶってネギをきざみ、
醤油をぱらっとかけるだけで、上等なつまみになる。大きな声ではいえないけど、ミシラヌ国のタイヤメーカーが
つけたきらびやかな星がついたお店も、豆源郷の豆腐をかなり使っている。お店で食べたらウン万円。家で食べたら、
ワンコイン以下ばい。自給率やエンゲル係数というのは、ちょっとした努力で下げられるじゃなかろうか。
そうすれば本来の「ゆたかな生活」が、もどってくると思うけんど・・・いろいろみなおし、たてなおしの時。

今日、明日は「12時-16時」の営業。その後は、そば打ちや珈琲塾。
「自分でそばを打つ」と、料理の幅がでてくるし。「かえし」(あわせ醤油)などできるようになると、
無限に広がるし、田舎くらしをしても、原始的ぶつぶつ交換の「タネ」ができる。
自分で珈琲豆が焙煎できるようになると、「毎日おいしい珈琲時間がもてる」。
焙煎機を買うまでは、「ほうろく」で焙煎すればいい。天真庵の焙煎の基本は「ほうろく」だ。

子猫のプリンちゃん誕生

先月から、能登の家の隣のばあちゃんが入院した。
じいちゃんは施設にはいっている。住む人のいなくなった家は、
すぐに草ぼうぼうになるので、すぐに「空き家だ」というのがわかる。
おばあちゃんがかわいがていたネコちゃんに、新顔が登場。全体が白で耳とそのまわり
がオレンジ・・・「プリンちゃん」と呼んでいる。野良や野良仕事のおばあちゃんが元気なとこは、みな元気だね!

この集落では、男は天気のいい日には、伝馬船にのって沖にでて魚を釣る。もしくは
網をしかけていて、魚をとる。女たちは、もぐってサザエやあわびをとったり、春は
若芽のわかめや黒藻などを収穫する。わかめ=若芽なんやな~
記紀で「道」のことを「美知」というのと同じくらい納得!
そんな「ゆたか」なところなので、ぼくたちも、そばとか焙煎した珈琲豆をもってきて、
あるいは、こちらで焙煎したりして、おすそ分けの山海の珍味と原始的なぶつぶつ交換を
しながら、半分の田舎暮らしを満喫している。ネコちゃんたちにとっても楽園だ。

今回は、梅茶翁でひさしぶりに、そば打ちを教えた。11月に長崎で蕎麦会をやることになった。
名刺には「そば」を消し、能登の家には蕎麦道具のひとつもおいてないけど、「そば打ち指南」
の要望が多くなってきた。また時代の振り子か揺れてもどってきてるのだろうか?
小麦は小麦粉になり、うどんやパンやパスタになる。出世魚のごとしだ。
それに対し、蕎麦は、そばという植物が、実をつけそば粉になり、そしてそばという麺になり人が手繰っていく。
なにか、初志貫徹、自分の信念に迷うことなく貫き通す「清さ」を感じる?そのぶん、今の世の中では
浮いていいたけど、また出番?「気がつけば時代の先頭」みたいな話がポツポツでてきた。

先月の地震で大きな被害を受けた「能登珪藻土七輪や」さんたちも、古い窯を修理して
また動き出した。アウトドアブームや、海外のマニアが、「バーベキューなら、能登のシチリンがよか」
と言い始め、たくさんの注文をもらいはじめた。壊れた窯の再興には、クラウドファンディングでやるらしい。
社長も社員も古希を超えておられるけど、生きる姿勢は若者だ。お見舞いにいって、反対に元気をもらう気分。
クラウドに興味ある方は「丸和工業」を検索して!

ぼくも寄る年波に向かって、伝馬船を走らす漁師のように、今日もその能登珪藻土七輪に炭を
おこし、世界中から旅しながらやってきた珈琲の生豆を、ガラガラと手回し焙煎機で焙煎する。
焙煎したての豆を挽いて、能登の霊水で淹れる。その一瞬の幸福を、何にたとえたらいいか、
筆舌の及ばない「今ここ」の刹那。蕎麦と通じる「ひとつごとワールド」だ。
明日の朝、藤瀬の霊水を汲んで東京に出発。
こんな二股暮らしをしていると、いつも「旅をしつづけている」ような感覚である。本来は
みな「この星にやってきたつかの間の旅人」なんだけど・・・

土曜日から通常営業。感謝。

能登の地酒・亀泉を飲む

能登にそんな地酒がある。
総持寺の門前にあり能登の家から一番近くにある酒蔵なので、ときどき車で
買いにいく。
2年くらい前、幻の「ゴートウキャンペーン」の時、梅林ガールズたちと「じんのびの湯」と
併設するビュースポットホテル?に泊まった。夕餉に飲んだ「亀泉」が美味く、次の日の朝
みんなで中野酒造を訪れた。
昨日も書いたけど、総持寺を開山した瑩山禅師が夢枕にでた霊水「古和秀水(こわしゅうど)」を
仕込み水にしている。

受付には、かわいらしいおばあちゃんがいた。いつもニコニコしている。
包装紙がもったいないので、一升瓶をそのまま車に運ぶ用意をしていると、
「割れたらもったいないので・・」といって、ダンボールを用意する。その所作が
茶人のようにはやく、美しい。でもやっぱりもったいないので、秩父の酒蔵でもらった6本入る酒ケース
をいつも車にのせて走ることになった。亀泉の大吟醸は一本4800円くらいする。
それを買おうとすると、「それは高いよ。純米酒でもおいしいよ」と約半額の酒を
すすめてくれる。そしてお勘定をすませると、玄関までおくってくれて、おまけに紙袋に入った亀泉の手ぬぐいと、
なぜだかポカリスエットのライバルのアクエリヤス?のペットボトルがはいったのをくれる。

先日、中野酒造にいった。おばあちゃんがいなくて、杜氏さん?が応対してくれた。
気になって「おばあちゃんは元気ですか?」と尋ねると、「26年間も務めてもらって、接客からレジ打ちから
発送の手配から、なんでもこなしてくれるので重宝してましたが、体調をくずしてやめられました。86歳に
なりましたが、近くで療養しながら暮らしております」とのこと。その家の人ではなく、務めていたのだ。すごい。60歳から!

宝島社のムックで「60歳から始めて人生が楽になる100のこと」という雑誌が本屋に並んでいる。
60歳から新しい仕事について、26年も「自分らしさ」を発揮することができたおばあちゃんの後半。人生いつからでも
「いたるところ青山あり」だ。
その雑誌で、60歳にまだひとつ足りない筆子さんが、見開きで紹介されている。天真庵の近くに60過ぎからタコ焼きやを
はじめたおばちゃん、そのならびのたねちゃんの珈琲屋の向かいの「うさぎ食堂」のおかあさんも
その本に紹介されている。彼女は古希をこえてお店をつくった。女性向きの雑誌とはいえ、世の中の女性たちは
元気な人が多い。

亀泉は東京では売っていない。地酒とは、その土地で飲むのがよい。身土不二で地産地消。
夕べは、久保さんから送られてきた「うなぎの山椒煮」と「さざえの佃煮」・・とれたて野菜・・などを、志野の小皿や片口にもり、
織部の六角の盃で、亀泉を飲んだ。
歳に関係なく「人生を楽しくしてくれるイの一番」なことだ。
いい器、いい肴、いい酒・・・・人生が「ゆたか」に育んでくれる。感謝。

納屋の中は宝の山?

今日は「燃えないゴミの日」。
冠婚葬祭やお祭りなど、家でやることが多かった昔の家には、
たくさんの器とか包丁とか調理器具などがいっぱいある。
古民家をひとつ買うと、それらの掃除に3年かかる、と言われて
いるけど、月に10日の能登くらしのペースで4年過ぎたけど、
まだまだ宝の山だ!時間がある人は、メルカリなどで売って、生活費のたしにしながら田舎暮らしを
している人もあまたいるようだ。古民家を買う時は、屋根とか水回りをしかり見たら、納屋の中の
調度品をなんでも鑑定団することをおすすめする(笑)

東京から、梅仕事などを手伝うために、能登の家にくる梅林ガールズたちなどに、
「いるもんあったら、東京までもっていくばい」ということで、器(特に場所がら、九谷焼や輪島の漆器が多い)
などは人気があって、かなりあげた。押上のシェアハウスやカフェなどにもかなりあげた。
梅仕事に使うざるとか、収穫籠、畑仕事の鍬、鎌、大工道具・・・
昭和の時代に流行った「象印の保温ジャー」など、よりどりみどりだ。おかげでホームセンターにいっても
買うものは、カセットコンロ(プロパンは契約していないので、これで充分。蕎麦会もできる)とか、
オシャレ?な長靴、虫よけのゴム手、ときどき釣りの餌(なぜかホームセンターで売っている)くらいだ。

今朝は、茶わん蒸し用の蓋つきの器を20客くらい処理した。空になったガスコンロも20個(半年分?プロパン
の基本料金以内で、すむ。煮炊きはそれとIHを併用。風呂は近所の温泉にいくし、焙煎を年中炭火でやるので、
冬は暖も、煮炊きも兼ねて、お湯があまって、お湯割りのペースをあげながら、生活をしている)
押上のお店をやめて、お店にあるペレットストーブを能登にもってくると「鬼に金棒の能登暮らし」
になるに違いない。
最近、久保さんに「天庫盛り」という、天真庵と押上文庫共同のブランドの器をいっぱいつくって
もれっている。それを、台所の食器棚や納屋の食器棚にいれている。押上文庫が、あと3店舗くらい
展開しても大丈夫なくらいにいっぱいになった。今は「寒山拾得美術館」と勝手にいってるけど、
よくよく見ると「久保忠廣参考館」みたいな感じ。

そんなことを考えながら、久保さんの新しい珈琲カップでホボブラジルを飲みながら、ブログを書いている。
これから朝ごはん。近所のおばちゃんが、サザエを50個くれたので、朝は「さざえごはん」
サザエを殻からだして、ゆでて、それに梅酢を浸すと、めちゃくちゃ美味い。
それをごはんを炊く時に、刻んでいれる。東京から、ぬか床をもってきてるので、香のものは、
となりの畑でとれたきゅうりとなす。味噌も味噌蔵にいっぱいつくってあるので、それに具沢山の味噌汁
を加えると、「能登流・一汁一菜」だ。
そうだ!今夜はサザエの茶わん蒸しをつくろう!とひらめき、捨てた茶わんを家にもってこよう!
なんていうことを続けていると、家がいつまでたってもかたずかない。質素に、炭火焼きにして、
亀泉(高知ではなく、輪島の中野酒造)を飲むとしよう。この酒は昨日紹介した・・

総持寺の近くの名水「古和秀水」(こわしゅうど)が仕込み水。

 

ブラタモリで能登・・・

今朝、タコ釣りにでかようとすると、携帯に昨日夜に、そばのお弟子様から
着信あり。「ブラタモリで能登がでてます」とのこと。
能登で生活していると、財布と携帯を探す頻度が多くなってきた。
どちらも、都会で生活している時と違って、使う頻度が極端に少ない。
くわえて、テレビは見ないので、ブラタモリという番組を見たこともない。

先日、門前の「手仕事や」という蕎麦屋(豆腐屋もやっていて、どちらも絶品)で蕎麦御膳(豆腐・そば・厚揚げの煮物・ひじき煮など)
を食べた。門前、というのは、元総持寺の門前で、永平寺と並ぶ曹洞宗の本山で、今でも世界中から禅の修行にやってくる聖地だ。明治時代に大火により、総持寺は神奈川の鶴見に移った。

先々月、総持寺の近くの名水「古和秀水」(こわしゅうど)を汲みに、能登の家から2リットルのペットボトルを
リュックに積んで、ブラタモリよろしく歩いてでかけた。「すぐそこ」だと思っていたら、往復40k弱あって、7時間
半ほど歩いた。

「峨山道」(がさんどう)という里山古道を通って、昔は遠くから総持寺に禅を学びにきてた。
総持寺の二祖「峨山禅師」が、羽咋(はくい UFOの街)の永光寺と住職を兼ねていた。
今流行りのデュアルライフのはしりで、彼は早朝未明に永光寺の朝の務めがおわるやいなや、十三里(52k)の山道を歩いて
総持寺で座禅をしていた、という記録が残っている。そんな生活が20年続いていたらしい。
総持寺では、朝がゆを終え、禅師の到来を待ちつつゆっくり読経する「粥了諷経」(しょくりょうふうざん)というならわしが、
禅師没後650年の今でも続いているらしい。もうひとつの道元禅師もそうだけど、座禅の仕方、粥や精進料理の食べ方、
便所や顔の洗い方・・・生活全般にわたる精進のコツをこつこつ解いたり、本にしてくれた。今でもお寺のまわりに
おいしい豆腐屋やそばやが残っているのもうれしい。

えらい人が歩いた道を、ひとり歩いてみると、聞こえないレベルで、神さまが通った足音、みたいな音が
聞こえる時がある。昨日のブラタモリでタモリが歩いた道か、知る由もないけど、能登へくることがあったら、
ぜひ総持寺に参禅し、手仕事やで蕎麦を手繰り、峨山道をブラタモリしてみてほしい。感謝。