界隈の女子たちが輝いておりまする

昨日は朝から仕込みにおわれた。
なにせ、10日も能登で野良仕事したり、釣りをしたり、天気がいいと、海岸までいって
焙煎したりしているので、お店の冷蔵庫の中は空っぽ。
昨日は寒かったので、朝から炭をおこし、珪藻土の七輪で3時間くらい焙煎した。

その前に、煎茶仲間の洗い張りやのみっちゃんから、「断捨離中で、
長年使っていた古い書棚をよかったら、使ってくんない」と連絡があり、
車で彼女のマンションにいく。さすがに、下町の長屋で生まれ、お父さんが
興した「洗い張」(あらいはり  こんな職業がまだこの界隈に残っているのがすごい)
を継いだ職人気質だけあって、テーブルや椅子、食器棚(久保さんの志野の煎茶碗がならんであった・笑)
、その中に使いこんだ作家ものの手作りの器など・・・持って、使っている調度品などを見れば、その
ひとの人生がわかる。彼女のお店のカウンターの椅子は、天真庵と同じく、般若くんがつくった椅子だ。
もっといえば、屋号の筆文字を揮毫したのも、天真庵と同じ、今はなき(いや、まだ存命)貞本さんの字。

彼女が織田流煎茶道に入門し、煎茶女子たちが押上に通い、着付けを習いはじめた。
「馬子にも衣裳」というと、おこられそうだが、みんなの女子力は、かなりアップして、
着付けした後、蕎麦を手繰りにきてくれたりすると、刮目しながら「いいおんなになったな~」
なんて、半分お世辞半分は正直な気持ちを伝えた。
またみっちゃんの紹介で、かっぽれの先生が二階で教室をやるようになり、うちの常連女子たちの
「おんなぶり」もアップした。コロナで「かっぽれ」は休止になったけど、メンバー
たちは定期的に、お仕覆やお味噌つくりや、普通にカウンターにとまって蕎麦を手繰ったり、
ほぼぶらじるを飲んだりしてくれている。

ひとくぎりしてから、久しぶりに下町徘徊散歩。
たねちゃんがはじめたコーヒーや、明治通りのまりちゃんの紅茶やさんに、
能登で調達した「ふきのとう」をお裾分けにいった。
そこで雨が強く降りはじめたので、リュックの中にいれた「藤瀬の霊水」を、まりちゃんに
「使ってみて」といって、おいてきた。ほんとうは、そばを打ちはじめた文庫ちゃんに、もって
いく予定だったけど(笑)降り出した雨と、寄る年波で徘徊するには少し重いのと、やっぱり若い女の子
と仲よくしたほうがいい、などという打算も手伝い、荷物を減らして、いつものように、
ヨーカ堂経由で曳舟のブックオフにいく。そういえば、最近このへんのマンションにも、
ぼくのお茶のお弟子様が、越してきた。「がんばっている女子」があまたいる街・押上。

シルバー川柳にこんなんがある。

妖精と呼ばれた妻が妖怪に

どちらにしても、命短し恋せよ乙女  陽性になっても、妖怪になっても、らしく生きていければ、
みんな幸せ 感謝