昨日は昔の起源説。国の始まりみたいな日。その後、建国記念日になって、今は
なんていうのだろう?幼稚園中退の学歴しかないので、このあたりの常識に疎い。
毎日、味噌作りに明け暮れ、明日あたりで、50人を超え、折り返し地点を迎える。
昨日は筆子さんの誕生日。いつも特別なことはせず、いつもと同じように、仕事が片付いたら、
適当な酒肴をこしらえ、一献。能登で月10日暮らすようになって、以前より魚を肴(さかな)に
することが多くなった。
「能登」という雑誌に、「のむら暮らし」が紹介された。天真庵のHP7にもアップした。
20冊ほど買わせてもろうたけど、手元には一冊しか残っていない。
その中で、能登に向かう途中に「すき家」と「回転ずし」に立ち寄る話がのっている。
「え~ そんなとこいくのですか?」と何人かに聞かれた。東京では、どちらもいったことがない。
高速道路を使って、全国を旅してきたけど、「ごはんがおいしいとこ」って、あるの?
という感じしませんか?前は、信州のサービスエリアでさばの塩焼きと味噌汁がついた「朝定」
があったけど、今の朝メニューは「朝そば」が中心。信州信濃のそばよりも、わたしゃ、焼き魚の
ほうがよかばい、で新井とうパーキングで、徒歩でいける「道の駅」にいって、山菜とか季節の高原野菜を
調達しながら、ならびの「すき家」で、焼き魚の朝定を食べる、というのがならわしになった。
もうひとつの「回転すし」
能登まで高速道路がつながってないので、途中から下道で氷見の街中を通る。
氷見といえば、ぶり。でも昔から「いわし」のほうが有名。それだと商売になりにくいので、
「寒ブリ」を冠(かんむり)にしている。富山湾というのは、特殊な構造の湾で、ブリ、いわし、
だけでなく、「げんげ」(下の下・・・から命名された、かわいそうな名前の深海魚だけど、こんなに美味い魚は
ない。その価値のわからぬモノのことを、ゲンゲといいたい)なども、筆舌が及ばぬ美味さである。
その道の途中に「すしのや」という回転すしやがある。金沢には回転すしの機械の大手二社があって、その影響で
北陸には回転すしやが幅をきかせているけど、鮨の種の宝庫なので、皿にのってまわるのもあるけど、ほとんど
のお店は、厨房の中に職人がスタンバっていて、注文すると、ちゃんと握ってくれるスタイルが多い。
能登の梅茶翁で、田んぼ仕事、梅仕事にいく時は、「つくしさん」(仮称)という寿司屋にいく。
地元の魚のみを握ってくれて、十貫550円。十二貫750円、という回転すしより安くて、美味い。
3年くらい前に、離婚され、ひとりで切り盛りしている。離婚祝いに、久保さんの焼き締めのまな板皿を
プレゼントした。750円の「昼定」みたいな鮨は、その皿に盛られる。二年前に、その皿と鮨が、
地元の雑誌に紹介された。それからこっち、開店前にお客さんが並び、平日で50人、土日は100人
くらいがくるお店になった。お客さんに「ご主人は算数できないのですか?」と言われるくらい、儲けとか、
利益とかを度外視しているすしやさん。
今年の新年会は、梅茶翁で、その「つくしさん」の鮨をつまみながらやった。
かたわらに、昨年の11月に20歳を迎えたミニチュアダックスの「イッチ」こと、市松くん
もいて、みんなで長寿を祝った。
彼が今日の深夜に、旅立った。5年前に東京から移住し、能登の天地いっぱいの力を借りて、
元気に生きた。
水上勉さんの「骨壺の話」の帯にこんなことが書いてある。
人生の終着駅を考えることは、死ぬこと生きることを見据えること。 鎮魂