田舎のネコちゃんたち・・

日本で飼われているペットたちが1700万匹になって、飼育放棄
が問題になっているらしく、飼うときに、マイクロチップを入れるのが
義務づけられた、というニュースを昨日のAMラジオ(能登の拙宅にはFMの電波が届かない)が伝えた。

そのうち、徘徊する老人が増えて、人間にも「はいおじいちゃん、チップあげようね」なんていわれながら
マイクロチップが体内に埋められる、そんな時代がすぐそこにきているのだろう。いやや!

隣のおばあちゃんが体調を崩して入院した。やさしいおばあちゃんで、野良ネコたちに、魚とか煮干しとか牛乳
などをあげていた。最近、二匹の子猫が産まれた。うちの畑で野良仕事をしていると、傍らで野良ネコたちが遊んでいる。
しかたないので、筆子さんが代わりに牛乳をやることになった。さばいた魚が、雑魚であれ、頭をタイのようにふたつに割るようになった。
近くにスーパーがないので、ぼくの徘徊散歩は近くの酒やさんに牛乳を買いにいく、が日課になった。

今日は、近くのおばあちゃんが毎年梅仕事をしていた木の梅を収穫するお手伝い。
高齢になると、ペットもそやけど、まわりの畑とか梅や栗や柿の木などを世話するひともいなくなる。
二日前の田植えで、歩くのもままならない体でどれくらいできるか?なんて心配しているようでは、世話ない! 

ライザップよりすごい!田んぼ仕事の減量?

昨日は朝はやくから、田植えをした。
無農薬の田んぼなので、張った水の中では、おたまじゃくしや、絶滅危惧種のげんごろうなどが
元気に泳いでいる。知らない名前の虫たちもいっぱい。きっと絶滅して名前もきかなくなった虫
たちもいいっぱいいそう。蜂や蚊やブヨなども飛んでくる。だから長袖、ネット付きの防止、は必需品。
30度近い中で、全身を使って田植えをするので、減量スーツをきてトレーニングをするボクサーさながら。。

クーラーの中に、還元君でつくった水素茶をいれ、渇きを感じたら水分補給しながら、順番に苗を
植えていく。苗も今年は、ポットの中に無農薬の米粒を入れて、育てた。
迷彩服ではないけど、稲の苗と見分けがつきにくいものがまじっている。
人間世界だけでなく、どこを見ても、生存競争がひっきりなしだ。

前世に恐竜に襲われたりした人は、記憶が残っていて、ヘビやトカゲを忌み嫌うらしい。
それらの天敵のイタチなどを見ると、拍手をおくる。でも飼っている鶏をイタチにやられたとたん、
イタチが天敵になる。人間は、けっこう自分本位のわがまま動物。そんな矛盾だらけの日常を
繰り返しながら、季節はめぐる。「あけましておめでとう」と昨日いったような感覚だけど、
もう今年も折り返し地点。「あっ」という間に一年はおわり、つかの間の一生もおわる。

そんなことを考えながら、「じんのびの湯」につかりながら、沈む夕陽をながめていた。
風呂上りに体重計にのったら、一週間前より3キロ落ちていた。
梅と田植えが重なるこの季節は、アスリートやライザップ状態なのだ。

田植えの途中に、東京の喫茶店から珈琲豆の注文。
今朝は朝早くから能登珪藻土七輪で、炭火焙煎をしている。
てんやわんやの「能登時間」だ。感謝。

田植え日和

全国的に猛暑みたい。能登も東京とかわらないくらい暑い。
梅は、梅雨の雨にふられるたびに大きくなる。今年は雨が
少ないので、例年よりも少し小粒だ。自然というのは、人知を超え、
その中で、一粒一粒の命を輝かせる。粒々皆辛苦のものがたり。

天気がいいので、近所のじいちゃんたちは、毎日のように伝馬船で沖にでる。
すると、我が家におすそ分けがやってきて、冷蔵庫の中には、魚魚魚・・でにぎやか。
あご(トビウオ)、アジ、タコ、ハチメ、さざえなどが並んでいる。

今日は梅茶翁で田植え。棚田で機械が入らないので、手植えして、手で刈る。
もっといえば、開墾まで自分たちの手仕事でやった。
梅茶翁は「瑞穂」(みずほ)という地名。銀行名にもあるけど、わが国は昔から
「瑞穂の国」とよばら、いい水、いい土、いい空気のあるところで、そこで米つくりを
する。それが「ものつくり」の始まりで、三番叟や各地のお祭りで五穀豊穣を祝い、
酒を酌み交わしてきた。

すこし、世界の情勢が混とんとしてきたけど、もう一度原点にたって、「ありかた」
を考えるときかもなんばん。

今日はいい天気。雨もいいし、天気もいい。蘇東坡がこんな詩を残している。

晴好雨奇

この処 これ道場
道窮りなし
出会いは 人生の宝
雨も奇なり
晴も好し

梅林ガールズ

東京から若くて小梅ちゃんのような梅林バールズがやってきて、
売茶翁の梅林で梅の収穫祭。
今年は毛虫が異常発生して、都会育ちの女の子たちには、ハードな仕事かな?
と心配していたけど、すぐに田舎モードになって、毛虫や蜂などどこ吹く風、
といわんばかりに、楽しそうに無心で梅をもいだ。

もいだ梅をさっと洗い(無農薬なので、さっと)、竹串で穴を10っ子くらい開け、ガラスの瓶につめ、
洗双糖を適宜いれ、「梅シロップ」をつくる。これで夏の暑さが、反対に楽しみになる。
昼ごはんは、「おにぎり」。コンビニのそれとは、似て非なるくらい、うまい、し、安全。
お茶は還元くんでつくった「水素茶」。梅仕事や田植えの時に、このお茶を飲むと、「命の水だ」
という声が体の細胞たちが、おらぶ(さけぶ)。

梅仕事の後は、すぐ近くにある「マルガージェラート」という今では全国区になったジェラートやさんで、
地産地消(春は、よもぎやふきのとうのジェラート、夏は能登塩のジャラートなんか最高)の能登ジェラートをほおばりながら
談論風発。自分たちの子供より若い、限りなくZ世代に近い女子たちとふれあうと、脳トレみたいに頭も若返る。
兄妹4人できりもりしているお店だけど、「これからの飲食」のヒントになることがいっぱいつまっている。
そして、カップの中のジェラートには、彼らの情熱と愛情と能登の恵みがギューッとつまっているのだ。

それから、「じんのびの湯」で汗を流す。じんのび・・アフリカ語で「ゆっくり」。
外海に沈む夕陽がまるで極楽浄土を見ているみたい。温泉につかっていて一番幸せなことは
「生きているか死んでいるか」の区別がない境地らしい。まさにそんな気分になる温泉。
ホテル(「能登・門前ファミリー・サンセット)とも隣接していて、とてもいい。
昔風な宿がいい人は「湖月館」がいい。福永武彦ゆかりの宿で、文人気分が味わえる。

風呂上りの休憩室でテレビのニュースを見ていると、今回の珠洲の地震で、窯が崩落した七輪やさん(水曜日にいった)の
ニュースをやっていた。テンションの高いレポーターが「これから復興にどれくらいかかる?」
とか「窯の中には、どれだけ商品が入っていたのか?」と同情するというより、エンタメモードで
しゃべっていて、豪放磊落で、胆力あふれる社長との温度差が見ていて不思議な感じがした。
仕事ゆえ仕方なにのだろうが、スーツ姿にヘルメット・・・田舎芸者の厚化粧よりも荒唐無稽だ。
レポートも大事だが、瓦礫を一個くらいつかんだり、七輪を一個くらい自腹で買っていくくらいの気持ちが
ほしい。

石川出身の哲学者・西田幾多郎先生(京都の哲学の道は、彼がよく歩いていたので命名された)が、こんな言葉を残している。

「非常時なればなるほど、我々は一面において落ち着いて、深く遠く考えねばならぬと思う。」

梅の言霊が聞こえる?

今日は東京から、若い梅林ガールズがやってきて、いっしょに梅仕事。
昨日までは、天気がよかったので、朝まずめにタコを釣り、朝飯後に畑仕事をしたり、
倉庫の中の陶器などの整理、時間が余れば晴耕雨読の読書などをしていた。
昨日は、珈琲のお弟子さまから「七輪おくってください」とメールがきたので、それを用意した後、
「インベスターZ」というマンガ本を5冊読んだ。

タコ釣りの師匠はYouTubeやし、いろんな勉強の師匠がマンガ本になっている。
「インベスタ・・」は、経営者といわず、主婦といわず、中学生(主人公は小学生)でもOK牧場。
投資とかトレードとか、あまり興味がなかった。昭和の終わりころ、日経テレコムという株価のサービスに
対応した「オンライン株価システム 兜町」というのを開発して、帝国ホテルでその当時の日経の社長に
賞状とか賞金をいただいたことがある。そのまま続けていたら、ひと時代つくったかもしれないけど、社員や
まわりが「お金」に憑りつかれたような状態になったので、すぐにやめた。
チャートや株価のテクニカルな分析法はよくわかったけど、「それが人生の中心」というのにイヤ感があった。

あまり新しい時代にふさわしい首相とは思えないけど、円の価値が微妙になったり、戦争モードで経済が混とん
とするのにあわせて、「円で貯金ばかりせず、運用して資産を増えしてください」とエールをおくりはじめた。
これまで勤勉で、粗食に耐え、こつこつと0金利の銀行やタンスに貯金してきた国民に「いきなりインベスター」
みたいな話だ。でも、やっぱり世界は激変しているので、少しづつ「お金」の勉強をするところにきているかもなんばん。
「インベスターZ」は21巻のマンガ本。オススメ。

梅は、「産みなさい、新しい時代に何か新しいことをはじめなさい」という言霊。
あたらしい時代にふさわしい「行動」をしないと、何もはじまらない時代を迎えている。
あせる必要はないけど・・・感謝!

雨にも、風にも、地震にも負けず・・珪藻土竈で2合の飯を炊き、珈琲をガラガラ焙煎し・・

昨日、アフガニスタンで大地震があった。この星のあちこちで揺れている。
昨日、日曜日の地震で一番被害の大きかった珠洲へでかけた。
「よくばり七輪」の人気が高く、5個ほど注文していた。
それは、ダンボールの箱に入れ、倉庫においてあったので、無事だった。
窯の中にあった七輪と、ショールームにはだかのまま置いてあったものは、ほとんど
棚から落ちて壊れた。災難にあった時、ちょっとした違いが明暗をわける。

たまたま日曜日だったので、窯には火が入れてなく、物理的に壊れただけだったけど、
もしも火が入っていたら、社屋が焼けていただろう、と社長の弁。
珪藻土七輪で焙煎したコーヒーを淹れ、差し入れにした。
それをおいしそうに飲みながら、「不幸中の幸い、とはこれですよ」と、平然と笑っている。
経理担当のじいちゃんも「こんなこともありますよ」と悠然としている。
胆力とか平常心のレベルが達人級なのだ。

どうゆう顔して、お見舞いにいこうか?などと弱気なことを考えながら、珠洲にでかけたけど、
いく先々の人たちが、元気に瓦礫を撤去したり、ホームセンターでは入口で、「ほしいものを口で伝えると、
その商品を店員さんが調達してくれる」という臨時のスタイルで営業していて、みんなテキパキと動いておられる姿に、
反対に力をもろうた。人を癒す、とか、元気にする、というのはハウツーもんじゃない。
やはりこつこつと磨きあげた「人間力」なんだと痛感した。

倉庫のかたすみにチューリプ型の「小さな竈の七輪があったので、それも縁なので
買ってきた。3合のおかまでコメも炊けるし、ガラガラ焙煎機もちょうどのるスタイル。
「ごはんカフェ」とか「炭火焙煎」を考えているひとにはぴったりだと思う。
これだけあれば、一生おいしいごはんと珈琲を飲むことができる。先代の社長がつくったもの
の「のこり」なので、これからは永劫に同じものはできへん。

明日は、梅仕事。梅林ガールズたちが東京からやってくるので、今日はその準備。感謝。

能登に無事到着 ご心配メールいっぱいありがとうございました!

昨日のお昼に無事に能登の家に到着。
いつもは、駐車場のとなりの畑をまずのぞいて、様子をうかがい、
から始めるのですが、今回は家の中の様子がきになり、母屋に急ぐ。
珠洲は震度6やったけど、ここ志賀町は3なので、大丈夫だった。
さきの能登地震の時の震源は、前の海の近くだったので、輪島やこの辺りも
甚大な被害を受けた。弁柄色の床の間の壁に、その時の傷跡が残っている。

珠洲には、焙煎に使う珪藻土の七輪やさんがあるので、恐る恐る電話をかけてみた。
社長がでて「窯が全壊した」とのこと。「よくばり七輪」などを予約していたけど、瓦礫の撤去作業や
窯のかたずけなどがあるのだと思い遠慮していたら、「注文分は、ダンボールに入れて、倉庫にいれたあるので無事です。
いつでもどうぞ」といってくれた。明日、手伝いができる格好で駆けつけることにした。
先月、竈(かまど)の在庫をぜんぶ買わせてもらい、長崎や福岡や東京のお店にみんな嫁いでいった。
不思議な「えにし」を感じた。その時に、倉庫の片隅にあった小さな竈も東京につれて帰った。
カウンターの上においてあり、毎日のようにそれで珈琲豆を焙煎している。

東京も地震が多くなったので、久保さんの新しい珈琲カップなんかを、いっぱいもってきた。
しばらくは、そのままダンボールの中に入れて倉庫の中にいれておこうと思う。
でも、そうすると永遠に開けない可能性があるので、だれかときどき、注文してほしい(笑)

こんなシルバー川柳があった。

へそくりは しまうと 二度とでてこない            ほんなこつそげや!

明日から「能登休み」

今日は、日曜日なので16時で閉店。それからかたずけをして、能登に出発。
今回は、田植え、梅仕事があるので、けっこう忙しい。
都会から若い「梅林ガールズ」たちもスケットにやってくる。

能登休みのタイミングで、おまめの注文も増えてきたので、今朝は朝はやくおきて、
そばを打ち、炭火をこして珈琲の焙煎。最近、畳の上で珈琲を飲みたい、と日本料理屋
さんなどから注文が増えてきた。願ってもないビンゴな感じ。炭火焙煎と、久保さんの
「高台」(こうだい)のついた珈琲カップで、畳の上で飲むと、「小股のきれあがったような、いい女」
が珈琲を飲んでいるような風情になる。ハズ。(人によりけりか?)

昨日は「不思議なおばさんの話」を書いた。
翌日は朝いちばん、知り合いから「還元くん、ほしいのですが、在庫2本ありますか?」
と電話。「いつも在庫あるばってん、一本でよかろうもん・・?」と返事したら、
「割れたら、いややし、二本ほしい。52000円握りしめて、いく」とテンションが高い。
あれこれ、珈琲を飲みながら談論風発・・・時計の下の「滝風イオンなんちゃら・・」も気に
なるみたいだった。264000円もするので、「あれは買わんでよかよ」と言い含めた。

熊本の知人が「長屋茶房天真庵」の「快眠まろさん」の部屋に、その高額の「滝風イオンなんちゃら」
をリンクしてくれた。5日ほど前・・・・
この5日で、その「なんちゃら」が、3本注文が入った。
「もしも核戦争になったら、それを部屋につけてシェルターかわりに?」と思わんばかりの
不思議な現象。マイナスイオンは滝つぼの2000倍でるらしいが・・
「明日をも知れない」ような、そんな不安定な世の中になってきたばってん、「モノの価値をよく確かめて」
(といいながら、自分たちも長崎の「彩雲」で、イオンなんちゃらを体感して、すぐにポチして買った部類ですが)
、一生ものの逸品をそろえてほしいと思う今日このごろ。感謝。

そばやの「てんぬき」で一献

昔から「そばやで昼酒」は、江戸の粋の代名詞やった。
そばで〆る前に、板わさ、そばみそ、卵焼きなんを酒肴に飲む。
そんな酒を「そば前」といった。
ちょいと馴染みになると、「てんぬき」なんてものを注文して、そば前を飲む、
っていう志向もなかなかオツなもんだ。
天ぷらそばの「そばぬき」。つゆの中に天ぷらが浮いているもの。汁もので酒が飲めるようになると、
左党として、一人前、そんな風にいう人たちがいた。

ちなみに、うちの店で通ぶって「ぬき」とかいうと、「錦糸町のヘルスでもいってヌイてきて」
なんていうことになる。創業してからこっち、天ぷらそばはやっていないのであ~る。

先日のお昼すぎ、チャリンコにのったおばさまがそばを手繰りこられた。初顔だ。
手になんかオミヤを持ち、そっとカウンターにおいた。
「今S庵(近くのそばや)で酒を飲んできたので、これお土産。オヤジに海老天をあげてもらった。毒は入って
いないよ。一度ここのそばを食べたい、と思って」といって、少し赤らめた顔で笑った。
「ぬき」かなんかでいっ杯やって、〆のそばを梯子・・・これまた新しいカタチだ。
ざるそばセットで、1150円。2000円おいて「おつりはいらないよ」といって、チャリンコで飲酒運転?
して帰っていかれた。

木曜日はかっぽれ女子たちがやってきて、金継ぎ、お仕覆など手仕事の日。
ぼくは、彼女たちにガレットと珈琲をだすと、お役目ごめんになって、近くを徘徊するのがならわし。
行ったことがないけど、なんかの縁なのでS庵で一杯やろうか・・と思い店の前にいくと
「臨時休業」の張り紙。
となりの「やまちゃん」に「どうしたの?」と聞いたら「主人が先日亡くなった」とのこと。享年69歳。

「仕事ヌキに、一献したかった。」と思ってもあとの祭りである。鎮魂。

珈琲カップに高台がついた!

昨日は「卵かけごはん」(月曜の朝は、珪藻土竈(かまど)で、卵かけごはん)

珪藻土竈で6合のごはんを炊き、余った炭を小さな珪藻土七輪に入れ、炭火焙煎・・・
4回焙煎しても、まだ炭が残っているので、それで麦茶を沸かす。麦茶が冷めたら、「還元くん」で
つくった玉露の水素茶にまぜて冷蔵庫。月曜日の朝は、そんな流れのルーチンワーク。
「仕事」というよりも、「遊び」に近いくらいな感覚。おもしろくてしょうがない。

「竈炊き」のオコゲを求めて、ここんところ月曜日の朝が人気になってきた。
デミで供する「ほぼぶらじる」も、焙煎仕立ての炭酸ガスいっぱいの新鮮が味わえるし、
「週初めの朝」が満喫できる?

今月から「珈琲椀」が新しくなった。「高台(こうだい)」がついた。
世紀がまたがる2000年の前後、よくニューヨークにいった。久保さんの陶展もあちらで何度かやった。
「日米アマチュア陶芸コンテスト」の手伝いもしていた。上位入賞者の「抹茶茶碗」に「高台」が
ついていないのには驚いた。3年目あたりから、抹茶茶碗には高台がついていたけど(笑)。昔から日本の器には、「こうだ」といわんばかりに、「高台」がついている。
優勝者は、東京ニューヨークの往復チケット、
みたいな豪華版だった。手弁当で運営していたけど、ドネーション(寄付)が当たり前のニューヨーカーたちの心意気に
びっくりした。日本はバブルがはじけ、このあたりから芸術とか美術に、いやそればかりか身のまわりの「粋」なことに、
「身銭を切る」という風習がなくなったように思う。

それからこっち、サラリーマンの給与はあがらず、食べ物も身のまわりのモノも「安さ」に焦点がいって、
ほとんどの身のまわりのものが「一生使う価値がない」ものであふれ、断捨離の対象品になっている。
「にわかお金もち」になっても、そのお金でまたお金を追ってるような輩なかり。。

お気に入りのお茶碗でお茶を飲んでいた時代みたいに、自宅で珈琲を飲む時も、高台付きの椀で飲もう、
とばかりに、久保さんにお願いして新しい時代の「珈琲カップ」をつくってもらった。
あまり目立たない足元に品格がにじみ出る、みたいに、隠れたお洒落心を彷彿させる。珈琲を飲む時に「かっこいい」
と思われるようなカップである。
諸物価があがり、ますますわれわれ庶民の家計が赤字に向かう傾向があるけど、朝一杯、仕事あけの一杯の珈琲くらいは、
「こだわりの器」で飲みたいものだ。ほんとうに、いい珈琲カップができた。これをもって、またニューヨークのギャラリーに
いきたくなってきた。感謝。