能登珪藻土七輪が合羽橋から消えた?

木曜日、浅草経由で合羽橋を徘徊散歩。
月に一度は、仕事がら、合羽橋にいく。
珈琲の道具も、そばの道具も、自分なんりに工夫をしながら、
まわりのアーティストみたいな職人さんたちに、つくってもらったものが多い。

珈琲のサーバー、ドリッパーや、珈琲カップは、久保さんのお願いしている。
最近は、銀座の「隕石カフェ」(ビッグバン・隕石直売所)も加わり、共同で不思議な
カップやドリッパー・サーバーをつくったりしている。来月は、いろんな新作が揃う予定。

蕎麦道具は、包丁は師匠、まな板は般若くんにつくってもらった。各地で「蕎麦会」をやってきたけど、
島原には道具を置いてあるし、梅茶翁にもそろっている。道具がない場合は、車に積んで、どこでも
いつでもOK牧場だ。

まんぼうが解除され、春休みになり、桜の開花宣言も重なり、浅草は若者でごったがえしていた。
コロナ前は、中国人が猿回しの猿みたいに、ワーワーいいながら、安っぽい着物来て、界隈を闊歩していた。
同じような安っぽい着せられ、日本の若いこらが、歩いている。馬子にも衣装、というか、着せ替え猿みたいだ。
帯の締める位置が高い(そのほうが歩きやすいのかな)のか、歩き方がO脚でがに股なせいか、「いつでも前をはだけて立ちション便ができる」
といった格好。それで、もんじゃや(いつの間にか、もんじゃやがいぱいできた)で、もんじゃ食べながら、ビールを飲んでいる。
いらぬお世話だけど、小便にいって、用を足した後、もと通りに、居ずまいを治すこと(もとの恰好にする)ができるのかしら?なんて心配になる。

そんな春の風物を垣間見ながら、浅草六区経由で合羽橋へ・・・
コロナ前は、やはり外国人が、刃物屋さんに跋扈して、日本のホンモノの包丁を土産や、転売目的で買っていく風景が目立った。
日本人は、文化包丁や安くて手入れの少ないステンレスの包丁しか使わないので、どの店も以前の賑わいがない。
「空き店舗」の看板が目立つ。やはりマンボウは解除されたが、飲食店が冬のまま、春の気配がうすい。

そんな中、いつも立ち寄る道具屋で、「能登七輪」のコーナーが、「入荷の時期不明」という張り紙。
能登の道の駅も同じような状態。ながびくコロナによる、巣ごもりで、自宅や別荘で過ごし、家族や仲間と「焼肉」などを
する時、重宝されているようだ。ソロキャンプや家族でキャンプも流行りはじめ、需要と供給のバランスが悪くなっている。
加えて、地震や災害や、有事になった時の「供え」として、準備を始めるひとが急増しているみたい。
東京はマンション住まいの人が多く、契約上、七輪など使えないことになっているけど、イザの時は、車の中や、避難所や、
ひょっとしたら、路上で生活することにもなりかねない。一家にひとつ七輪があってもいいかもなんばん。

能登の梅茶翁から「珈琲豆2k」の注文が入って先日おくった。先週末から10日コース?で、「ペチカ」のワークショップを
やっている。徒然草の時代から我が国の暮らしは「夏の暑さ」対策に重点をおいてきた傾向がある。
でも、化石燃料を使うには限界があるし、これからしばらく有事時代が続けば、冬の暖をどうする、が
もっと問題になってきそうだ。東京で「ペチカ」は難しいけど、各自が工夫をしていかねば、来年の冬はより寒く
なりそうな気配。だいぶ温かくなってきたけど、今朝も炭おこしに炭を入れ、それを有田の火鉢に移し、その上に薬缶をおき、
お湯がわいたら珈琲を淹れ、新聞を読む、ところから天真庵の一日が始まった。日々是好日に感謝。

月曜の朝は卵かけごはん・・・

今月は「そばもん」を読み直した。あらためて「最近のマンガ本は、すごいな~」
と思う。そばの師匠の高橋さんの本も読んだけど、二度読みはしていない(笑)
押上の天真庵の改装を手伝ってくれたあいちゃんの嫡男が、15年前に生まれたばかりの赤子を
つれ、仕事をしてくれた。玄関のとこのステンドグラスは彼女の作品。その嫡男がこないだ「蕎麦打ち」
にきた。「そばもん、を、2回読んで予習してきました」とのこと。
これからは、マンガ本やYouTubeが、先生になる時代かもなんばん。

コロナで今はやっていないけど、「自分で鮨をにぎる会」というのをやっていた。
その前に「佐賀のがばいじいちゃんの鮨会」を3年やっていたので、その時にカウンターに
坐って、じいちゃんの鮨を食べた人たちが、天国にいったじいちゃんの鮨をオマージュする、
そんな会だった。島原に移住した「くちのつ巷珈琲焙煎所」のなつきくんのところでもやったし、
能登の「梅茶翁」でも何度かやった。そばに比べて、「特別な道具」がなくてできるのと、
それぞれ参加する人の「手」が道具になるので、コツがわかると、誰でもどこでもできる。

というわけで、今、「将太の寿司」というマンガを読んでいる。
そのマンガにも書いてあったけど、鮨の7割が「しゃり」、つまり酢飯。
あまり重きをおいていないばってん、それ(お米や炊き方)の良し悪しが、鮨の味をきめる。
今日の「卵かけごはん」のごはんは、「将太の寿司」に書いてあった「お米の洗いかた、炊き方」を参考に
して炊いた。お米と同割り(1:1)の「水」も大変重要だと書いていたので、能登の「藤瀬の霊水」を
使って炊いた。さっき炊き終えて、しゃもじでかきまぜ、その中に入れる「うめ星」(隕石玉)を取り出し、
そのまわりについた米つぶを、つまみ食いしてみた。これまでと似て非なる、筆舌を超えたシャリができた。
昔から、おいしいシャリを銀シャリといった。銀河を渡ってくる「隕石」の粉でつくったうめ星を入れて炊く
ご飯も、やはり「銀しゃり」だ。

みそ汁の味噌は「手前味噌」。味噌の麹や塩も、能登のものを使っている。味噌汁の実にも、
能登からつれてきたふきのとうを刻んでいれる。
今日の「香のもの」は、富来(とぎ)の「京屋」というお蕎麦屋さんのおばあちゃんがつくった沢庵。
これもまた秀逸。「能登はやさしや土までも」を彷彿させる味。感謝。

UFOの街の銘酒

昨日今日は、土日なので16時で営業して、それからは「蕎麦打ち道場」。
ベテランの「そばもん」が蕎麦を打ちに来た。風雨の中、夫婦で車できて、旦那な
蕎麦を打つ間、奥方が酒を飲みながら待つ、というスタイルをかれこれ4年くらい
続けておられる。〆のそばを待つ間に飲む酒を「そば前」という。
そのそばを打つ間に飲む酒も、また新しいスタイルの「そば前」である。

初心者のころは、蕎麦打ちに一時間くらい要するので、徳利3本は飲めたが、最近は30分ちょいで
打てるようになったので、ちょっとペースアップして2本が限界。昨日は、能登で調達した「遊穂」(ゆうほ)の
限定酒・年輪 THE FIRSTを皮切りに二本飲んでいかれた。その限定版は、ラベルの模様もアーティスティックな上、
ピンクレディーが「UFO!」と踊るくらい、味に広がりがあり、キレもいいし、きれいな酒だ。

「遊穂」は、御祖酒造といって、能登の羽咋(はくい)にある酒蔵。社長は美人社長で、たしか美穂さん。
その穂からとって命名したのであるが、羽咋というのは、UFOで村おこしをしたところ。コスモアイル羽咋
がある街だ。「遊穂」の酒のラベルの裏書を紹介する。

「能登半島の中程、UFOの町石川県羽咋市で醸しています。力強さと優しさを兼ね備えた、日々のお食事
と共にお楽しみ頂ける日本酒です。(略)おすすめの料理・・脂ののった魚、鯖や酢〆のこはだ等。
豚料理やチーズ、クリームソースの料理、ポテトサラダなど。」

どの酒もそうだけど、地酒はその地にいって、そこでとれたものを酒肴にして飲む、のが一番。
昨日の「限定版」のうしろには、オタク化する日本酒党に対する矜持みたいなことが綴られていた。

「我々はいつから、お酒を『頭で飲む』ようになってしまったのでしょう。本来のお酒の楽しみ方は、その土地の風土
や造り手の哲学が一本のボトルに表現されたお酒を、それぞれの飲み手が自らの『感性』でもって楽しむことが一番だと考えます。

まったく、「そのとおり」だと思う。
雑誌ヤインターネットの評価で右往左往するのではなく、自分の舌、五感をつかって、
「おいしい」を言える人間になりたいものだ。

能登にいくと、この「御祖酒造」と、能登町の「数馬酒造」に、お邪魔する。
数馬酒造は「竹葉」という酒が中心だが、昨年「奥能登」が、フランスの酒のコンテストで
金賞をとった。そのほか、「イカにあう酒」とか「能登牛にあう酒」など、」地産地消の
ユニークな酒がある。こんど「能登牛筋そば」を食べながら、そんな酒を飲んでみたくなった。
コロナ禍で、居酒屋も、そこに酒を卸す酒蔵さんも、たいへんな苦労をされている。
せっかく、日本人に生まれてきたのだから、自分の感性で、「好きな日本酒」を見つける旅を
されては如何?

今日も16時まで。それから「蕎麦打ち」。二階では「ゆるゆるヨガ」
明日の朝は「卵かけごはんですよ」です。

北千住で飲む

水曜日、池袋で珈琲豆を調達した後、北千住駅で、てるみん、ともちゃんと
待ち合わせ。ふたりとも、昭和62年生まれで、「いくつ・・?」か聞けへん
けど、若い。「高齢者がやっている純喫茶巡り」が趣味で、天真庵もそのくくり(うちは、不純喫茶やけど)で選ばれ、
ときどき「ほぼぶらじる」を飲みにこられる。

要するに、自分たちがかつかつひっかかって生まれた「昭和」の残り香のある喫茶店が
好きらしい。ともちゃんは、故・たまちゃん(元浅草芸者で幇間芸の悠玄亭玉)の三味線の弟子でも
あって、ときどき所縁の浅草や下町の居酒屋なんかで一杯やるようになった「のみとも」でもある。
本日の飲み会は「奥深い酒飲みの聖地・千住の居酒屋で飲む」のコンシャルジュ、というより、
ボディーガードみたいな役目かな?

3時半に合流し「まず、駅前の喫茶店にいきましょう」というふたりの意見を無視し、徒歩二分の
N(有名な大衆酒場)にいく。昼間からカウンターに「ひとり飲み」の左党たちが座り、ビールや
徳利を並べている。(お勘定をしやすいように、老舗の酒場は、空になったビール瓶や徳利、料理の皿は
そのまま置いてある。ある意味、今の開店鮨もそのなごり?)
名物の千住揚げ、肉豆腐、ポテサラなどをつまみに、赤ラベルを一本、山形の初孫を二合が、ウォーミングアップ。
そのまま、このお店で飲みつ続ける、という「ながっちり」になりそうなくらい居心地がいいけど、一時間くらいでお勘定を
すませ、線路を挟んで反対ガシに向かう。最近、神田にあった電気大学がこの地に移転し、酒飲みおじさんの聖地が、
学生街になった。ラーメン屋さんの玄関にたてかけられたメニューに「モーラー 朝6時から」というのを見つけた。
モーラーとは、「モーニング ラーメン」の略らしい。余談ですが、ぼくの生まれた北九州の門司(ぼくは小倉)というところには
「チャンラー」というメニューがある。チャンポンとラーメンの合体みたいなモン。

その「モーラー」ラーメン店の手前に「A」という日本料理屋がある。15年前に、天真庵を改装中、中西くんやuna、林くんを
連れて、飲みにきたことがある。久保さんの器も使ってくれていて、センスのいいお店。
その先に、今年一月にできた新しい居酒屋がある。表の看板に「金沢おでん」「能登の食材・・」と書いてある。
5時開店までに15分くらい時間があったので、界隈のお惣菜やでコロッケを買ったり、ながくやっている街のパン屋さん
で、焼きそばパンなどを買って、その「なんやら」(店の名前は知らない)という、能登ゆかりの居酒屋に入る。

残念ながら、能登の地酒がなく、福光屋の酒をぬる燗にして、能登の魚をさかなにして1合、金沢おでんで一合、
3種のポテサラ(チーズ味・海藻とイクラ味・ラーユ味)で一合、富山揚(鹿児島の揚げがさつまあげ、千住が千住あげ、富山の魚をつぶしてあげると富山あげ・・)げで一合・・・ほど飲んだ。

「まんぼう」が解除されたとはいえ、やはり盛り場に昔のにぎわいはない。しかも戦争モードも加わり、
日本人も「日本もまきこまれそう」という不安な面持ちをぬぐえない日々。
ほんとうにサバイバルな時代になってきたけど、座して死を待つより、生きているを喜ぶほうに足を踏み出したいと思う。
生きにくい時代やけど、「自分らしく生きる」という当たり前のことが試される時代になってきたようにも思う。
千住の駅の近くに「やすらぎ」という居酒屋がある。ふたりに、「今度はあのお店にいこう」と約束して、押上にもどった。

池袋モンパルナス

火曜日の夜は久しぶりに「英語で蕎麦会」。
この2年、寺子屋は閉めているので、同窓会みたいな蕎麦会を
日本語でやった。まんぼう、は終わったけど、まだまだ油断大敵、
あちこちで、こんな楽しい会が、日常茶飯になり、平和と言う言葉
がいらないくらい平和な日常がもどりますように・・・

水曜日は、池袋に珈琲豆を調達・・・
小麦やガソリンと同じように、珈琲豆も高騰している。
珈琲道にかかわりつづけて47年。ずっと、モカ、しかも貴重な
イエメンのモカマタリが大好きやった。紛争とか、地球環境の変化
などで、安定していい豆が日本に入ってくるのも微妙な時代を迎えている。

少し珈琲ハンターさんとの約束の時間に余裕があったので、要町界隈を
ぶらり徘徊散歩。
あまり知られていないが、この界隈は、昔貧乏な芸術家たちがアトリエをかまえ、
夜な夜な、池袋の盛り場で安酒をあおり、逍遥したところ。
詩人の小熊英雄は、その街を「池袋モンパルナス」と称し、詩をつくった。今は昔だけど・・

池袋モンパルナスに夜が来た
学生、無頼漢、芸術家が
街にでてくる
彼女のために
神経をつかへ
あまり、太くもなく
細くもない
在り合せの神経を――

チャリンコにのったおかまのMくん

連休の初日に、お店の前を、おかまのMくんが通った。
「Mさん、元気そう」と、すれ違い挨拶をしたかよちゃんがお店に入ってきた。
実は、先週の地震の時、Mくんから、「大丈夫?」とひとことメールがきた。
「ありがと。能登は、震度2」と返事したら、「あ~らよかったわ。
Tさん、Kさん(ふたりとも、共通の知人・元骨董屋で85歳とか86歳)も、無事だった。
高齢になるとショックで心臓止まるひとがいるっていうから、心配で・・」とのこと。
ふたりといっしょにするな、と一瞬思ったけど、Mらしい気遣いに感謝。

チャリンコ、といえば近くに住むシェアハウスに住むマリちゃんが、「ありがとうございました」
といって、ハウスメイトのけいちゃんとチャリンコをもってきてくれた。「物入りで、チャリンコが
買えない」と昨年の晩秋にいってたので、「買えるまでどうぞ」と、なかばあげるつもりで貸したのが、
もどってきた。浅草やかっぱ橋に用事がある時も、秋葉原や銀座あたりまでは、ほぼ歩くので、チャリンコを
使うことは、年に一度くらいしかないけど、「いざ(地震とか)の時には役になりそう」と思う。
カセットコンロ、蓄電池、七輪、水、携帯トイレ、トイレットペーパー、食料はお米、そば粉がいつも常備されているので、
なんとかなる。土鍋もあるけど、文化鍋で炊くごはんもうまい。

夕方、近くの「お世話しあうハウス」の女将さんが、蕎麦を手繰りにこられた。
この界隈で一番古い分譲マンションに、ひとりで住んでいて、まわりの独居老人たちのごはんや
散歩や病院行きなどのお世話をボランティアでやっておられる。茶道の先生でもあるけど、「いずれいく道」の道案内人(コンシェルジュ)
みたいな話がとても勉強になる。「あたたかくなってきたから、ぬか漬けはじめた」とのこと。
「今ならまだ胡瓜とかナスははやいので、大根とかニンジンですか?」と質問したら、手をふりふり、「そんなもの総入れ歯の
おばあちゃんに食べさすと、病院(歯医者)いきになるわよ」とのこと。「しかも、連休中は病院お休みでしょ。だからハウス栽培で
いやだけど、胡瓜をつけて、細かく切ってだすの」とのこと。「なるほど」と納得。

「総入れ歯のひとにかぎって、硬いごはんを好むから、普通のごはんと、硬い(お水の量でかげん)のと二種類炊いて
いるわ」と真顔でおっしゃる。「年寄りは、ころんだらおわりになるので、築地で調達する鰹節で出汁をつくり、ジャコを
いれて炊くの」とのこと。「連休中は、ごはんをつくるのが面倒でしょうから、あまりもんだけど・・」といって、
じゃこごはんを🍙にして、ラップに包んで、3ついただいた。「のりは、天真庵のが上等なので、それをまいたら最高よ。年寄りは
のどに詰まらせる危険があるから、まかないけど」といって笑っている。いつもこんな具合だ。
仕事がおわり、のりをまいて食べた。慈悲深い味がした。
おにぎりもおでんも、コンビニで買う、のが常識になってきたけど、ちゃんと自分で炊いて、むすぶと美味い。
おでんも、自分で鰹節や昆布で出汁をとり、歩いていける範囲にある豆腐屋で、豆腐やあげやこんにゃくを調達して
、辛子も練ってつくると、熱燗が何本でも飲みたくなるようなものができる。「おでん・熱燗・昔の女」・・いもんだ。感謝。

義経千本桜

判官贔屓(ほうがんびいき)の日本人は、義経が好きで、歌舞伎や
浄瑠璃の演目として、圧倒的な人気がある。「義経千本桜」はその代表格。
兄、頼朝に追われ、能登にいたわらび姫に会いに、船で合いにいく時、
追手に気づかれぬように、険しい絶壁の洞窟みたいなところで停留した場所が、
志賀町にある能登の家から600mのところにある。「義経の隠し舟」とかいう名前で、今も人気の観光スポット。
(すぐ隣に「ヤセの断崖」という松本清張のゼロの焦点で、ヒロインが身投げする設定の場所があり、今でも自殺の名所
になっている。先週往復32kの徘徊散歩の時も、消防車3台・救急車一台がきていた。身投げしたらしい。新聞にだすと
自殺者が増えるので報道はひかえているけど、けっこう頻繁)

今日の「天声人語」は、同じ志賀町の富来(とぎ・能登の家は笹浪という地名だが、旧富来町)という集落の
「100本桜」の話がのっていた。
なかなかいい話なので、そのまま紹介しようと検索したら、半分は「有料」ということなので、ほかの新聞の記事を紹介するる。

 志賀町尊保地区の川沿いに二十年前に住民らが百本植えた桜並木「百本桜」が、今年も満開で見ごろとなっている。川沿い一キロにわたって咲き誇り、田んぼ沿いの道路を桜のトンネルのような雰囲気で車で通ることができる。
 桜は地区の魅力アップにと二〇〇一年、旧富来町の事業として植樹。地域おこし活動に取り組む壮年会などの「ザ・そんぼ夢創(むそう)の会」が中心になった。ソメイヨシノが中心で、並木が左右に曲がりながら続いているため、地区内の広い範囲から桜が広がる光景を楽しめる。

天声人語には、そこに住む人たちは、観光化しようとか、過疎をなんとかしよう、みたいな目的はなく、
「ただ春になってきれいな桜のしたで、おにぎりでももって花見ができればいい」みたいなことが書かれてあった。
全国どこの町にいっても、「村おこし」という名目ででる助成金目当てで、地元贔屓の文章を書いて、それらしき
箱ものをつくる、みたいな輩が跋扈していて、辟易とすることが多い。
そういう意味では、「能登に生きる」人たちは、自然体で肩肘張っていないところが、とてもいい。
来月はおにぎりでももって、ふらっと能登徘徊散歩にいってみよう。

ちょっと、卵かけごはんに、お客さんが何人かきた気配・・・・今日はこれにてゴメンあそばせ!感謝。

こたつでみかん

愛媛出身で、顔が童顔で丸く、いつも真顔で明るい蘊蓄をたれる不思議な青年が近くの長屋に住んでいる。
だれともなく、彼のことを「みかん」と呼ぶようになり、本家本元の愛媛のユルキャラ「みきゃん」よりもこの辺では有名人。
ときどき、蕎麦を手繰りにきたり、珈琲を飲みにきたりして談論風発をする。
昨日は「これから女子会で、今鳥スープをしこんでいて、本の束の間一服したいので、ホボブラジルを
ご馳走してください」・・いつものような平身低頭な、それでいてちゃんと個性的で、近況を
伝えるような口調でオーダー。

「今日は誰がくんの?」と質問すると、「〇子に、▽子に、◇恵、に・・・」と5人ほどの知っている女子たちの
名前があがる。人畜無害で、安心と安全(どこかで聞いたフレーズ)とみなされているのか(実際は知らないけど)、彼の長屋では、昔から女子会よろしく近所の元気な女子たちが、週末になると、酒やワインなどをぶらさげてやってくる。居酒屋あたりが、協力金めあてで
休業したり、お酒の提供をやめているので、よりいっそう、「みかんちの家飲み女子会」が、盛り上がっているようだ。
それにしても、界隈の女子たちは元気で、しかも酒が強い女の子が多い。
「女時(めどき)」がしばらく続くらしいが、戦争モードになっても、男より女のほうが勇ましい?

ひさしぶりに、日めくりカレンダーの「今日の真民さん」を紹介する。
どんな時代になっても、天地自然の理みたいな「言霊」が込められている。Here Now!(今ここ)
今日も明日も12時から16時まで営業。
明日の朝は「卵かけごはんですよ」

「今」

大切なのは
かつてでもなく
これからでもない
一呼吸
一呼吸の
今である

界隈の女子たちが輝いておりまする

昨日は朝から仕込みにおわれた。
なにせ、10日も能登で野良仕事したり、釣りをしたり、天気がいいと、海岸までいって
焙煎したりしているので、お店の冷蔵庫の中は空っぽ。
昨日は寒かったので、朝から炭をおこし、珪藻土の七輪で3時間くらい焙煎した。

その前に、煎茶仲間の洗い張りやのみっちゃんから、「断捨離中で、
長年使っていた古い書棚をよかったら、使ってくんない」と連絡があり、
車で彼女のマンションにいく。さすがに、下町の長屋で生まれ、お父さんが
興した「洗い張」(あらいはり  こんな職業がまだこの界隈に残っているのがすごい)
を継いだ職人気質だけあって、テーブルや椅子、食器棚(久保さんの志野の煎茶碗がならんであった・笑)
、その中に使いこんだ作家ものの手作りの器など・・・持って、使っている調度品などを見れば、その
ひとの人生がわかる。彼女のお店のカウンターの椅子は、天真庵と同じく、般若くんがつくった椅子だ。
もっといえば、屋号の筆文字を揮毫したのも、天真庵と同じ、今はなき(いや、まだ存命)貞本さんの字。

彼女が織田流煎茶道に入門し、煎茶女子たちが押上に通い、着付けを習いはじめた。
「馬子にも衣裳」というと、おこられそうだが、みんなの女子力は、かなりアップして、
着付けした後、蕎麦を手繰りにきてくれたりすると、刮目しながら「いいおんなになったな~」
なんて、半分お世辞半分は正直な気持ちを伝えた。
またみっちゃんの紹介で、かっぽれの先生が二階で教室をやるようになり、うちの常連女子たちの
「おんなぶり」もアップした。コロナで「かっぽれ」は休止になったけど、メンバー
たちは定期的に、お仕覆やお味噌つくりや、普通にカウンターにとまって蕎麦を手繰ったり、
ほぼぶらじるを飲んだりしてくれている。

ひとくぎりしてから、久しぶりに下町徘徊散歩。
たねちゃんがはじめたコーヒーや、明治通りのまりちゃんの紅茶やさんに、
能登で調達した「ふきのとう」をお裾分けにいった。
そこで雨が強く降りはじめたので、リュックの中にいれた「藤瀬の霊水」を、まりちゃんに
「使ってみて」といって、おいてきた。ほんとうは、そばを打ちはじめた文庫ちゃんに、もって
いく予定だったけど(笑)降り出した雨と、寄る年波で徘徊するには少し重いのと、やっぱり若い女の子
と仲よくしたほうがいい、などという打算も手伝い、荷物を減らして、いつものように、
ヨーカ堂経由で曳舟のブックオフにいく。そういえば、最近このへんのマンションにも、
ぼくのお茶のお弟子様が、越してきた。「がんばっている女子」があまたいる街・押上。

シルバー川柳にこんなんがある。

妖精と呼ばれた妻が妖怪に

どちらにしても、命短し恋せよ乙女  陽性になっても、妖怪になっても、らしく生きていければ、
みんな幸せ 感謝

究極のタコカレーのつくり方

九州の宗像に、神湊(こうのみなと)という漁港がある。
そこで、民宿をやっていた人が、近くにレストラン&ギャラリーを
営んでいる。コロナで二年帰ってないけど、九州に帰るときはそのお店に
寄った。お魚の新鮮なところなので、刺身やテンプラも美味いばってん、ぼくは
そこの「タコカレー」をいつも所望する。
大きめの白いカレー皿に、てんこ盛りのごはんの上にスパイスのきいたカレー、
そのカレーの中に、ぶつ切りのタコが入っている。ここが、大事なんですが、生のタコを
入れてあるのだ。

簡単にいうと、生きたタコは吸盤にごみと砂が入っているので、塩もみしてボイルする。
その時、最初から塩でもむと、塩くさくなるので、米ぬかで最初は洗う。
そして、仕上げの時、塩でもみ、そのまま、63度のお湯で、大きさによって、ボイル時間を
かえて、火をとめる。
それを、刺身にしたり、柔らか煮にしたり、おでんのタネにしたりする。

そのボイルをせず、カレーに入れると、絶妙な味になる・・・

昨日、三輪福さんからメールがあり、「確定申告を輪島でするので、終わったら遊びにいっていい?」
とのことだったので、OK牧場、と返事した。
東京からカレーを冷凍してもってきていたので、朝とれたタコを使い「タコカレー」をつくり、
みんなで食べた。しんごちゃんも、木工の学校の卒業式がおわり合流。♪仰げば尊し和菓子、いやわが師の恩・・
卒業証書をテーブルの上におき、乾杯。
ふたりは、ぼくのそばのお弟子さまで、6年前に能登に移住し、梅茶翁というカフェを営みながら、
梅仕事や、畑仕事、染仕事などをやっておられる。昨年は、いっしょに米作りに挑戦。今年は昨年より
少し広い田圃を開墾して米をつくる。

昨日は東京のカフェから注文がきたので、朝から能登の珪藻土七輪で焙煎をした。
梅茶翁も、ぼくの「ほぼぶらじる」を能登で広げてもらっている。
その新しい珈琲を飲みながら、みんなで「コーシールンバ」を歌った。
明日は東京に出発。あっという間に能登休みがおわる。感謝。

「コーシールンバ」

昔 押上のコーシーやさんが
夢を忘れた あわれな男に
しびれるような香りいっぱいの
こはく色したコーシー焼酎を 教えてあげました
やがて こころ ウキウキ
とても不思議 このムード
たちまち 男は 若い娘と昼寝(しるね)した

コンガ マラカス
楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは素敵な飲み物
コーシー焼酎 珈琲韻(カフェイン)
みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーシールンバ