お米も大豆も珈琲も、みんな粒々皆辛苦の「お豆の旅」

昨日は、卵かけごはん。
竈(かまど)でごはんに挑戦して、3回目。前回はうまくいきすぎて、オコゲができなんだ。
昨日はすこし火を強めて炊いたら、めちゃくちゃオコゲがいい具合にできた。
試食という名の、つまみ食いで一合くらい食べた?

開店前に、「これ飾って」といって、近所のお世話しあうハウスの女将が、河原撫子、ユリ、蛍袋を新聞紙に
くるんでもってきてくれた。北秋田の四合瓶も。近所の認知症のおばあちゃんに朝ごはんと薬をのませ、散歩してる途中。
ちょうど竈でたきたてのごはんを、お櫃(ひつ)に移してる時で、「ごはん食べたけど、おいしそうなので、食べていこうかしら」
といって、卵かけごはんを食べていかれた。「お櫃の木の香りがごはんにほんのり、乗り移っておいしいわね」とのこと。

近所の大学の学生さんたちもきて、にぎやかな「卵かけ時間」。お米を炊いた後は、残った炭火で焙煎し、それを石臼でひいて、デミで100円でだすのがならわし。
ちょっと贅沢だけど、能登ジェラトン(隕石粉入りの器)のデミカップ(ショットグラス)で供すことにしている。朝から「いきなり宇宙人」
みたいな一杯。先週に久保さんから新作の珈琲カップが届いた。
隕石は入っていないけど、高台(こうだい 抹茶茶碗など、底にぐるりがついてあるでしょ。器のみどころ)つき。何種類かつくってもらった
ので、いろいろ試し中。ストレート珈琲を所望されると、新作器でだしている。なかなか口あたりがやさしく、高台がついた分、品がよりでてきた。
「ほぼぶらじる」が、最近日本料理屋などからも注文をもらうようになってきた。久保さんの器をつかっておられた名古屋の「金豊舘」(きんぽうかん)
も〆には、お茶でなく、珈琲がでていた。
〆の「こころの一盌」は、おいしい珈琲、というお店が増えてきている。
新しい「豆の旅」がはじまったような気持ちで、気をひきしめて、毎日がらがらと
手回し焙煎機を回す日々。

夕方、陶芸家の渡辺愛子さんが、珈琲を飲みにこられた。銀座の黒田陶苑さんで陶展が終わりちょっと一服気分。
お土産に「ゆば」をくれた。彼女は京都の大学をでて陶芸家にならはった。
京都の祇園に「北郎」という料理屋がある。そこの「お豆の旅」は、実に美味い。藤山寛美さんが生前よく食べにこられ、その名前を命名した。
ゆば、椎茸、山椒、ごまなどを佃煮にして、お茶ずけにする。
そこからヒントをえて、昨日は、お米とユバと山椒・梅干し・・を入れて、「お豆の旅ごはん」みたいなんをこさえてみた。
朝いただいた「北秋田」の酒肴にしながらグビグビ・・、よき季節5月を満喫。感謝。