昨日はじめて能登珪藻土の竈(かまど)で、ごはんを炊いた。
15年前に押上の天真庵を結んでからこっち、冬は炭で暖をとっている。
池袋の天真庵も、サンマを焼く時期、冬に熱燗が飲みたくなった時、には、
炭を起こしていた。
少し大きめの火起こしで、炭をおこし、竈にいれ、その上に、小さな炭を足し、
空気穴をうちわでパタパタしながら火を強くする。
羽釜にお米を入れて何度か洗う(米を磨く)、ご飯と同量の水(能登の藤瀬の霊水をつかう)を入れ、
木の蓋をおく。
しばらく(5分ちょっと)すると、シューという音がして、白い湯こぼれとともに、米が対流している様子が
想像できる。重い鍋だけど、ズレ落ちる?くらいの勢いだ。
♪はじめちゃろちょろ なかパッパ・・・薪でやるとそんな感じかな?炭だと、いきなりステーキみたいに、
いきなり勢いがつく。
♪赤子泣いても蓋とるな・・・・だけど、常識のウソではないけど、一度蓋をあけ、しゃもじでさっとかき回す、のが僕流。
おこげはきらいでないけど、あまり多いのもなんなので、土鍋でお米を炊くときも、そうしている。
そのころには、炭が絶好調と叫びはじめる。そのタイミングで、空気穴の上にある「炭の扉」をあけ、
炭を半分くらいとりだし、「七輪」とか「火鉢」に入れる。ガスで、強火の後の弱火、といった感じか?
どのくらい減らすか、とかは、その人の感性。電気釜みたいに「スイッチ押すだけ」とは違う醍醐味がある。
後は、木の蓋からこもれでる湯気の香りの変化に神経をとがらせて、「このへん」という声が聞こえたら、
羽釜を鍋敷き、なければ雑誌の上において、しばらく蒸らす。
できあがったごはんは、お櫃にいれる、が正統的だが、無い場合は電気釜にいれ、「保温」のスイッチ。
お櫃にいれ、「藁泉」(わらいずみ)の中に入れると、高級料亭や高級寿司屋にいった気分になる。
昨日は、近くのカフェのオーナーたちが、ぼくの予告編(来週から竈ごはんで卵かけごはんをやるで~)がきいたのか、
6合の羽釜で炊いたごはんが、完売した。
「月曜の昼は、能登牛すじカレー」という裏メニューもあるのだが、昨日は「そば」のみ。
そばも、あっという間に完売して、その後は「がれっとやさん」に専念。
昨日は、能登の「梅茶翁」の三輪福さんたちも、蕎麦を手繰りにきてくれた。今月、かまどではなく、ペチカを
完成させてほっと一息。6月には梅仕事と田植えをいっしょにやる。
梅茶翁にも「能登珪藻土の竈」がある。瑞穂(みずほ)という、お米のルーツの神話みたいな土地で、いっしょに田圃をやり、
収穫祭を祝い、竈でごはんを炊く。縄文時代の後半から連綿と紡がれてきた「時間」にやっと波動があわせられ、
「日本人になった」、そんな気分になる。まかないのごはんを食べていたら、表を「おかまのMくん」がチャリンコで通った。
「おかま」と「おなべ」・・・・いろんな形があるけど、みんな「おなじお釜のメシ」を喰えば、問題なし、だ。感謝。