90歳の手習い 切り絵

90歳になる母親が、施設で「切り絵」を習い、作品がぽつぽつたまってきたらしい。
「銀座で個展でも企画しようか」と電話でおだてたら、スイッチが入って、羽子板の切り絵を
おくってきた。知り合いの額縁やにいって、「これ額装してください」と頼む。
ここの社長とは、20年以上の付き合いがあり、南條先生の絵や、白井晟一さんの書などを
つくってもらったとこ。もうかれこれ80歳になるけど、口は達者で矍鑠としている。
でも「寄る年波」で、少し認知がはじまってきた、というのを、傍らにいた古参の額職人が
そっと耳打ちしてくれた。

その職人と打ち合わせをしている間に、「この絵は誰が描いたの?」と3回。
「今日は電車できたの?」を3回、「今どこに事務所があるの?」を3回くらい聞かれた。
うちのお客さんも、80歳くらいはいっぱいいるので、あまり驚かないけど・・・
みんな「いずれいく道」だ。でも、芸術はいつからでもスタートできる。
子どもも親も、「ほめる」と上達する。大いにほめて育てましょう。

おだてあい 木によじ登る 親子かな    南九

母の話にもどすと、最初につくった切り絵は「お寺の鐘」。金や銀の色紙が散りばめられていて、
「ビキナーズラック」を感じる作品。
きっと、亡き父と同郷の「延岡」のことを思い出しなしながらつくったのだろう。
若山牧水が、ふるさとの「延岡」をうたった句がある。たぶんこの句とふるさをイメージしたに違いない。

なつかしき城山の鐘鳴りいでぬ 幼かりし日聞きしごとくに

国貞雅子の「わが胸のふるさと」を聴きたくなった。感謝。