門前の小僧習わぬ経を読む

先日、梅茶翁にいった時、しんごちゃんにあるインスタを紹介された。
知り合いのそばもん(能登でそばやをやっている)が、のっていた。
「何?・・」と思っていたら、「若い夫婦がリアカーをひいて、ごみ拾いをしながら全国行脚をしている」
という。「ふたり歩き」とかいうサイトらしいが・・・
そのそばやは偶然出会い、ふたりにビール券をプレゼントしたらしい。よくいく能登町のすしや・つくし鮨のテイクアウト鮨を
差し入れした人の記事なんかもある。能登島の千寿荘に立ち寄ったのは、きっとそのそばもんが教えてあげたに違いない。
今はまだ旅が始まったばかりだけど、きっと、各地でいろいろな人たちとふれあい、宝もののような思い出をつくるだろう。
「よしやろう」と思ってすぐに、誰でもできることではないけど、「いい旅だな~」と思う。

能登の家がある志賀町も、彼らはリアカーに、ゴミ箱をのせ、テント暮らしをしながらこないだ通過した。
ここから海沿いの道を車で走れば、20分くらいで、門前につく。元・総持寺のある禅の街で、多くの禅の人が
行き来した道だ。昨日の朝、珈琲を飲んでいて、ふいに「よっしゃ、今日はそこまで歩いて、名水を汲んでくる」と、
リュックに空のペットボトルを入れて、禅僧よろしく歩き始めた。途中、よくいく夕陽のビュースポット・じんのびの湯や、
赤神の道の駅、北前船で栄えた天領・黒島など、風光明媚な海岸線を、ひたすら歩いた。
自分的には、「片道一時間半」とくんでいたが、井戸に着いたら、3時間半かかっていた。万歩計が2万5000歩・・・
「これをまた帰ると、5万歩・・・まんぼう期間ではあるけど、ゴマンボー!」とわけもなく、ランナーズハイな気分になり、
井戸水を柄杓で一杯のみ、2リットルのペットボトルに汲んで、踵をかえして家に向かう。
外浦という海岸側は、夕陽のきれいなスポットがいっぱいある。刻々と水平線に近づきながら沈んでいく夕陽を追いかける
ような足取りは、歩く禅というか、自然と一体になるような無的な境地を体感する。

最後のふんばりどころは、関の鼻という景勝地に向けての上り坂。そこまでいけば、松本清張のゼロの焦点の舞台になった
ヤセの断崖があり、その先の義経の隠し船、までいくと、「あと600m」で、我が家だ。
39歳の時、はじめてホノルルマラソンに参加した時、最後の10kくらいは、足が棒のようになって
トボトボ歩いて、6時間半くらいかかってゴールした。四半世紀過ぎて、同じような体験をした。
今日は少し曇り空だが、今日は石川県知事選挙。歩いて投票にいこう、っと。片道1時間?

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