月曜の朝は卵かけごはん 竈炊きにしたら、風がかわってきた!

昨日の朝は、週一の「たまごかけごはん」。この日は、朝からスイッチが入って、ブログがかけない(笑)

火起こしで、炭を着火させ、能登珪藻土の竈(かまど)に入れ、6合炊きの羽釜で、
一気呵成でごはんを炊く。文字にすると、たったこれだけのことだけど、炭の大きさ、
並べ方・・・昔からいわれる「はじめちゃろちょろなかぱっぱ・・」の火加減・できあがった後の
蒸らし加減・・・隠し玉に「うめ星」(梅干しではない)など、言葉では伝授しにくいコツがある。

昨日は、先週の土曜日に運動会があり、振替休日になった押上小学校のTくんがお母さんといっしょに
「卵・・・」を食べにきた。この夏休みに「キャンプデビュー」をするらしく、飯ごうで炊くかどうかは知らないけど、
「おこげ」を食べる予習をかねての食育。

ごはんが炊けた後、炭火を別の珪藻土の七輪に移して、「炭火焙煎」
最近、近くのカフェの人たちも、卵かけごはんを食べながら、焙煎のノウハウにも興味深々の目線を投げかける。
卵かけごはんは、550円。食後にデミ(といっても、能登ジェラトン(隕石粉入り器)のデミで、珈琲を
100円で供している。特に、アイス珈琲は、炭火焙煎にしてから、似て非なる異次元な味になっているので、
彼らには、興味深々らしい。本気になれば、いつでも伝授したいと思っている(もちろん有料・・)

「なんやら」いうイオン発生器(名前が、滝風イオンメディック・・検索するといっぱいでてくる)を先週からお店に置いてある。先週、長崎の「彩雲」さんで見て、そこで何時間マイナスイオンを
吸い(食事をしながら自然に・・)、青一髪の海をながめ、その後温泉にはいり、寝た時の「体の調子のよさ」が、いろいろな要素が多重債務のように重なっているけど、「マイナスイオンって、ひょっとしてスゴうんじゃない?」と思ったから、「還元くん」と「なんやら」(滝風イオン・・)
を扱っている友人に電話したら、次の日に届いた。
薬事法に抵触するので、くわしくはいえないけど・・・・、「滝つぼ」や「雷」などの自然界のマイナスイオンの2000倍くらいがでていて、
空気がかわり、電磁波がとれ、プラスイオンを除去し、自律神経を調整し・・・いびきがとれたり、快眠になったり、いろいろな病気を治して
くれる・・・・らしい。

ちょっとと高い(¥264、000)けど、それがある場所で10分すれば体調が変化するらしいから、体験したい人は
500円にぎりしめて、ほぼブラジルを飲みにきてください(笑)
昨日は80歳になる近くの「お世話しあうハウス」の女将がきて、「これよさそうね」というから、
「ちょっと高いので、ここで吸っていって、空気をペットボトルにいれてもってかえってもいいですよ」といったら、
「うちに毎日くる認知症の人たちにもよさそうね」といって「わたしたちの年代になったら、医者にだまされ、孫にとられ、すぐに財布をなくしたり、そのくらいのお金は、アッという間に消えていくもんよ。考え方によっては、安い買い物ね」といって、笑っておられた。さすが。

空気を買う時代?

先日、おかまのMくんが珈琲を飲みにきた。
彼(彼女?)、どちらでもかまわないような時代になった。
時々、おもしろい本をもってきてくれる。もともと「古本屋カフェ」をつくる予定で
押上に10年以上前に越してきて、元ケーキ屋の物件を借り、一階と二階に「古本」を
ためて?いたのだが、売る前にどんどん増え、一万冊以上の本が、所せましと並んでいて、
ついに大家さんからも「建て替える」と宣言され、昨年京島に引っ越しをした。

Mくんは、もともと不思議な力があって、天真庵が改装中に「ここは、花をいける教室になる」みたいな予言を
していた。しばらくしたら、山口から原田先生が花を教えにきてくださるようになり、著名なアーティストや
カリスマな調理人たちが、花を習いにきて、先生が召されるまで続いた。
「花を学ぶ、というのは、生き方を学ぶ」ことだと痛感した。

またある時、「これ読んでみて」といって、「100年の梅仕事」という本をもってきた。
それを読んでしばらくしたら、能登に移住した三輪福さんから「梅」がドカンとおくられてきた。
それを梅干しにしたら、「教えてほしい」という声があがり、毎年6月には梅をとりに能登へいき、
東京では「梅仕事の教室」がはじまり、メニューに「梅おろしそば」ができた。夏になると、半分ちかく
が「梅・・そば」を所望する。

先日(月曜日かな?)は、「これから、水みたいに、空気を買う時代になるわよね」
と、ちゃねったような声でポツリ・・
柱時計の下においてあるなんやらいう「イオン発生器?」からでるイオンを深呼吸しながら吸い、
還元くんの「水素茶」を飲み、「ここの社長にあいたいわ」とのたまった。
このイオン発生器は、滝の2000倍のイオンがでる。先日お邪魔した長崎の「彩雲」さんにもあった。
けっこう、「ここ」というお店で見かける。
ちょうど木曜日に、岐阜から社長がくることになっていた。そんなことを知るよしもないMくん
が、そんなことをいうので、「木曜日の午後あけといて・・・」ということになり、ふたりで
還元くんを開発した社長とあうことになった。
ま、これから、それがどんな話へ展開するかわからんばってん、ひさしぶりに、おかまのMくんと
不思議な好日を体感した。

今日は日曜日なので16時まで、それから「蕎麦打ち教室」。二階では「ゆるゆるヨガ」
明日は月曜日。月曜の朝は「能登珪藻土の竈で卵かけごはん」
おかまのMくんにぴったりの月曜日。早起きしたら、「くるわ」といって、わかれた。感謝。

お茶を飲むとコロナが消える!?令和の喫茶養生記!

昨日「新茶ができたばい。明日発送するけん・・」と、福岡の星野村のお茶農家さんから電話。
2007年4月1日、押上に天真庵を移してからこっち、ずっとそこのお茶をつかっている。
「一芯二葉」、ていねいに手で摘まれた茶の「やさしさ」が染みる。

どこのうちにも、台所の食器戸棚とか、引き出しなんかに、賞味期限ぎれの茶葉や、香典返しの
お茶などがあると思う。賞味期限なんてかまわない。焙烙(ほうろく)はなくても、フライパンがあれば、それらを煎って
ほうじ茶にして飲むと、長年の日健康的な生活からきた血圧とかを上手に調整してくれるよ。
麦茶をわかす(ペットボトルで買って飲む人が大半だろうけど、網つきの薬缶で、ミネラルウォータ以上
の水で麦茶を沸かすと、似て非なる茶ができる。栄西禅師が言ったように「茶は薬」。草を食べて楽になるもんやねん。

間違えて、玉露などが手に入ったら・・・昔から日本人は「宝瓶」(ほうひん)といって、取っ手のない急須で
淹れた。ないひとは、急須でけっこう。取っ手が割れたのがあると、それが宝瓶になる?
九州の八女茶(星野村もふくむ)のとこでは、「雫茶」(しずくちゃ)といって、蓋つきの器に入れて
玉露を飲み、三煎くらい楽しんだ後に、その出がらし茶葉にポン酢を入れて食す。
「一物一体」の天地自然の理にかなった茶の楽しみ方。

ぼくのHPの「還元くん」のところに、京都府立大の茶の論文がのっている。
コロナのみならず、いろんな感染症などに「茶」がいい・・・
ということをいわはった。あちこちの大学で同じような論文が発表されているけど、
製薬会社も医者も「そんなんが日常茶飯になったら、わしら飯も茶も飲めん・・」といって、否定的だ。
それより問題なのは、日本人の日常茶飯から茶が消えつつある。そこや。

ぼくは、昨年の6月から、赤絵の「還元くん」に、玉露を5g入れ、40度の湯を入れ、12時間待ち、
それに薬缶で沸かした裸麦茶をブレンドして、冷蔵庫で冷やして飲んでいる。能登の家にも、一本おいてある。
長旅をする時は、スーパーで「お~い・・」みたいな茶をIケース買って、それに還元くんで、水素茶にした茶を
混ぜながら、自分たちで飲んだり、ふれあう旅先の人にふるまったり。。いろいろ。

ネットにも載せているけど、いろんなところで、いっぱい売られているので、興味のある方は、縁ある
サイトから購入してみるといい。電源もない「魔法のボトル」が26000円・・・*天真庵で買うと、星野村のお茶(40g)と元気シールがおまけ!
日頃からマスコミに洗脳された頭では「あやしい~」なんて思うだろうけど、ぼくからいわせると
「お茶(12時間たつと水素茶になるのです)を飲むだけで、病気の予防になるならタダみたいなもんや」
と思っている。薬事法に抵触するので、なんやかんやいえへんけど、それから天真庵で「還元くん」をもってかえって
使ってる人が40人を超えもうすぐ50人。「手ごたえ」は、その40人と家族それぞれなんだろうけど、おおむね好評みたいだ。
今、日本人のふたりにひとりがガンになる。近い将来「限りなく全員に近い」数字になるという。
専守防衛では間に合わない。転ばぬ先の壷?で、「いざ」に供えるほうが懸命やと思う。

今日明日は「12時から16時」。それ以降は「蕎麦打ち教室」
昨日、若い(20代)のくんから「焙煎塾に入門したい」との電話あり。
「高い(一回5500円)し、きびしいよ」と返事したけど、真剣な様子。
カフェとレストランの店長ふたりが、お弟子様になった。いろいろ全部教えていきたい、そんな気分の今日このごろ。
竈・茶・珪藻土七輪・・・・時代おくれが、気がつけば時代の先頭・・・そんな時代がくる?こないか~?感謝!

月曜日の朝は「竈炊きの卵かけごはん」  新しいちっこい竈もゲット。

旅はいいね!九州で秋に蕎麦会!

3年ぶりに九州に帰省し、小浜に移住して4月から「彩雲」という日本料理屋をはじめた
知人の店にいって、昔、頼山陽が島原を旅してどこまでも青い海と、その先にある髪の毛のような地平線に
感動して「青一髪」と詩にした海を眺めながら、地産地消の料理に舌鼓を打った。神楽坂で15年以上やっていただけに、
料理の腕は確かをはるかに超えて、地平線まで届きそうなレベル。

翌日、磐座(いわくら)が神代のころからそこにあるような神社にいった。駐車場を降りて、砂利道を800mくらい歩く。
左手には、棚田が自然のまま開墾され、ひとりの農夫が田植えをしていた。「さわってよかですか?」といって、水田に貼られた
水に手をいれさせてもろうたら、5月とは思えない冷たさだった。能登の瑞穂(みずほ)の水とよくにている。
「失礼ですが、ここの米がもしあまっていたら、少し買わせてほしいとですが・・・」とお国訛りを思い出しながら、尋ねたら
「売るほどできんとです。」と苦笑いされた。しかたなく、参道を歩いて、神社にお参り。駐車場にもどる帰路で、農夫さんに
「いい神社ですね。神様がちゃんとおらっしゃるげな気がしました」と告げた。「ありがとう。ごくろうさま」と返事が返ってきた後、
「この米が秋実ったら、10kだったら、おわけしましょうか?」といわれた。うれしくなって、「秋にきます」と答えた。

南島原に6年前に移住したなつきくん・じゅんちゃんに、能登の珪藻土竈をその日に届けた。「月曜の朝は卵かけごはん」を島原で
やることになり、この竈が主役になるらしい。お米は熊本の「UFOがつくるお米」。
天真庵が2007年にブクロから押上に引っ越した。古色蒼然とした昭和20年にできた長屋を、芸大での中西くんたちが、
上手に勝手気ままに改装。その途中に、「きらきら橘商店街の明治通りに面したところに、同じような元喫茶店があるのですが・・」
という大家さんがきて、兄弟店のような「爬虫類分館」(通称ブンカン)ができた。
そして、昼の店長が「なつきくん」になり、夜の店長が「UFO(名前が夕帆くん)」になった。
311がきて、UFO一家は熊本に移住し、自然農でお米や野菜をつくっている。もうじきゲストハウスも完成する予定らしい。
なつきくんたちが、その後南島原の口之津に移住し、ときどき、夜逃げのような里帰りで福岡までいった足をのばし、
島原で「そば会」などをやってきた。

昨日は、そのUFOくんに、お米を注文させてもろうた。
いつもおまかせだけど、秋の収穫の時期は、島原とか熊本で「蕎麦会」が企画されそうな予感。
いつも車には、能登の珪藻土七輪と手回しの焙煎機をいれて旅しているが、蕎麦道具も常備に
なりそうな感じ・・・
それと、今回の長崎や天草の海をまわってみて、「たこ」がいっぱいいることがわかった。
タコ釣りの竿も、のし棒といっしょに、袋にいれていこう、っと。

ぼくのタコ釣りの師匠は「YouTube先生」。
これからの時代の走り、みたいなもんだと自負している。

昨日はこんな映画をYouTubeで見た。YouTube先生、とおらぼーごたる。
「”ドンバス 2016″ドキュメンタリー映画(アンヌ=ロール・ボネル監督」
日本ではほとんどマスコミがとりあげていないけど、フランスの美人ジャーナリスト
の「アンヌ=ロール・ボネル」さんは、これから目がはなせない。
このドキュメント映画を見ると、「世界の今」・・・ウクライナの実相が見えてくる。感謝。

お米も大豆も珈琲も、みんな粒々皆辛苦の「お豆の旅」

昨日は、卵かけごはん。
竈(かまど)でごはんに挑戦して、3回目。前回はうまくいきすぎて、オコゲができなんだ。
昨日はすこし火を強めて炊いたら、めちゃくちゃオコゲがいい具合にできた。
試食という名の、つまみ食いで一合くらい食べた?

開店前に、「これ飾って」といって、近所のお世話しあうハウスの女将が、河原撫子、ユリ、蛍袋を新聞紙に
くるんでもってきてくれた。北秋田の四合瓶も。近所の認知症のおばあちゃんに朝ごはんと薬をのませ、散歩してる途中。
ちょうど竈でたきたてのごはんを、お櫃(ひつ)に移してる時で、「ごはん食べたけど、おいしそうなので、食べていこうかしら」
といって、卵かけごはんを食べていかれた。「お櫃の木の香りがごはんにほんのり、乗り移っておいしいわね」とのこと。

近所の大学の学生さんたちもきて、にぎやかな「卵かけ時間」。お米を炊いた後は、残った炭火で焙煎し、それを石臼でひいて、デミで100円でだすのがならわし。
ちょっと贅沢だけど、能登ジェラトン(隕石粉入りの器)のデミカップ(ショットグラス)で供すことにしている。朝から「いきなり宇宙人」
みたいな一杯。先週に久保さんから新作の珈琲カップが届いた。
隕石は入っていないけど、高台(こうだい 抹茶茶碗など、底にぐるりがついてあるでしょ。器のみどころ)つき。何種類かつくってもらった
ので、いろいろ試し中。ストレート珈琲を所望されると、新作器でだしている。なかなか口あたりがやさしく、高台がついた分、品がよりでてきた。
「ほぼぶらじる」が、最近日本料理屋などからも注文をもらうようになってきた。久保さんの器をつかっておられた名古屋の「金豊舘」(きんぽうかん)
も〆には、お茶でなく、珈琲がでていた。
〆の「こころの一盌」は、おいしい珈琲、というお店が増えてきている。
新しい「豆の旅」がはじまったような気持ちで、気をひきしめて、毎日がらがらと
手回し焙煎機を回す日々。

夕方、陶芸家の渡辺愛子さんが、珈琲を飲みにこられた。銀座の黒田陶苑さんで陶展が終わりちょっと一服気分。
お土産に「ゆば」をくれた。彼女は京都の大学をでて陶芸家にならはった。
京都の祇園に「北郎」という料理屋がある。そこの「お豆の旅」は、実に美味い。藤山寛美さんが生前よく食べにこられ、その名前を命名した。
ゆば、椎茸、山椒、ごまなどを佃煮にして、お茶ずけにする。
そこからヒントをえて、昨日は、お米とユバと山椒・梅干し・・を入れて、「お豆の旅ごはん」みたいなんをこさえてみた。
朝いただいた「北秋田」の酒肴にしながらグビグビ・・、よき季節5月を満喫。感謝。

月曜の朝は、竈炊きのTKG(卵かけごはん)

熊本の「たまな創生館」の館長から電話。
「車に積んであったケイソウド?やったかいな?あの七輪、一個おくってくれんね」とのこと。(車の中に、珪藻土七輪・焙煎機・クーラー(中にパラダイス酵母・・それを
訪問先にマーキングみたいに、お裾分け。「ぜったい売らないでね」といいきかせて(笑))
「今、外国や日本のキャンパーたちに大人気なので、3か月くらいかかるけど、それでよかなら、OK牧場ですけど・・」
と返事したら、「もう平均年齢をこえたけん、死ぬまでに頼むばい」とのこと。
100歳を目標にしたら、折り返しあたりにいたり、あと〇〇年と、楽観できるかも知れないけど、
冷静に考えるとけっこう人生は短いものだ。団塊世代の館長は到達(笑)・・ぼくはあと8年・・どちらにせよ「あっという間」の束の間の旅。

昨日は、近くの「お世話しあうハウス」の女将さんが、「福井の兄のお墓まいりにいってきた」といって、五月ケ瀬(サツキガセ)という福井のお菓子(煎餅にピーナッツ)
をもってきてくれた。齢(よわい)80を超えられたけど、毎日近所のおばあちゃんたちを、散歩させたり、ご飯を食べさせたり、薬を飲ませたり、病院に連れていったり・・・
の大忙しで、矍鑠(かくしゃく)としておられる。女将さんのまわりの平均年齢は90歳超。

九州の高菜漬けをさしあげ、いつもの「原始的ぶつぶつ交換」が成立。
彼女は、毎日「かたい」と「やわい」の二種類のごはんを炊くそうだ。
「総入れ歯の人にかぎって、『わたしは、かたいごはんじゃないとダメ』というのよ」
とのこと。だから、「かたい」ごはんは、文化鍋で炊き、(電気釜だと、やはりべちゃっとなる)、やわいほうを
電気釜で炊くそうだ。

「これで今日の夕ご飯がきまった」と笑顔で颯爽とかえっていかれた。
炊き立てのごはんに、卵とじ、高菜(高齢者相手なので、細かくタテとヨコに刻む、のがコツらしい)、ジャコを入れるのが、定番レシピ。
ときどきご相伴にあずかることができるのだが、「ほんなこつ、うまかっちゃん」とおらぼー(さけぶ)ごたある味だ。

彼女なりの「幸せに歳をとり、長生きするコツ」は・・・この半年いろいろ話をしていて気づいたこと・・・

・好きなことをする(だって、自分の人生じゃない)
・なるべく、医者に頼らない(ワクチンや薬なんていらないわ)
・肉も魚も、好きであればどんどん食べる。(ごはんも、かたい、やわい、の好みをいいなさい)
・お酒も好きだったら、毎日飲む(わたしは、ひとくちしか飲めないけど、毎日飲むわよ)
・欲望は長生きの源だから、いくつになっても恋をする(おしゃれこころがなくなると、おしまいね)
・認知症になっても、みな幸せそうよ(他人に迷惑かけるけど、それも忘れるし、病気になったことも忘れるみたいよ)
・おむつを恥じるな(行動力を広げるのよね)
・記憶力は年齢じゃないのよ(使わないから落ちるのよ)
・眠れなくなるけど、そのまま自然体(死んだらゆっくり眠れるわよ)
・徘徊散歩する(足腰が悪くなると、きゅうにガクっとくるわね)

「しばらく留守(里帰りで)にしていたら、まわりのおばあちゃんたちは、煮炊きとか大変ですね」と質問したら、
「食べないと死ぬので、そんな時は、自分たちでできるのよ」といって笑っていた。
その間は、交代でごはんを炊き、女将さんが毎日仏壇の先祖さまにあげるように、彼女の部屋の仏壇に炊き立てのご飯をあげ、
「女将さんがはやく東京に帰ってきますように」とみんなでお願いをするそうだ。ほのぼのとした、下町人情あふれる「お世話しあうハウス」の物語。感謝。

明日は月曜日。
月曜の朝は、竈炊きのTKG(卵かけごはん)!

新茶・うめぼし・昔のおんな

沖縄にいくと、しばらく誰かれとなく沖縄の話をするようになる。これを「沖縄病」という。
能登にいくと、同じような現象の原因不明な感染症がある。「能登病」とはいわないけど、沖縄病
になんとなく似ている。
今回、能登に3日いて、それから大阪にいき、フェリーで門司港までいった。その後も、熊本の
天草からフェリーで口之津まで渡り、帰りも同じコースで、天草やら玉名などに寄り道して帰ってきた。
昨日は、ひがな一日、ガラガラヘビよろしく炭火焙煎をし、近くのカフェを二軒梯子して、「九州の話」
をしてきた。「九州病」に羅病したとばいね?

今日は東京は朝から曇り空。気温もあまりあがらないようだけど、少し深めに焙煎し、水出し珈琲をしかけ、
元気にばんばん蕎麦を打った。アイス珈琲の美味しい季節がやってきた。
気温があがると、そばも「あったかい蕎麦」(カレー・鳥そば・能登牛すじ蕎麦)より、ざるそばや梅おろしそば
を所望する人が増えてくる。だから「かえし」をつくる作業が忙しくなる。

梅といえば、来月は「梅仕事」。自分で源流からやりたい人は、能登へきてもらって、梅を摘む、からやる。
そうすれば、食べ物でいう「一物一体」みたいに、「理(ことわり」が体にしみる。料理も、いろいろな「料」(食材)の
「理」(こちわり)のことをいう。もっといえば、剪定をやったり、まわりの雑草といわれる植物たちを、風通しのさまたげに
ならぬよう、風道をつくってあげたりするお世話をすると、植物たちと話ができるようになってくる。
6月は、「田植え」もする。今年ワークマン女子の「田植え用長靴」を買って、また原稿用紙に一文字一文字をいれるように、
稲を植えたいと思う。3年前まで、九州の実家の「松の手入れ」も6月にやっていた。
雨が多く、地味な月だけど、よくよく考えると滋味につながる大事な季節。

今日くらい、ひょっとしたら、福岡から新茶が届く。昨日の「天声人語」にあったけど、日本人が茶を飲む量が、以前の3割以下
になっているらしい。「おいおい」と思うけど、まわりを見ても、そげなふうになってきた。
九州の御茶を急須にいれて飲むとうまかばい・・・とおらぼーごたる。

昨日は、陶芸家の久保さんから新作の珈琲カップが届いた。高台がついていて、横から見ると、抹茶盌を眺めるような風合いになる。
ひとつをリュックに入れ、留守中お世話になる文庫ちゃんのところへ、長崎土産といっしょにもっていった。
九州の話を機関銃トークしていたら、カップをあげるのを忘れた。最近物忘れなる老人力が加速している。
予防をかねて、若い美人店主・たねちゃんがいるカフェ「オフ珈琲」にいって、新作のカップをあげ、四方山話をしてきた。
久保さんのこんどのカップは、深煎りの珈琲をハンドドリップすると、真価を発揮するようだ。
たねちゃん、から連想。島原に「タネト」という東京から移住したご夫婦がやっている直売所がある。まじめに食べ物や染色などを
やっている人たちの「もの」が生き生きと並んでいる。ぼくがときどき蕎麦会をやる時、かけつけてくれる農業家の野菜をいっぱい買って帰った。
「くちのつ巷珈琲焙煎所(&美容院ビーナス)」「タネト」「彩雲」・・・島原の三種の神器みたいなお店。

ひさしぶりに、シルバー川柳を二題ほど

・手をつなぎ 昔はデート いま介護
・忘れもの ブツブツとなえて 取りにいく

長崎のお米も美味いけど、肥後米はやっぱ、うまかっちゃん!

口之津(くちのつ・南島原の最南端の港)の「くちのつ巷珈琲焙煎所」(墨田から6年前に移住したなつきくん
が営んでいる。)に無事竈を届けた。じゅんちゃんが、近くの元美容院(美容院ビーナス)を改装して、カフェ&ときどきおでんや&月曜の朝は卵かけごはん(これはこれから)
を始めた。音楽祭も立ち上げ、地元のアーティストたちが集い、身土不二な音楽を楽しんだり、いろいろな発信をしている。そこで能登の竈がつかわれ、能登ジェラトン(隕石粉入り器)が使われたちするようになった。これからじゅんちゃんのことを、みなが「この星の王女さま」と呼ぶようになるかもなんばん。

能登の地酒・「遊穂」(UFOの街・羽咋の銘酒)も、3本能登から届けた。それを飲みながら、空を見上げると、UFOが見えると思う。
そんなバカ話をしながら談論風発し、じゅんちゃんちに一泊させてもろうて、翌日の朝、口之津港からフェリーで天草へUターン。
吉田拓郎の♪わざわざ見送ってくれて 女の子みたいに・・・
よろしく、じゅんちゃんたちが、堤防で手をふってくれていた。

釣師や魚好きに定評な民宿がその日の宿。
お酒を飲むのを忘れるくらい、魚料理が美味く、舌鼓を打つ。「くまさんの力」「森のくまさん」というお米も美味かった。
夜のニュースに、長崎に東京からUターンしてきた若夫婦が営む民宿が
紹介されていた。
ここは、ぜひいってみたい宿なので、メモ替わりに、自分のブログにのせることにした。
「小値賀島 弥三」(やさおとこでないけど、ヤサ・・・島の名前はオジカジマ、と呼びます)。

よく朝、天真庵のHPにリンクしている「たまな創生舘」の館長・橋本太郎先輩のところへ顔をだす。
築100年以上たつ実家を改装し、自然派の食堂・カフェ・ギャラリー、そして農機具がひしめいた倉庫を改装してコンサートホールに
した。さながら「田舎の文化塾」だ。無農薬・無肥料・無除草剤で育てた「くまもんの気骨のお米(勝手にぼくが命名)」をわけていただいた。
くまもとのお米は、昔から、東の大関「加賀米」とならぶ西の大関「肥後米」といわれ、名にしおう米どころだった。肥後もっくす館長が「♪おんなのこみたいに」
わざわざ見送りをしてくれて、門司港目指す。久留米から高速を降りて下道をゆっくり走る。秋月城跡あたりの評判の蕎麦屋で蕎麦を手繰り、
お店で使っている「本葛」を調達し、筑豊の道の駅・おおとう桜街道で温泉に浸かり、門司の街中のコインランドリーで旅の衣を洗い出発。

門司のフェリーで横須賀までいく。夜おそい出発(11時50分出発・翌実の20時45分到着)なので、次回は生まれた街・小倉の夜を楽しみたいと思う。
もうすぐ九州でも「杜人(もりびと)」が上映される。となりの門司出身の気骨ある男のドキュメント映画。♪こころもじもじ 気は佐世保 さのヨイヨイ!感謝。

旅先で焙煎

ひさしぶりに九州の空気を吸っている。
海の匂いも、薫風の匂いも、やはり懐かしい。
自分の生まれた土地、というのは、母の子宮の中みたいなものなのだろう。

旅先でも、豆の注文をいただく。ので・・・
旅先の宿の庭を借りて、能登の珪藻土七輪で焙煎。
その後、温泉に入って焙煎匂いと汗を流し、近くの郵便局から
レターパックにておくることにする。

今日は、南島原に移住したなつきくん、じゅんちゃんに頼まれた「珪藻土竈」を
納品する。天草からフェリーにのって、くちのつ港にいく予定である。
明日は門司港までもどって、フェリーで東京に向かう。

「豆と能登七輪の旅」も、いよいよ終盤だ。
なかなか充実した旅だった。感謝。

沖縄の風

今日は沖縄が本土復帰50年。
あまり関係ないばってん、3年ぶりに九州に里帰り。
といっても、実家は親父が亡くなって売却したので、帰る家はなくなっった。
「ふるさとに帰る」というのは、生まれた場所にもどることだけど、そこに「人がいる」から
だと思う。母は90になり、妹の嫁いだ家から徒歩3分の施設で元気にいてくれて、母の日の花をおくると
自分で電話をかけてきて「きれいかったばい」とか元気に応対できる。まだまだコロナが治まらないので、施設の庭
から手を振りながら、電話で話す、という手段で再会した。

妹は孫たちの世話で、けっこうてんやわんやの元気おばあちゃん。
「能登の七輪で、孫たちに魚とかを焼いて食べさせたい」というので、能登を出発する前に、
珠洲の七輪たさんにいく。コロナのおかげで、「七輪」が見直されていて、能登の道の駅も、
東京の合羽橋も「いつ入荷されるか未定」な状態。少し落ち着きを見せてきた様子だったけど、
最近は「海外需要」で、また忙しそうにしていた。つい最近まで、合羽橋の売れ筋は「日本の研ぎが必要なホンモノ包丁」で、
包丁やさんに青い目の外人さんが跋扈していたけど、今は、通販で「七輪」がうれている。
日本ではアウトドア用品といえば、横文字の外国産が人気があり、バーベキューの時は「鐵板」のもので
「外で食べたらおいしい・・・ぼりぼり・・」スタイルが普通だが、海の向こうでは「日本の珪藻土七輪で肉を焼いたら、
べつもんバイ・・・ぼりぼり」が浸透しているみたい。本家どり?・・・相変わらず、日本人は自分たちのまわりに昔からある「ホンモノ」
に気づかない民族なのかもなんばん・・

そんなことはどうでもいいけど、そんなわけで、九州に能登の珪藻土七輪がひとつ上陸した。
車の中には、いつでもどこでも焙煎できるように、七輪と焙煎機を積んでいる。
天草のお店から注文があったけん、今日はそちらに向かう。
魚や肉を焼くときに、「七輪」の威力が発揮するばってん、一番は、「珈琲の焙煎」じゃないかしらん。
嗜好品だから、10人いれば10人の意見があるけど、「べつもん」になるような気がする。
これもまた、灯台下暗しで、日本で広まるまで時間がかかる。いっそのこと、シアトルあたりにもって
いこうか?なんて、半分ほんきで思ったりする今日このごろ・・    感謝